第4話 満地球と真珠の夢
ジョシュアと絵莉花がハルファ宇宙センターに来て、三日目の朝を迎えていた。
前日までに、管制室やコンピュータ・ルームなどの重要施設を広い窓越しに通路から見学し、最新のプラネタリウムで宇宙と星の話を聞き、電波望遠鏡も見せてもらった。
今日は、展示室を見学し、宇宙開発の歴史の話を聞いた後で、スペースシャトルによる離着陸のシミュレーションをする予定だ。
「絵莉花さんの身内とあっちゃあ、一般の見学者以上にサービスしなくちゃね」
口髭を生やしたムハンマドという名の案内係のアラブ人は、機嫌良さそうに言った。
「一般の見学者って、沢山来るんですか?」
ジョシュアが質問をすると、ムハンマドはますますニコニコして言った。
「いや、辺鄙な所だしね。団体さんも時々来るけど、一通り説明を聞いて見て回ったら直ぐ次の目的地に出発さ」
訓練生の多いときや重要な調査・実験の最中など忙しい時には、その団体も含めて見学を断るという事だった。
ジョシュアは、それとなく絵莉花の事も訊いてみた。
「絵莉花さんが以前ここに居た時? そう、僕がここに来たばかりの頃だね。いやあ、絵莉花さんは仕事熱心でね、忙しい時期だったから、八島教授は勿論、皆物凄く助かったみたいだったよ。その上あの通り優しくて美人だからね。密かに絵莉花さんに憧れる者は多かったよ」
ムハンマドは、照れたように頭を掻きながら、嬉しそうに話した。
着替えを済ませた絵莉花が現れたので、ジョシュアの詮索はそこまでとなった。
絵莉花は、朝食の時、淡い緑に白とピンクの花模様のワンピースを着ており、とても似合っていたのだが、ジョシュアが今日のシミュレーションを一緒にやろうと熱心に誘ったので、活動的な服に着替えてきたのだった。
絵莉花は決してジョシュア一人を放っておくような事はせず、必ず案内人を付けてくれたし、一人で何処かに居なくなるような事も無かったが、ジョシュアのほうが絵莉花から目を離すのは心配だった。
Tシャツにブルージーン姿も、絵莉花にはよく似合っていた。
一般の見学者は少ないということだったが、展示室は割と広くて、アポロやスプートニク、サターンロケット、月面車、エンデバー、ソユーズ、SRS-Z……etcといった宇宙開発曙期からの模型もあり、プラトー月面基地やニュー・フロンティア号の模型もあった。
月の表、雨の海付近に位置するプラトー・クレーターを中心とした位置に、通常ルナ・ベースと呼び習わされているプラトー基地は在る。
地震が無い、大気が無い、裏月面では地球からの光や電波等の影響を受けないといった、研究・観測施設に適した条件から、約百年前に月面開発は始まり、今では、国際共同月開発機構によって、地球上にも類を見ない充実した総合科学研究施設が整えられているが、中でも、プラトー基地はその中心となっている。
見たところ大して大きくはない。クレーターを利用して作られ、ドームで蓋をされた施設の殆ど半分が、いわば地中に埋もれた形になっているのだ。
ただ、全てがドームで覆われている訳ではない。重力が地球の六分の一であり、大気が存在しない為に風も無いという地の利を生かし、アンテナのように突き出た、奇妙な形の高層施設もある。子供が気まぐれに大小の積木を並べたような、一見無防備そうなモジュールも点在している。
観測、研究、製造、居住といったそれぞれの目的に適したそれらの施設は、半透明なパイプラインで繋がれ、全体として有機的に機能しているのだと、ムハンマドは説明してくれた。
「ドーム内は、六分の一の重力はどうにもならないけれど、医療設備は勿論のこと娯楽施設も整っているし、技術は地球上より進んでいるし、生活環境は抜群だよ」
ルナ・ベースでは、人々は地球標準時に合わせた一日24時間のサイクルで生活しているというが、月面では、その24時間のサイクルとは無関係に昼と夜が2週間ずつ続く。ドームの外には大気も無い。従って昼と夜との温度差は激しく、昼は摂氏134度、夜はマイナス170度にもなる。それをドーム内では莫大なエネルギーを使用し、コンピュータで制御して、常に摂氏15度から25度前後にコントロールしているという。
人間の為でもあるが、精密な機器類のメンテナンス上の問題の方が重視されているらしい。
濃い大気に包まれ、適切な温度と湿度を難なく手に入れられる地球とは、なんて素晴らしい星なのだろうとジョシュアは思った。
ニュー・フロンティア号も、現在はルナ・ベースの宇宙船ドックにある。ムハンマドの話では、既にテストも終了して最終チェックと調整の最中だという。
二日後、世界時間の午後3時、ハルファの時計では午後5時、ニュー・フロンティア号は月のプラトー基地を離れ、中継ステーションSRS-Zに向けて出発する。月面脱出にはルナトロンを用いるので、船のエネルギーは使用せずに済む。
SRS-Zとは、SRS-Ⅲと同様に地球の大気圏外千キロメートルの衛星軌道上を四時間周期で巡る1/3Gの人工重力を持つ衛星基地だ。38時間後にはSRS-Zとドッキングし、共に地球を7周する間に資材と全ての移民を積み込み、SRS-Zから切り離され、重力推進法を用いて再びアルファ・ケンタウリに向かって出発する。
すなわち、いったん地球に向かって地上183キロメートルの衛星軌道に乗り、地球を半周する間にその重力を利用して加速し、そのまま今度は太陽に向かい、太陽の重力場を利用するスイング・バイによって更に加速して、地球からは4.3光年離れたケンタウルス座アルファ星群へ向かう。
現段階では、この方法が最も効率良く最高速度に達することが出来るらしい。
「アルファ・ケンタウリには、いつ到着するんでしたっけ?」
ジョシュアが質問すると、ムハンマドは相変わらずニコニコして言った。
「ニュー・フロンティア号の平均速度は時速2400万キロメートル。計算上では、96.75年後に到着することになっているよ」
「殆ど百年後か。僕なんか、もう生きていないだろうな。で、ニュー・フロンティア号の乗員達は、その長い時間を人工冬眠しながら過ごす訳ですよね」
「そう。酸素、食料、そしてエネルギーを節約し、加齢を防ぐ為にね」と、ムハンマドは答えた。
「殆ど百年。そう、確かに長い。でも、無事に目的地には着けるだろう。インシャーアッラー(「神のご意志があれば」という意味のアラビア語)」
ニュー・フロンティア号のメンバーは、5年前から人選が始まり、3年前に候補者が絞られ、2年前には既に決定していたという事だ。それは、ニュー・フロンティア号のメンバーに適した若者を早期から確保して訓練する為だったらしい。
今や火星にも研究基地と資源採掘基地が出来、木星のガリレオ衛星にも進出し始めているし、冥王星にまで研究基地が作られている時代だが、アルファ・ケンタウリへの旅は太陽系内惑星調査とは訳が違う。
ニュー・フロンティア号は、二度と地球に戻る予定は無い。そして、誰も体験したことのない全く未知の旅になる。移民する惑星がどんな星か、前世紀から積み重ねられた調査データは在るにしろ誰も実物を見たわけでは無く、地球の太陽と同じスペクトル型Gの恒星とは言え、良識ある地球市民なら、決して好き好んで志願などしないだろうと、ジョシュアには思えた。
「冷凍されてずっと眠っているなんて、僕なら聞いただけで寒気がしてくる。地球より素敵な星が在るとは思えないし、僕なら絶対に行きたくないな」と、ジョシュアは言った。
「そうかい? でも、志願者は結構多かったらしいよ」とムハンマドは言った。
「純粋に科学的好奇心を動機に持つ者ばかりではないと思うけれどね。人選に2年も掛かった理由の一つは、夢なんだって。意外だろ?」
ジョシュアにとって、そんな事はどうでも良かったのだが、ムハンマドの勿体ぶった言い方に付き合い、興味を引かれたようにムハンマドを見て頷いた。
ムハンマドは嬉しそうに続けた。
「問題はね、殆ど百年間眠っていなければならないって事なんだよ。眠っている間は、当然、レム睡眠とノンレム睡眠が繰り返される。人工冬眠に於いても、緩やかながらそれは同じで、要するに夢を見るっていう事なんだが、百年の間見る夢が悪夢だったら、向こうに着いて目を覚ました時には、精神に異常を来しているって事にもなりかねない。地球上と違って、宇宙空間は電磁波や太陽宇宙線、銀河宇宙線などの影響もあって、悪夢に冒されやすい環境なんだ。地球生物っていうのは意外とタフで肉体はある程度適応できるけれど、精神の方はそうでもないらしくてね。人工冬眠装置にはコントロール装置が付けられてはいるけれど、本人の資質に寄るところも大きいそうだ。つまり、宇宙空間での人工冬眠中に、美しい夢に包まれて眠ることが出来るかって事が重要になってくるんだよ」
「宇宙が星の海なら、宇宙船は波間に漂う貝だわ」
黙っていた絵莉花が呟くように言った。
ジョシュアは絵莉花のほうを振り向いた。
絵莉花は、少し先の壁の前に立っていた。
「宇宙船の乗員達は、その貝の中で眠る真珠。本物の真珠貝は、進入した異物から貝自身を守る為にそれを真珠層で幾重にも包んで真珠を作るけれど、この場合は逆ね。乗員達は、自ら織りなす美しい夢という真珠層に包まれて、深淵の海である宇宙空間から守られる。そして、宇宙船が太陽系の岸辺を離れ、遙かな星の海を越えて、何時かアルファ・ケンタウリの渚に着いたら、その光の静寂の中で、初めて陽光を浴びた真珠のように目覚めるんだわ」
絵莉花は、壁を見つめたまま、詩の一節を口ずさむかのように言った。
「宇宙船は貝、乗員はその中で眠る真珠ね、ロマンチックだ」
ムハンマドは頷きながら言った。
ジョシュアは本物の真珠なんて見たことは無い。近頃では、真珠貝から生み出される本物の真珠は、ダイヤモンドよりも高価だ。真珠を生み出す阿古屋貝が、かつて大規模に死んでしまったかららしかった。
ジョシュアが真珠といって思い出すのは、あの夏の日の、クローバーの絨毯に散らばっていた無数の朝露だけだ。絵莉花は真珠が好きなんだろうか。四日後の滞在最終日は絵莉花の誕生日。もしあの朝露が本物の真珠だったら、糸で繋いで首飾りにして、絵莉花に贈るのにとジョシュアは思った。
「この立体映像は?」と、絵莉花が目の前の壁際を示して聞いた。
「ああ、それですか。美しいでしょう。月面から見える“満地球”。ルナ・ベースから電送されてきたものの一つです」
ムハンマドは相変わらずにこにこして答えた。
ジョシュアも、絵莉花の隣に立ってその立体映像を眺めた。
月面の真夜中には、満月ならぬ“満地球”が見られる。絵莉花がじっと動かずに見つめているのは、プラトー基地の北の地平線上に浮かんだ、地球の立体映像。宇宙の真珠とも嘔われる希有な存在、息が止まるほど美しい地球の姿。
「美しい私達の故郷。そう、誰しも喜んで地球を離れはしないわ」
絵莉花は呟いた。
ジョシュアは思う。いくら夢と冒険の為でも、科学の発展の為でも、二度と帰れないと分かっていて地球を離れたいと思うだろうか。青く美しい地球を、実際に自分の目で見てみたいとは思っても、その美しい地球を足の下に感じているほうが遙かに素晴らしいと思えるのだ。
「それじゃあ、何故、人類は宇宙を目指すのかな」と、ジョシュアは呟くように言った。
「それは仕方が無いわ」
遠くを見つめるような目をして絵莉花が答えた。
「人は、宇宙に、神を捜しているのよ。自分とは何か、人類とは何か、地球文明には一体どんな意味が在るのか、それを知りたくて」
絵莉花は、ジョシュアの方を見て微笑んだ。その愁いを帯びた微笑は、ジョシュアの中にわだかまっていた不安を再燃させ、暗い気持ちにさせた。
「ジョシュア、どうかしたの?」
絵莉花に声を掛けられ、ジョシュアはハッとした。
「何でもないよ」
「そろそろ昼食にしましょう。シミュレーションをするなら、昼食後は充分時間を取ったほうがいいわ」
絵莉花の言葉に、ジョシュアは
離着陸シミュレーションに関心が無いわけではない。けれど、日頃とは違うように見える絵莉花の微笑みのほうが、ジョシュアには何倍も気になるのだった。
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