誤差

運命の相手は

　極めて唐突ですが、あなたの目の前で男性が一糸まとわぬ姿で転がっていたら、あなたはどんな言葉を発しますか？

　何事だ？大丈夫ですか？事件だ？いえ、わたくしの答えは「あら可愛い」です。

　……あなた、今何を考えたのですか？わたくしは男が一糸まとわぬ姿で転がっていたらとは言いましたけど、道路の上とか廃屋とか深山幽谷の中とか一言も言った覚えはございませんよ。

　と言うか、あなた男の年齢がいくつだと思ったのですか？２０歳？４０歳？８０歳？嫌ですねえもう…。

「きょうからわたし、おねえちゃんだね！」

　……ほらご覧なさい、わたくしは今、病院の中でお母さんのおなかの中から出て来て産声を上げたばかりの男の子について話していたのですよ。

　確かに、あなたの思う通り２０歳の男が深山幽谷の中で倒れているのであったらわたくしも大騒ぎしますけどねえ。まあ、その男の子が生後０日ではなく１００日だったらまた話は別なのですがねえ。

　ところでおうかがいしますが、あなたの年齢はおいくつですか？今までの話から換算した所でのわたくしの見立てではですね、５０歳ぐらいかと…えっ高校２年生！？わたくしの様な年寄りが言うのも何ですが、てっきりもっと高齢かと…何故って？だって高校２年生って確か１６歳か１７歳でしょう？もう少し頭が柔らかい物じゃないですか？わたくしの知識の中では、そんな年頃の人間って言うのはもう少し頭が柔らかい物のはずなのですがねえ。

　何か随分と苛立ちがおありの様ですが、わたくしで良かったらお話を伺いますよ。

　赤の他人が何をいきなり？まあね、親や兄弟と言った人間より赤の他人の方が得てして有効な話ができる事は世間的によくある事でして、まあまあ騙された気分になって話してみませんか、ねえ？わたくしこう見えても口は堅い物で。

　信用ならない？ひどいですねえ。まあ余りにも唐突な上にずいぶんとご無礼な初対面になってしまった物でそうやっておむくれになるのも仕方ないのかもしれませんが、わたくし勘が鋭い上にお節介な性分でね。こうやって悩みを抱えているお方を見ると手助けをしたくてたまらなくなってしまうのですよ、と言うかそれがわたくしの仕事でしてね、どうかご容赦のほどを……。

　ふむふむなるほど…恋ですか。まあわたくし、これでも恋愛の手腕には長けている物でしてね。３年生の藤本先輩と言う方に声をかけたい、と言う事なのですね。なるほど、わたくしのよく知っている高校２年生と言う肩書きをお持ちの女性にまことにふさわしいお悩みですね。

　しかしご覧なさい。あの藤本先輩と言う方の周りにはいつもいつも人だかりが絶える事がありません。

　授業の間の休み時間にかこつけて大勢の方がいらっしゃって、その結果まあ皆様の黄色い声が響き渡る事響き渡る事。

　まあねえ、顔良し器量よし運動神経よし勉強は……まあ特段って訳ではないにせよ人並みにはできると来れば女性が振り向かない方が変っていう物ですよ、ねえ。あなたもそうなのでしょう？わかりますよ。

　まあねえ、わたくしも出来得る限りの事はいたしますよ。でもねえ、とりあえず一番肝要な事を申し上げてよろしいでしょうか？

　何、わかってるわよ、やる気でしょ？…………ではどうぞ。あっ何言葉に詰まっているのかって？

　いえいえ、まあ確かにやる気は大事ですからね。とりあえず、ぶつかってみてはいかがでしょうか？わたくしはちょっと資料を探して来ますので失礼。

　…………あらまあそのお顔、どうなさったのです？どうやら……ああすいません、野暮でしたね。

　と言うか、いくら気持ちを直截に伝えたいからって、いきなり「付き合って下さい」はないと思いますよ…………。

　あなたは２年生で藤本先輩って方は３年生、つまり１年以上に渡って話すチャンスがいくらでもあったにもかかわらず、今の今までなーんにもおっしゃって来なかった方からいきなり交際を申し込まれた所で相手の方が戸惑うのが落ちと言う物でしょう。

　もちろん、あなたの方に声をかけて来る事もなかったであろうでしょうしね。

　えっ、一度あった？去年のインターハイで藤本先輩が所属するテニス部の試合で勝利した後みんなのお陰だよって、客席に応援に来ていたあなたに向けて？それはノーカウントって奴だと思いますけどねえ……。

　それからですねえ、昨日わたくし資料を探して来ると申しましたが、ちゃんと探して来ましたよ。藤本先輩の資料？いいえ、あなたのですよ。ああちょっと何ですか、年頃の女の子のプライベートを覗くだなんて無神経ですって？どうかご容赦下さいませ、そうしないとわたくしの仕事ができなくなってしまいますので……。

　どこまで掴めているのかって？

　えーっと、あなたが１７年前の４月１２日午前１１時０２分に３２００グラムで生まれて、その次の年にいわゆる年子となる弟が生まれ姉弟仲良く過ごして来て、あなたのお父さんが４７歳で不動産の会社で営業部長と言う役職についていらっしゃって大変真面目な仕事ぶりで部下の皆さんから手本さんって呼ばれている事、あなたのお母さんが４４歳で身長が１５９．５センチだと言う事、そしてあなたの足のサイズが２５．０…まあとりあえずはこんな所です。

　ずいぶんと正確なのね？ああどうも、ありがとうございます。

　ところで、もしあなたが生まれて来た時の体重が３１００グラムだったらどうなったと思います？

　何、それがどうだって言うの？ではあなたが生まれたのが１２時間前だったらどうなったと思います？それは困るですって？

　確かに１２時間前となると４月１１日午後１１時０２分と言う事になりますね、ああ確かにそうなるといろいろ訂正しなくちゃいけなくなりいろいろわずらわしいのでしょうね。

　でもねえ、お母さんの身長があと５センチ高いぐらいなら別にどうでもいいでしょう。

　何、それも困る？お母さんが自分の体型に合わせて選んで来た服の大半が台無しになるですって？５センチなんてまあ誤差って言うほど小さな数字でもないと思いますけど、そんなに深刻な数字でもないはずなのですがねえ。じゃそれじゃ足を１センチほど小さく…絶対にやめてくれ？

　いやあ、たった１がそんなに重要なのですかねえ、数字って怖いですねえ。

　ああ話が飛んでしまいましたね。あなたの資料なのですがねえ、わたくしとても深刻な一文を見つけてしまったのですよ。

　お聞きになる覚悟はございます？早く聞かせろ？まあねえ、せっかちなのはよくありませんよ。失礼ながらそれで昨日玉砕なさったのはどなたでしたっけ………。まあ、あなたの期待にお答えして言いましょう。

　あなたはですね、１０年後に結婚します。

　……あれ、表情変わりませんね。まあ２７歳って言う年齢はまあ普通かやや早い位であり、特段驚くに値しないとおっしゃりたいのでしょうか。まあ、そうだと思いましたよ。

　それでですね、あなたの結婚相手はですね、この学校の中にいます。

　おや、今度はお顔を少し赤らめましたね。

　ああもしかして、藤本先輩と言う方といずれは結ばれるとお考えなのでしょうか。

　誠に残念ですが、あなたが結婚する相手は藤本先輩と言うお方ではありません。

　おやまあ、今度はずいぶんとがっかりしましたね。よほど深くご懸想なさっていたのでしょうか。でもですねえ、間違いなくあなたのお相手はこの学校にいらっしゃるのです。何、さすがに物言いが回りくどすぎる？誰なのかはっきり言え？

　でははっきり申し上げます、あなたが結婚する相手は藤森先輩と言うお方です。

　…………ちょっと、何ですかそのお顔は。これまで苛立つような素振りこそあれど怒りを顔にたぎらせるような事はなかったあなたとは思えませんねえ。

　だいたい、あなたが聞きたいと言うから答えたのではないですか。

　何かの間違いでしょ？いや、この資料によりますとですね、確かにあなたの相手は藤森先輩と言うお方だと言う事になっているのですよ。

　資料を見せてくれ？困りましたね、そんな事をしたらわたくしはクビですよ、あなたも１７歳でしょう、人様の立場をお考えになるぐらいの事はお出来になるのでしょう。

　と言うかそうでなければ好きになってくれる相手なんていませんよ、まあこれはいわゆる一般論としてのお話ですけどね。

　ふーむ、どうもそのお顔からすると藤森先輩と言うお方に好感をお持ちでないようですねえ。まあねえ、高校の時にはどうでも良いと思っていたお方と長じて結ばれてその際にああ同じ高校にいたのだなんて言うお話はどこにもかしこにもある物で、特段気にするような……何、そんなもんじゃない？

　ところで改めておたずねしますが、藤森先輩と言うのはどの様なお方で……資料を読みながら言えばいいでしょ？全くずいぶんと乱暴な物言いですねえ。

　まあ読みますけどね。

　藤森先輩こと藤森明さんはこの学校の３年４組、テニス部所属の１７歳。誕生日は５月２０日となっています。

　おやおや、あなたが熱狂的に慕っている藤本先輩こと藤本彰夫さんと１日違いではありませんか。

　それに同じ学校の、同じテニス部で、同じクラス。名前も「ふじもとあきお」と「ふじもりあきら」、７文字のうち５文字も一緒だなんて滅多にある話じゃありませんよ。７分の５って言うと七割強ですね、

　名前がここまで近いと残る二文字なんて誤差みたいな物じゃないですかねえ。少なくともわたくしとしてはそう思いますよ？

　そんなんじゃないですって？正直な話、もし私が藤森先輩の事を全く知らないんならば今までの話でなんとなくそんな物かもねって思って交際を申し込んだかもですって？

　そのお言葉を聞いてわたくしちょっとホッとしましたよ、わたくしの持って来た資料やその資料を基にしてのお話が無意味ではなかった事が分かって……ええ？だからそんな問題じゃないんだけどですって？

　もしかしてあなた、藤森明さんと言うお方の事がお嫌なのですか？

　わたくしの手元の資料によりますと、この前のバレンタインデーと言う行事においてあなたは藤本さんにチョコレートを送りましたね。もちろん、テニス部の部室へ送ると言う形で、ね。

　それであなたを含めて４５個のチョコレートを藤本さんは受け取ったようですが、藤森さんも８個お受け取りになってらっしゃるようですね。どうやら結構おモテになるお方の様で、何がお気に召さないのでしょうか？

　えーと、ショコラティエってどういう事ですか？いや意味は存じておりますよ、パティシエの中でもチョコレートを作る専門家の方の事ですよね。ふむふむ、藤森さんの父親がそのショコラティエで、彼も高校を卒業した後はその仕事を目指していると言う事で、チョコレートに関してはかなり舌が肥えていらっしゃるとおっしゃりたいのですか。

　要するに、藤森さんにチョコレートをよこすのは自分の料理の腕前を試したいだけで誰も恋愛感情なんか抱いていないと、そうおっしゃりたいのですね。

　しかし、誰もってのは乱暴ですねえ。何かお気に入りになれない様なご理由でもあるのでしょうか。

　説明させないでよ、彼の資料もあるんでしょ、それを見なさいよ？……はいはい、わかりましたよ、読ませてもらいますよ。えっ何、くどいからまず彼の顔を見ろ？ではそうさせていただきます。

　………ふーむなるほど。藤森さんのお顔がお気に召さないとおっしゃりたいのですね。確かにあなたがお好きな藤本さんとは似ても似つかぬご面相ですが、わたくしの見たところそれほど悪くは見えませんよ。

　わたくしなりに冷静な分析をさせてもらえれば、藤本さんはクールで引き締まったご面相で藤森さんは彫りが深くたくましそうなご面相です。藤本さんとは違うかもしれませんが、藤森さんもまた良いお顔ではございませんか。

　何、私の好みじゃないのよ？でもですねえ、あなたが結婚する相手は間違いなくその藤森さんと言うお方ですよ。本当、困りましたね。

　まあ、わたくしとて打つ手がない訳でもございません。その資料に記されている名前を書き変えろ？そんな権限などわたくしにはございませんよ、無茶をおっしゃらないで下さい。

　でもまあ、それ以外の事ならば結構何でもできるのですよ？ちょっとやってみましょうか。

　……はい、ほらよっと。

　おやまあ、校庭から凄い声が響いて来ていますねえ。校庭の端っこに植わっている欅の木をほんの１本、３０センチ高くしただけなのにねえ。

　１６０センチぐらいの人間の３０センチと１２メートルの欅の木の３０センチでは全然訳が違うのに、皆さん敏感ですねえ……。

　まあわたくしが力を誇示しようとしていっぺんに、ほんの１０秒ほどで一気に３０センチほど高くしたのがいけないのかもしれませんがねえ。

　まあ、とりあえずこれでわたくしの力のほどは解っていただけたでしょうか。わたくしに力を誇示する趣味はありませんが、あなたから不信を買いたくない物でねえ、どうかお願いしますよ、そこを何とかねえ。

　えー、何々…………藤本さんに群がる他の女性の体重を１０キロほど増やしてくれ？まあ、やってやれない事はありませんが、あまり品のよろしい話ではありませんよ。それでその場合、わたくしの手でこれはあなたが望んだ事だってその方々にばらしますけれど、それでもよろしいのですか？

　ああよろしくないと、だったらそんな事など仰らないで下さい！あなたは何が気に入らないのですか、わたくしの存在と言うのならば別にそれでも結構ですよ。でも他のお方を恨む様な事はおやめになった方が……ああ、藤本さんとご一緒になれないと言う運命ならば恨んでも許しますがね、あくまでも百歩譲ってと言う枕詞が付きますけれど。まあ、落ち着いて下さい、一日ほど待って下さいよ。