その36 今は明るい悪役令嬢

「おはようございますラウラ様」


 暖かな声が頭上から、いや、天上から振ってくる。

 それはまるで天使の調べのようだった。


 うん? 上から声が聞こえるのはおかしいような……。

 ついに本当に天使になっちゃったのジェーン?


「楽しい夢を見たんですか? いい笑顔でしたよ」

「ジェーン……あっ、ここ、膝の上!?」


 やけに寝心地が良いと思ったら、なんと私はジェーンの膝の上で眠っていたらしい。

 柔らかな感触が側頭部から伝わってくるのがヤバすぎて、私の耳も赤くなろうというものだった。

 こんな極上の枕で寝てたらいい夢見るのも当然だよ!


「ご、ごめんねジェーン! えっ、よだれとか出てない!?」

「出てても気にしませんよ」

「私が気にするから!」


 ばね仕掛けのようにガシャンと勢いよく起き上がり、思わず口元を拭うと、よだれは一応、垂れてはいなかった。

 よ、よかったぁ……!

 汚したらもう腹切るどころじゃ済まないよ!

 

 動揺した頭で、周囲を見渡すと、車窓から見える景色は真っ暗で、夜の帳が降りていた。

 どうやら結構な時間寝てしまっていたらしい。


「おはようラウラ」

「あっ、おはようございますお兄様!」


 お兄様は眠る前と全く同じ体勢で、本を片手に私に視線を向ける。

 本のタイトルだけが唯一の差異だった。


 私が寝ている間、二人の間には会話があったはずで、私はそれが気になります!

 惜しいことをしたと思う反面、寝てなければそういう構図も生まれないと考えると、どうやらその光景は私では一生目撃することはなさそうかも。

 寝たふりをすればワンチャンス……駄目だ! 『真実の魔法』は寝たふりも出来ない!


 ……いやいやいや、オタクオタクした妄想を暴走させる前に私にはすることがある!

 何を忘れてるんだラウラ・メーリアン!

 あなたの使命を思い出して!


「そうだ! お兄様! ジェーン! お二人に話さないといけないことがあります!」

「聞こう」

「お聞かせ下さいラウラ様」

「即答!」


 推し、話が早すぎる!

 もしくは察しが良すぎる!


 二人が真剣な表情で私を見つめるので、私も気合を入れて、夢での出来事を語る。

 それは少し長い話になった。

 それでも二人は熱心に聞いてくれて、全てを話し終える頃には、馬車は街に着いていた。


 一度、その街を中継地点に一泊する予定なので私たちは馬車を降りる。

 久しぶりの地上は揺れているみたいだった。

 その後はジェーンと同じベッドで寝ることになったり一緒にお風呂に入ったりと、色々大変なことがありつつも翌日……馬車は小金色の道を進んでいる。


 昨日、寝る前に見た光景は緑の草原だった。

 そして、今、目の前に広がっているのは小麦畑。

 ここはジェーンの地元、テルティーナ村である。


 窓からは麗かな風が吹き、その風が透き通った空気を運ぶ。

 深呼吸をするだけで気持ちの良い場所だった

 ここでジェーンが育ったと思うと、もう肺も心もいっぱいだ。


「ナタ学院長の話では、母が重要なんですよね?」

「客観的に見るとそうかも?くらいなんだけど、私は絶対重要だと思ってる!」

「思い込みは危険だが、まあ、暗くなるよりはいいか」


 馬車は規則正しく音を奏で、村の入り口までゆっくり進む。

 そこには美しい女性が立っていた。

 栗色の髪は一つに結ばれていて、まるでこの黄金色の風景の一部のように馴染んでいる彼女。

 彼女はにっこり笑顔で私たちの乗る馬車に手を振っていた。


 私は彼女の名前を知っている。

 あれこそがジーナ・メニンガー。

 ジェーンのお母さんだ。


「ジェーン! 今日は太って帰ってもらうよ!」


 大声でそんなことを言う母親に、ジェーンは顔を赤くする。


「お母さんったら……すいません騒がしい人で」

「ううん、綺麗で元気なんて最強だよ!」

「ラウラの言う通りだ。己の母親を誇るべきだな」

「ジーナが良い子なのは事実じゃな」

「そうですよねナナっさん……あっまたこのパターン!?」


 いつぞやと同じく、またもやいつの間にかに会話に加わっているのは、お兄様の横に座るナナっさんである。

 もうお兄様はあの一回で慣れたのか、落ち着き払って本をカバンにしまう。

 私とジェーンはまだまだドキドキだった。


「気力を振り絞ってきたぞ!」

「えらいです! ナナっさん!」


 私は思わずナナっさんの頭を撫でそうになったけれど、寸前で我慢する。

 ナナっさんは大人、ナナっさんは大人!


「いえ、普通でしょう……頑張ってはいますが」

「そういう約束だしな」


 あの過去を聞いてなお二人の反応は冷たかったけれど、少しだけ柔らかくなっているようにも見える。

 果たして私はかっこよくナナっさんの過去を語れただろうか……不安しかない。


 車輪の回転は緩やかに衰えていき、気が付けば馬車はジーナさんの前で止まった。

 しかし、ナナっさんは俯いたまま固まっている。

 待望の再会だろうに緊張しているらしかった。

 その姿は大変可愛いのだけど、これではいつまでたっても出られない。

 私はナナっさんの手を取り、立ち上がる。


「行きましょうナナっさん。恥じることなどありません! 凱旋ですよ!」

「まさかいきなりジーナとエンカウントするとは思ってなくてじゃな……」

「いいじゃないですか、ほら、行きましょう!」


 少し強引にナナっさんを馬車から連れ出す。

 激しい抵抗はなしに手を繋がれたまま、子供のようにジーナさんの前に立つナナっさんを、ジーナさんは驚いた表情のあと、すぐに笑顔で迎え入れた。


「久しぶりね神様」

「やめてくれ神はもう廃業したんじゃ……というか知っておったのか」

「当たり前でしょ? いつまでも子供じゃないわ。でも、全然変わらない姿を見てると私だけ歳食ったみたいで恥ずかしいわね」

「何言っとるんじゃこの若作りめが!」


 ごく自然と始まった掛け合い。

 楽しげに話す二人の姿は、とても輝いて見えて、幸せな光景だと思った。


 不思議な話だけれど、この光景は私が『真実の魔法』をかけられてないと実現しなかったものなわけで、なんとも人の縁とは分からないものだと思う。

 魔法がかけられてから今日まで、思えば遠くに来たものだけど、ただただ推しの素晴らしさと尊さを実感する日々だった。

 ずっと、人と話さないまま生きていくつもりだった私が、こんなに人と関わって、話して、旅をしている。

 

 もっと早く、話せるようになったら良かったのに。

 そしたらきっと、もっと正しい形で、魔法に頼らずに……。

 そんな贅沢な事を考えていると、ジェーンが私の手を握った。


「ラウラ様、私、ラウラ様と友達になれたことを母に自慢したいんです。良いですか?」

「えっ、恐れ多すぎるよ!?」


 そんな紹介されたら消滅してしまう!

 ただでさえ友達の親ってぼっち的にハードル高いのに!


「本当はもっと早く友達になりたかったくらいなんですよ? でも、遅すぎるなんて思いません。まだまだ追いつける距離です!」


 ジェーンが黄金色の微笑みと共に発したその言葉は私の心を見事に照らしてみせた。

 遅すぎることなんてない。

 そう、今追いつけばいいんだ。


 そう思うんだけど、ジェーンに連れられてジーナさんの前まで来てみれば、緊張で固まってしまう。

 しっかり自己紹介しよう……と思うのだけどどうにも脳が騒がしい。

 推しの母親に会うのは初めてなので、や、ヤバすぎて!

 そんな私の口から漏れるものは、やはり言葉じゃなくて羅列だった。


「あの、は、初めまして! ラウラ・メーリアンです! いや、初めましてなんですけどお噂はかねがねというか、お話は聞いているというか、とにかく色々知っているので初対面な気はしないのですが、会えて光栄すぎます! 娘さん?娘様?ご息女?とは仲良くさせて貰っていて、最近では同じ部屋に住むルームメイトで寝顔が可愛いです! 寝顔が可愛いです!? 何を言っているのラウラ・メーリアン! ええっと、そうじゃなくて、ジェーンは私の大事な大事な推しで生きる希望なので、ジーナさんには産んでくれて育ててくれてありがとうという感謝の気持ちしかないわけで! あっ、き、キモかったですか!? すいませんすいません! だからその、じ、ジェーンの友達です!!!!!」


 こんな大事な場面で爆発してしまったー!

 しかも過去一でキモい!

 赤面一色の顔で恐る恐るジーナさんの顔色を伺うと、彼女の顔は輝くような笑顔のままだった。


「遠いところまでありがとラウラちゃん。私もこの子を産んだのは自慢なんでね! 私共々、どんどん褒めてくれて構わないわ!」

「お母さん恥ずかしいから……」

「だってあんたあんなに手紙で」

「それはもういいから! こちらがラウラ様のお兄様で……」

 

 ジーナさんはさすがというか、私の言動を受け止めた上で、さらに大きく受け止めてくれる。

 聖母かな?


 お兄様がスラリと自己紹介をする横で、私は己の未熟さで羞恥していた。

 全く呆れ返るほど成長のない私だけど、推しが素晴らしすぎるお陰で今日もなんとか生きている。

 

 ひとりぼっちで生きていた頃の私が今の私を見たらどう思うだろうか。

 やっぱり図々しいとか思うのかな。

 今でも私、そう思うしね!

 

 そう、悪役令嬢だった私はいつの間にか消えてしまった。

 推しの光で、全ては美しい光景になる。


 暗く無口な悪役令嬢は、今、輝く場所で騒がしく生きている。

 それはきっと素敵な話だった。


 

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