ゴーストメカニックの噂

 次の日、ホームルームが始まる前の1年C組の教室で、なすびは趣味の読書をたしなんでいた。恋愛小説で、余命1年が宣告された女子高生と、その女の子に恋した同級生の男子の切ない恋物語だ。

 今年の夏休みに映画が放映されるため、その予習として読んでいる。演じる俳優や女優も今が旬の実力派の若手が揃えられており、主題歌もなすびが好きなラブソングシンガーが担当している。

 だが、映画館には1人で行く。一緒に誘える相手がいないからだ。クラス内でも話題になっているようなので、万が一1人で来ているところをクラスメイトに見られたらどうしようかという不安はわずかながらある。


「おはよう千両さん、なんか目が潤んでるけど大丈夫?」


 そう声をかけたのは同じクラスの落合ゆたかだ。家庭科部員の地味目な少女がなすびの顔を心配そうな顔で覗き込む。

 現在なすびが読んでいる小説はクライマックスに差しかかっており、危篤状態で病院のベッドで目を閉じたままのヒロインの手を、男子が優しく握って目を開けることを祈る場面になっており、それで感傷的になっていた。


 ゆたかに声をかけられて初めてそのことに気付き、慌てて目を袖で拭う。泣きそうになっているところを見られて恥ずかしい気持ちになった。


「おはよう」


 細々とした声で、目を合わせず挨拶する。できるだけ今の顔を見られたくなかった。

 いや、自分が気付いていないだけで他にも何人かがこっそり見ていたかもしれない。そう思うと腋の辺りが熱くなる。


「あのね、千両さんにちょっと話があるんだけどいいかな?」


 ゆたかは遠慮がちにたずねる。なすびは本をしまい、ゆたかの方に顔を向けた。


「話?」

「うん、実はうちの部長が、学校菜園同好会の人と話をしたいって言ってたの」

「部長さんが?」

「そう、だから今日の放課後に家庭科室まで来てほしいんだけど、いいかな?」


 なんだろうかと不安には思ったが、特に断る理由はなかったため『いいよ』と言った。


「でも、何の話なのかしら?」

「実はわたしも知らされてなくて、悪い話ではないって言ってたんだけど」


 もしそれが本当なら特に身構える必要はなさそうだ、なすびはよかったと安心した。

 ゆたかは『あっそうそう』と言って話題を変える。


「幽霊部員の噂って知ってる?」

「幽霊部員?」


 そう聞き返すが、その言葉の意味自体は知っている。幽霊部員、部活に形だけ所属して実際の活動には一切参加しない部員のことだ。

 しかし、それにしては変だった。普通はうんざりするように話すようなことのはずなのに、軽々とした喋り方をしている。


 何それという反応をするなすびを見て、ゆたかは『もしかして幽霊部員の噂を知らない?』と聞いた。


「知ってるよ、部活動に全く出てこない部員のことでしょう」

「そうじゃなくて機械研究部に幽霊みたいな雰囲気の人がいたんだけど、その人が『幽霊部員』って呼ばれてるの」


 紛らわしいなと思ったが、それ以上に気になることがあった。『いた』という表現だ。それではまるで今はその部活を辞めているみたいだと思い、『もしかして今は機械研究部を辞めたの?』と聞くと、ゆたかはうんと頷く。


「噂では機械研究部を辞めて新しい部活を探してるそうなの」

「そうだったんだ」

「それで不思議なのが、その子は機械研究部では誰よりも真面目に活動していた子だったの、それが急にいなくなるなんて不思議だよね?」


 『子』ということはその人は女子なのか、幽霊みたいな女子、どんな人物なのだろうか。

 頭の中でその人物を想像するが、井戸から這い上がってくる長髪で色白の女しか思い浮かばなかった。


「様々な部活を徘徊はいかいしているからますます幽霊、もっと言うと『ゴーストメカニック』って呼ばれちゃってるみたい」

「本人は傷ついてないのかしら?」

「あんまり気にしてなさそうな雰囲気だけど、実際はどうなんだろうね」


 そう話しているうちにチャイムが鳴り、『おっと、そろそろ戻らないとね』と言ってゆたかは自分の席へと戻っていった。


 窓から暖かい風が入ってくる。静かに鼻で深呼吸すると、暖かい空気と新緑の香りが鼻の中を満たしていった。

 今日も明日以降もいろんなことが起こりそうだが、今日も一日頑張って行こう、そんな気持ちになった。

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