第14話 離別


しばらくの間、アベルはぴくりとも動かなかった。

ずっとベッドの上で眠り続けていた。

これに関しては放置するしかないようで、エリーゼが見守っていた。


シェフィールドは一連の出来事をまとめていた。次があっても対応できるように、記録を残す。


王はページが消えた預言書を見て、呆然としていた。

三賢者とイバラと魔王、シェフィールドが立ち会ったが、本を前に崩れ落ちる姿に、誰もが哀れみの目を向けていた。

誰だってそうなるよねと、全員の顔に書いてあった。


自分の行いに反省したのかどうかは定かではないが、一歩まちがえれば戦争になりかけたことは悟ったようである。


強制的にすべてが終わってしまった。

未だに事態を把握できない点が多い。


この件の説明に骨がばっきばきに折れたが、実力者たちがおもちゃ同然に扱われていたことを考えれば、悪い方へ向かっていないはずだ。


そして、預言書の内容が変わったことで、周辺各国の魔界に対する考え方も多少は変わったらしい。本の内容を変えることはできても、信徒たちの認識が変わったわけではない。


『犯罪者が統治する世界』から『喧嘩を売ってはいけない相手』という認識に変わったようだ。


シェフィールドの手が止まる。

印象がよくなったと言えるのかな、これ。

むしろ駄々下がっているようにしか思えないが、外から人が気軽に来るようになったのはまちがいない。


『勇者』とかいう危険分子が現れることは、そうそうないだろう。

国家の方針がどうなるか分からないが、次があっても対応できる。そう思いたい。


***


賢者の突然の視察訪問に見せかけた闘争も無事に終えたのち、アベルはようやく目覚めた。イバラは仕事が終わってからすぐに向かった。


「アベル、おひさしぶりですね。調子はどうですか?」


「イバラ! ごめんなさい。なんかすごいことになっちゃって、えっと……」


大粒の涙をこぼしながら、すがるようにイバラの腕を掴む。

自分自身でも事の重大さが分かっているらしい。


「大丈夫ですよ。エリーゼが力を貸したと、お聞きしました」


「そう! 夢みたいだったんだけど、全部本当のことだった……」


「とにかく、体に異常がなくてよかったです」


紙を食べるという信じられない話を聞いて、居ても立っても居られなかった。

ヤギですら身体を壊すと言われているのに、調子は悪くないように見える。

それだけ決意が強かったということか。


「そうだ。ソラは? あの子はどうなった?」


「ここにいますよ」


この子もまた、彼女の隣で眠っていた。

『勇者』としての役割から解放された。


「よかった……ちゃんといた」


ほっとしたように、長く息をついた。


「この子もあなたと同じようにずっと眠っていたんです。

目が覚めなかったら、どうしようかと思いました」


「みんなに心配かけちゃった。ありがとう」


アベルが抱き上げると、赤ん坊はようやく笑った。

これで普通の人間に育つのだろうか。


「あの変なヤツも消えちゃったんだね。

よかった、頑張った甲斐があった……」


嬉しそうに抱きしめる。頭上の数字も消えた。

ただの赤ん坊だ。王家の管轄対象外となった今、面倒を見るよう言われてしまった。


彼女の希望通り、人間界で誰かが面倒を見ることになる。こちらのことを知られることはない。


これからのことも話しておきたかったが、その気も失せてしまった。

互いに微笑む姿を見て、どうして別れ話が切り出せようか。

しばらくはそっとしておくしかないだろう。


「それでは、私は失礼いたします。

調子に乗って外へ出歩かないように。今は安静にしていてくださいね」 


「はーい」


アベルは間の抜けた返事をした。


***


その日は案外、早く来た。


「そういえば、ソラを預かってくれる施設って見つかったの?」


いつ切り出そうかとぐずぐずしているうちに、アベルから話を振られてしまった。

その辺は割り切っていたとはいえ、エリーゼは絶句してしまった。


「あ、まだなら別にいいんだけど……」


「いえ、こちらの事情を聞いてくれたようで、すぐにでも預けられるみたいです。

定期的に報告書なども送ってくださるみたいで、その辺は安心していいと思います」


「へえ、結構しっかりしてるんだね。すごいや。

それじゃあ、何すればいい?」


ソラを抱えながら、テーブルを片付ける。

一時的な保護とはいえ、あっさりとした別れに驚きを隠せなかった。


「これが必要書類です。よく読んでくださいね。

一応、一通りのことは聞いてきましたから」


何も人間界にこだわることもない。

こちらに住まわせるというのも、一つの選択肢だ。

ソラも慣れてきたようだし、離れる必要もないのではないか。


「みんなにずっと迷惑かけてばっかりだったからね。

休んでいた分、頑張らないと」


そうだ、最初から決めていたではないか。

魔界にいるのはよくないと、ずっと言っていた。

人間界に戻れるならそれが一番だと、話していたじゃないか。


「ねえ、エリーゼ」


「どうしました?」


「これ、どういう意味?」


書類を指さす。

迷いのない瞳を見て、確信した。


「本当に強いのですね、この子は」


「何か言った?」


「いいえ、何でもありませんよ」


首を緩く振った。

それは私たちが決めることじゃない。


『お前らが思っている以上にアイツは強い奴だ。

残酷な現実から逃げさせるための優しい嘘なんかつくんじゃねえ。

そっちのほうがよっぽど傷つく』


先代の言葉が脳裏をよぎった。

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