さいえん

けのん

プロローグ

あいこの部活巡りの旅

 滝井たきい高等学校に入学してから2か月が経過したが、戸間とまあいこは未だに部活動を探していた。いや、たった今から探し始めたのだ。

 

 入学したての時点では、あいこは『クラスのみんなと仲良くなる』ことだけを考えて学校生活を送っており、その甲斐かいあって願いは達成された。


 毎日みんなに明るくあいさつする。

 みんな下の名前で呼ぶ。

 人が嫌がることは絶対にしない。

 世界は楽しさと優しさと明るさで満ちている。


 これらを座右の銘として、彼女は今まで学校生活を送ってきた。そのため、小学生の頃はクラスの人気者で、中学生の頃はクラスメイトのモテない男子たちを勘違いさせてきた。彼女の小柄で愛らしい容姿も、その一因である。

 そんな罪深い存在であるにもかかわらず、おそろしいことにあいこは女子からも全然嫌われていなかった。それらのふるまいは打算を1ミリも感じさせないものであり、彼女の存在がクラス全体にとって、学校生活の癒しとして機能していたからだ。

 

 そしてそれは、高校でも同様だった。すぐにクラスのマスコットとなり、明るい空気を充満させていた。


 だが、そのことだけを考えていた彼女は今になって部活動を探すことになった。『クラスのみんなと仲良くなる』と『部活動を探す』を、彼女は頭の中で両立することが不可能なのである。

 すなわち、彼女の頭に『マルチタスク』という概念はないのだ。


 自作の鼻歌に合わせ、愉快にスキップを踏みながら彼女が向かったのは家庭科室だ。中から味噌の香りが漂ってくる。

 あいこは口の端から唾液がこぼれそうになるのに気付き、唇に力を込め、唾を飲み込んだ。

 引き戸を開けると、家庭科部員たちが一斉に彼女の方を向いた。


「こんにちは! 1年A組の戸間あいこです! 見学していいですか?」


 あいこは元気よくあいさつした。家庭科部員たちは『なんでこの時期に?』と一瞬疑問に思ったが、快く受け入れた。あいこを手近な席に案内し、座らせる。

 ニコニコしながら座る彼女に、1人の部員が声をかけた。丸メガネをかけたおさげ髪の地味めな少女である。


「戸間さんこんにちは、1年C組の落合おちあいゆたかです」

「うん! よろしくねゆたかさん!」

「えっ?」


 いきなり下の名前で呼ばれたことに動揺するゆたか。しかし、ダメ押しするかの様にもう一度『よろしくね』と言われ、まあいいかと思った。あいこの笑顔に邪念や打算といった類のものが一切感じられなかった。


「この匂い、みそ汁だね!」

「ええ、ちょうどできたてだから戸間さんも飲む?」

「いいの!?」

「うん」


 餌を目の前にした犬みたいだなあと思いながら、クッキングヒーターの上に乗った鍋からみそ汁をお玉ですくい、それをプラスチックのお椀に入れてあいこに差し出した。

 あいこはそれを受け取り、みそ汁の表面に何度も息を吹きかける。

 その回数があまりにも多く、それがおかしくてゆたかは微笑んだ。


「戸間さんは猫舌なの?」

「うん、揚げたての唐揚げとか絶対食べられないよ、お肉の汁でやけどしちゃう……よし、もうそろそろいけそう」


 あいこはお椀を口元に持っていき、端に口をつけて傾けてみそ汁を唇に軽く触れさせる。それで適温であることを確認した後、みそ汁を口の中に入れた。


「おいしい!」

「喜んでもらってよかったわ、これはね、『あごだし』を使ってるの」

「アゴってこれのこと?」


 あいこはそう言って自分の顎を指差す。


「ううん、トビウオの出汁を『あごだし』って言うの、九州が由来の言葉なんだけど、顎が出てるように見えるからとか、固くて食べるときに顎を酷使するからとか諸説あるんだって」

「詳しいんだね」


 あいこにそう言われ、ゆたかは悪い気がしなかった。ゆたかは本心から『ありがとう』と言った。


「それで、あいこさんは料理の経験はある?」

「うん! 聞いて驚かないでよ、お湯を注いで3分」

「わかった、ないのね」

「まだ途中までしか言ってないのに……」


 あいこはそう言って口を尖らせる。


「それなら、今日だけの体験入部してみましょうか」

「うん! 任せて!」


 あいこは胸を張るが、ゆたかは嫌な予感しかしなかった。



 ゆたかの予感は的中した。否、それ以上のことが起こった。


 目玉焼きを作ることになったのだが、卵をうまく割ることができなかった。

 あいこはカッコつけて片手で割ろうとした。結果、卵を割るのではなく握りつぶしてしまったのだ。それで周囲に飛び散り、フライパンの中に落とすことができたとしてもほぼ白身と黄身が混ざりきっている状態だった。

 完成したのは目玉焼きではなく、言うなれば2色のアメーバ焼きだった。


 いつも明るいあいこも流石に落ち込み、部員達に謝った。

 そして、汚したところを布巾で徹底的に掃除し、一言も会話をしなかった部員にも1人ずつ律儀にお礼を言って回った。


「うーん、ダメだったなあ……」


 下駄箱近くを、こうべを垂れながら歩いていた。

 あれから彼女はロボット研究部、オカルト研究部、吹奏楽部などのいろんな文化系の部活を渡り歩いた。中学生の頃はバレーボール部だったため、高校は文化系にしようと決めていたのだ。


 バレーボール部としては残念ながら振るわなかった。運動神経が悪いわけではないが、低身長が災いしてレギュラー入りを果たせなかった。だが、走り込みだろうと球拾いだろうといつも前向きに取り組む彼女の姿は部の雰囲気を良い方向に導いていた。


 時刻は午後4時半、まだ外は明るい。硬式野球部員が声を張り上げながら一列になって走る様子が玄関から見えた。


「よし、気分転換に一旦外に出てみようかな」


 あいこは自分の靴箱から外履きを取り出し、上履きと履き替えた。玄関から出ようとする瞬間、ふと横にある掲示板が目に入った。


「学校……さいえん……?」


 そこには、手作り感のある同好会の勧誘ポスターが貼ってあった。

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