第16話 意義


「この世界にさ、『勇者』がいたんだって」


講義終了10分前、先生が俺に問いかけた。

本来であれば、入学して間もない俺が受けられる講義ではない。


事情を汲み取ってくれて、聴講生として参加できている。


元々、少人数制の講義ではあるものの、今日に限って他の学生がいない。

すべての問いかけが俺に集中する。

正直、一対一は思っていた以上にキツい。


「もちろん、その肩書きはすぐに取り上げられてしまったけれど、彼が歩むはずだった物語がここにある」


俺の緊張などつゆ知らず、先生は教卓の上にある本を指で叩く。

分厚いハードカバーの本と十分の一程度しかない薄い本だ。

他の学生がいないことをいいことに、人の裏事情に一気に踏み込んできた。


あの世界を研究している専門家と聞いていたから、多少は覚悟はしていた。

ここまで酷いとは思わなかった。距離感ってものを知らないのだろうか。


「ブレイブって名前なんだけどね。

彼の最期はひどく悲しいものだった」


自分には両親が生前に付けた名前があるらしい。

そちらの名前は二人の遺志を尊重し、使わなかったらしい。

その代わりに、俺を拾ってくれた人の名前で呼ぶことになった。


ややこしい話だし、理由を問われても答えられない。

だから、その話も永遠に秘密になる予定だった。

自分のルーツも施設の先生が酔っ払ったときを狙って聞いた話ばかりで、細かいことは分からない。


「そんなに気に入らないかい?」


「気にいるも何も…… 俺のことをどこまで知ってるんですか」


「そりゃあ、世界中にある預言書の中身が何の脈絡もなく差し替えられたからね。

『勇者』について書かれた項目だけが、ごっそり消されたんだ」


預言書は神の言葉について、まとめられた書物である。

そこに書かれていることはいいことも悪いことも、必ずその通りに起きた。

ある瞬間を境に、本の内容がまるごと抜き取られてしまった。

これは預言書には書かれていないことだった。


その後、そのページだけ別冊で補うことになり、必ず二冊がセットになっている。

存在しないものについて綴られている部分を残しているのは、歴史として価値があるからだ。


「君は知らないだろうけど、あの時は本当にすごかったんだ。

講義に使っていた本の内容が目の前で消えちゃったんだから……ほんの少し前に関所付近で花火が上がっているのを見たって話もあって、その日の講義はすべて中止せざるを得なかったね」


それだけ大きな影響を与えたのか。

内容を復活させることができたのも、それだけ多くの人を巻き込んだからか。


「俺もすぐに魔界に行ったんだけどさ……お偉いさんは王国の賢者来訪とか何とか言ってたけど、そんなわけなかったんだよね」


『勇者』を取り戻しに、彼らは魔界へ乗り込んだ。

あの花火を間近で見た生徒によれば、賢者が兵隊を連れていた。

少なくとも、楽観的な状況には見えなかった。


考えるまでもない。この人は専門家だ。

世界中に影響を与えるであろう存在をずっと注視していたのだ。


「もし、預言書の通りのことが起きたら、どうなっていたんでしょう」


無言で小冊子を渡してきた。短めの小説くらいの厚さだから、すぐ見つかるだろう。

該当のページをめくりながら探す。


「ついに魔王城にたどり着いた勇者とその仲間たち。

しかし、魔王が用意していた卑劣な罠によって、議論に持ち込まれてしまった。

果たして勇者一行の運命はいかに?」


勇者が玉座にたどり着いた場面があった。

戦闘になることなく、会議室に案内されている。


「その預言だって、肝心の『勇者』がいなきゃ成立しない話なんだよね。

別冊で復刻させたところで、英雄は現れないよ」


首を横に振った。もう何年も前の話だ。

今更、何にもならないのだろう。


「こういう結末も皮肉めいてて俺は嫌いじゃないけどね。

結局、現実なんてそんなもんなんだよ」


完全に拍子抜けしまって、戦う状況ではなくなってしまったらしい。

悪びれた様子もなく、話し合いが当たり前であるように、この少女は振舞っている。


「『勇者』って何だと思う?」


「自分の正義を信じる人、でしょうか」


「その正義がまちがっていたとしても?」


視線が鋭くなる。今日で何回目だろうか。

獲物を見つけた猫みたいだ。


「……まちがっているかどうかなんて、分からないと思います。

みんなそれぞれ考えてることは違うわけですし」


この話し合いも正義とすらいえない。

現実を突きつけることが正しいことでもないはずだ。


「ねえ、『勇者』くん」


「俺はソラです。『勇者』なんて呼ばないでください。

そんな名前はとっくのとうになくなったんですから」


耐えきれなくなって、強めに返してしまった。

物騒な肩書きを引っ提げて、この世に生まれた。

赤ん坊に背負わせるにはあまりにも重すぎる看板だ。


世間からの重圧に耐えきれず、両親は死んでしまったのかもしれない。


「そっか、それは悪かった。

さて、『勇者』の力はなくなって、ただの一般人になってしまったけれど。

これからどうするつもり?」


なるほど、このことを聞き出すために無理矢理お題と結びつけたわけか。

ややこしいことしないで普通に聞けばいいのに。


「自分のことをちゃんと知りたいんです。

何があったのか、よく分からないし。

それと、拾ってくれた人にもお礼もしたい」


「分かった、落ち着いて。熱意は伝わったから」


先生は少しだけ笑った。

結局、『勇者』と呼ばれていたことしか分からない。

自分のことが何も分からない。


だから、自分から探しに行く。

もう少しだけ待ってて。

いつか絶対に会いに行くから。

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