オフィーリアの花婿

潁川誠

episode-0



ぱちぱちと、焔の音がする。

ぐるりとあたりを見渡せば、燃え盛る城の真下、庭に咲き乱れるガーベラやパンジー、赤薔薇や白薔薇に炎が移っていた。美しかった花弁は真っ黒な炭となり、あっという間にメラメラと燃えて往く。

ああ、花が燃えると、焦げ臭さよりも生臭い香りがするなんて、知らなかった。

瞳を上げれば淡い城の桃色の煉瓦が、鮮やかな炎の色である赤に染まっていることに気付いた。メラメラと燃え踊る焔とは別に、粘着質な鉄錆の匂いがするそれはべったりと城壁一面に、地面に、もはや赤い花が咲いているところなどないかのように着いている。


熱い、痛い。


息を飲み込むたびに喉奥から焼けるような鈍痛を感じる。あまりの痛みに顔をしかめれば、頬に汗と涙が伝った。しかし、それすらも焔によって蒸発してしまった。


ふと、母の言葉を思い出す。


「イリア」


暖かな春の陽だまりのような人だった。


「この城の秘密を教えてあげましょう。淡い桃色の煉瓦は、母が好きな色なんですよ。ですから、陛下がこの色に変えてくださったのです。」


穏やかに笑む母の顔が脳裏に浮かぶ。またじわりと涙が浮かんだ。


嗚呼、どうして。

この世界は、こんなにも赤かったろうか。

こんなにも、熱かったろうか。

どうして。こんなにも世界は。

不平等なんだろうか。


重たい灰褐色の空から、雪が降っている。どうせならば、雨を降らせてくれればいいのに。

神様、わが主よ。どうして、あなたはこんなにも酷い仕打ちをなさるのですか。

焔を消してください。炎を、消してください。


手を伸ばす。

けれど私の手は、もう何も掴んでいなかった。



フィエール王家は、小さな国を治める小さな国の王族だった。


王というよりかは領主に近い存在であるフィエールの当主とその妻は穏やかな性格から、国民たちに深く愛されていた。王と王妃には2人の子供がいた。豊かなくるぶしまである長い黒髪を波打たせ、青い瞳を持った、無邪気な笑顔が美しい明るい性格の美しい姉──レティシアと、腰まであるくすんだ茶色の髪に、ターコイズのような深い青色の瞳をもった、大人しくも穏やかな美しさを内包した慎み深い妹──イリア。美しい姉妹の姫君を国民たちも、両親である王と王妃も、とても強く愛していた。

姉妹はとても仲が良かった。レティシアはイリアの手を取って、様々な場所に連れ出した。城の後ろにある深いファニールルーの森や、ガルアの白水の泉、ピクニックだといってお弁当を持って行ったり、ニンフの真似事をしてお母様の高いレースのショールを持って遊んで、ひどく怒られたり。


明るくも心優しい性格のレティシアにイリアはひどくなついており、二人は姉妹というよりかは親友のような関係だった。レティシアの手を握って、おどおどと着いていくイリアを人々は温かい目で見守っていた。レティシアはレティシアで、博識なイリアから色々教えて貰っていたし、そんなイリアのことをレティシアは「私のアテネちゃん!」と呼んでいた。


ところで、フィエール王家には代々伝わる王家の秘宝があった。

それは、フィエール王家の領地を治める者としての証──即ち、王族としての王位を継承するものという証拠になる──ローズクォーツの欠片──であった。フィエール一族は代々女性が跡を継ぐ。だから、その証は二人の生母であるマリアが持っていた。

寝る前に、母はイリアとレティシアに本を読んでくれた。柔らかい声音と共に、そのとき、月光に照らされて鈍く光るローズクォーツのネックレスがイリアはすきだった。


母はいつもお話をこう締めるのだ。


「──そうして、人々は、みーんな、みんな幸せになりましたとさ、おしまい。」


たとえどんなに悲しいお話であっても、どんなに恐ろしい話であっても、母はいつだってラストを少しだけ改変して、レティシアとイリアに話すのだった。一度、「なんでおかあさまはぜんぶしあわせにしちゃうの?」とイリアが尋ねたことがあった。その質問に母は目を丸めて、コロコロと鈴のような笑い声をあげて答えてくれた。


「物語の終わりは幸せでないといけませんからね」


シェークスピアの物語であっても、どんな悲劇であっても、母の手にかかればまるで魔法のように喜劇へと変わる。レティシアもイリアも、そんな母のことが大好きだった。


「2人とも、幸せになりなさい。幸せな結末とは自分で選んで、掴み取るものなのですよ」


そんな母の言葉に、レティシアもイリアも強く強く頷くのだった。


それは穏やかで、幸せな日々だった。

優しい母に、穏やかな父。

心が豊かな国民たちと、無邪気で美しい2人の姫。

他国の侵入も受けず、領主たちとの関係も良好で。

まるで絵に描いたような、満ち足りた日々だった。



けれど、そんな幸せは呆気なく壊れた。





城に火が放たれた。


そんな叫び声を聞いた時、あまりにも非現実的すぎて、イリアには嘘のように思えた。イリアは三階の図書館で本を読んでいた。幸せな物語ばかりを集めた母の蔵書に囲まれて、イリアも幸せな世界へ没入していた。だから、気付かなかった。気付くことができなかった。


「イリア!!」


血相を変えた母が部屋に飛び込んできて、イリアを見るやいなや強く抱きしめた。そのあまりの強さに、イリアは「ねぇ、お母様どうしたの?」と尋ねることしか出来なかった。母の肩口に顔を填めたことで白百合の香りがふわりと薫った。それは、母のお気に入りの香水だった。母の香りに心が落ち着いていく。母の表情が見たくて、肩越しに顔を上げてみたが、あいにく何も見えなかった。


そんな母はイリアの背中に手を回しながら、口早に言った。


「イリア、よく聞きなさい。城に火が放たれたました。あなたもよく覚えていますね? ──セルジュ・オダシウス、お父様の1番の臣下であった彼が、城に、火を放ちました…」


泣きそうに震えた声で母はそう言った。


「セルジュは、お父様を殺しました。それだけではありません。城のもの達は皆、セルジュの部下によって手にかけられています。レティシアも、どこにいるのか分かりません。……私は、このあとレティシアを探しに行きます。ですから、イリア。あなたは、逃げるのです。」


母はばっと体を離した。母の強い瞳がゆらゆらと揺れていた。泣きそうになりながらも目を見張った母が、首元のローズクォーツのネックレスを取った。


「これは本来ならば、姉であるレティシアに渡すべきものです。しかし、今の状況では、私は……っ…より生き残る可能性の高い方に、この秘宝を渡せねばなりません。」

「おか、さま」

「イリア、イリア──私の可愛い子。フィエール王家は、我が一族の命運は、貴女の双肩にかかっています。必ずや、我が一族の恨みを果たしてください。」


そう言いながら、母は有無を言わさずイリアの首にネックレスをかけた。

戸惑いながらも、イリアは母のドレスの裾を握り締める。行かないで、というように縋るように見上げれば、母は厳しい表情で首を振った。


「時間はありません。さぁ、行きますよ!!」


母に腕を取られ、イリアと母は部屋から飛び出した。

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