コードトーカー

クソクラエス

コードトーカー


コードトーカー(Code talker)とは、国外にはその言葉を解するものがいない固有の部族語をコード(暗号)として前線での無線通信を行うため、アメリカ軍が使用したアメリカインディアン部族出身の暗号通信兵である。




 或る冬の日の朝に私宛に一通の封筒が届いていた。

 肌触りの良いその茶封筒には、見も知らぬ人物の名前がそっと書かれている。ご丁寧に階級までも加えて。

「こいつはやっかいごとだな」

 私は暖炉の前まで移動すると、中から一枚の手紙を取り出して読み始めた。

『拝啓

 突然このようなお手紙を送ってしまい申し訳ありません。この度、ぜひ先生のお力をお借りしたいのです。詳細につきましては文面で説明することはできませんので裏面にある日時に国防省までお越しいただけたら幸いです』

 手紙をひっくり返すと文中にもあった通りに日時と場所が書かれている。しかもよく見てみると明日ではないか。

「だから軍人というものは気に食わないのだ」

 私はそっと眼鏡を外すと、すぐさま電話をした。

「ああ、そうだ。だから明日の会合には出席できないと伝えておいてくれ」

 電話相手の女性を少し困らせてしまったことを申し訳なく思いながら、私は妻の淹れてくれたコーヒーをゆっくりと飲んだ。


「先生、本日は急なお願いながらお越しいただき誠にありがとうございます」

 翌日、国防省で私を出迎えたのは気前のいい少佐であった。

 彼は私を大きなソファに座るよう促すと、自身も目の前に腰かけた。

「全く、少しは余裕というものがないのかね」

 早速私は彼に不平を言ったのだ。無論、こちらに非はないので当然のことである。

「はは、すみません。ただ今は戦時、軍部こちらも余裕がないものでして」

 それに対し少佐は朗らかに笑うと、一枚の地図を取り出した。

「しかしこの戦争ももうじき終わるでしょう。見てください。これが我が軍の勢力です。あと三か月もあれば敵は降伏するでしょう」

 そうして渡された地図を私はいかにも興味がないような態度で眺めた。そもそも私は軍事関係には疎いのだ。

 そうして地図をさっさと返すと、早速本題に入った。

「それは結構。で、何故今回私を呼んだのかね?」

「手紙にもあった通り先生のお力を国が必要としているのです」

「このおいぼれ言語学者を?」

「いえいえそんな」

 少佐は変わらぬ笑顔でまたもや資料を一枚取り出した。

「先生は確か戦争が始まるよりずっと前、かの国に留学していたことがありましたよね」

 ここでいうかの国とは只今戦争真っただ中の敵国のことである。

「ああ、そうだが。まさか私にスパイ容疑でも?」

「まさか。とんでもない」

 ちょっとした冗談のつもりだったが今度は真顔で返された。やはり軍人は気に食わない。

「そこで先生は、かの国の先住民族の言語を研究なさっていたと」

「ああ、間違いない」

 あれは私が三十手前の時であった。きっかけは忘れてしまったが、私はかの国の先住民族の言語を研究していた。血縁関係を大事にする素晴らしい民族だった。

 ただ先住民族たちははるか昔に入植者たちによって虐殺され、さらには同化政策も取られたことによって大きく数を減らしていた。そのためわざわざ研究しようとするものもおらず、研究していたのは私と当時出会った妻くらいであった。

「でしたら話は早いです。部屋を移しましょう」

 そう言って少佐は立ち上がると、さらに奥の部屋へと私を案内した。

 薄暗い部屋に入ると、至る所に様々な機器が置かれていた。少佐はその中からヘッドフォンを取り出すと、私に手渡した。

「簡単に今回の依頼内容をご説明します。この戦争において我が軍の暗号解読部隊は多くの暗号を解読し、作戦の成功に貢献してきました。しかしこの最終決戦においてかの国はこれまでにない暗号を使用し始めたのです」

「それが?」

「ええ、お察しの通り先住民族の言語ではないかと考えております」

「なるほど」

「そこで先生にはその解読をお願いしたいのです。報酬はお望みの額をお払いいたしましょう」

「待て。聞かないことには分からないぞ」

 私は熱くなる少佐を落ち着かせながら、薄くなった頭をぼりぼりと掻いた。

「君に先に言っておこう。まず報酬の件についてだが別に構わん。教え子であった君に免じてな。それに私にはそれが先住民族の言語であるという確信が全くない」

「何故です?まだ聞かれていないのに」

「何、簡単な話だ。君も知っている通り、彼らは入植者によって虐殺されたのだ。それも大勢。九割が死んだとされている。だから生き残った彼らの中には未だに入植者の子孫のよって作られたかの国に対して恨みを持つものが多い。当然、かの国の軍隊に協力するとは考えられないのだよ」

 そう言って私は彼にヘッドフォンを返そうとした。しかし彼は頑なに受け取ろうとしなかった。

 彼は階級章の付いた上着を脱ぐと、真っすぐと私の目を見て言った。

「先生、それでも聞いていただきたいのです。この暗号を解読することができなければ我々の勝利は遠のいてしまう。その間に多くの若者が死んでいくのですよ。先生、これは軍人としての願いではありません。階級も何も関係ない、ただ一人の教え子の頼みとして聞いていただきたいのです」

 そうして彼は深々と頭を下げた。この部屋には二人以外誰もいない。

 私はポケットから葉巻を一本取り出すと、近くにあった椅子に腰かけた。

「何か筆記具を用意してくれ。それでよいだろう?」

 すると彼はすぐさま頭を上げて返事をすると、急いで前の部屋に戻っていった。

「本当に、気に食わないものだな」


 私の前には丁寧に削り上げられた鉛筆が一本、そして何も書かれていない紙が一枚置かれていた。

「それでは、流します」

 少佐が合図すると、私の耳元には馴染みのある独特な発音が聞こえてきた。間違いない、あの言語だ。

 内容は部隊の配置や補給についてのものであった。私はその内容を事細かに紙に写しだした。彼らはどうやら相当追い詰められているらしく、会話の中には時折あれが足りないやこれが足りないなど作戦準備が不十分であることを示している。

 二分くらいであっただろうか。終わりの合図をすると、音声はそこで途切れていた。

「意外だが、それなりの忠誠心はあるようだ」

 私は少佐にその紙を渡した。

 彼はその内容を一瞥すると、すぐに部下と思しき男に手渡しした。

「先生、ありがとうございます」

 軍服を身に纏った彼は軽く会釈した。

 これで終わりと思った私は席を離れようとしたが、彼はそれを止めて言った。

「ただ、もう一本あるのですがそちらもよろしいでしょうか?」

「ああ、構わんさ」

 再び腰を掛けると、新しい紙を一枚用意した。

 少佐はもう一人いた部下に今度は二本目を流すように指示する。将校様には付き人が多いことだ。

「このもう一本についてですが、実は先ほどのとは少し事情が違いましてね。軍事的な通信ではないのですよ」

 彼がおもむろに話し始めた。

「それがどうしたんだ?」

「いえ、本来なら放っておくべきなのですが。こちらにも同じような言語が使われていると発見しまして、一応解読しておこうと」

「一応、ねえ……」

 葉巻をふかしながら私は二本目の音声に耳を傾けた。

 先ほどと同じく先住民族の言語である。内容は打って変わって日常会話のように聞こえたが、どこか違和感がある。

(やたら昔の表現が多い)

 それでも私は聞き漏らすことはなく、全て紙に書き納めた。

「どうです?先生」

 覗き込んでくる彼をよそに私は話の内容を整理する。

「そうだな、昔の表現が多い……いや、待てよ。これは……」

 かつて彼らが虐殺された際、ただ指をくわえて殺されるのを待っていたわけではない。その中には勇敢にも立ち上がり、圧倒的な技術差があるのにも関わらず立ち向かったものがいた。

「……なるほど、そういうことか」

 私はようやく内容を理解し、立ち上がった。

「どうでしたか?先生」

 彼はまた聞いてきた。

「何、ただの世間話さ。過去の英雄についてのね」

「過去の英雄、ですか」

「そう、私たちだってたまにするだろ?」

「はあ」

 拍子抜けした表情で彼は突っ立っていた。私は紙を近くの机に置いた。

「戦争はもうじき終わる。それだけさ」

 私はそこに「ただ」と付け加えた。

「その最後の一手は君たちのものではない。せいぜい先住民族かれらに敬意を表し、厚遇することだな」

 それだけ言うと、私は国防省を後にした。少佐は最後まで私の言葉の意味が分からず、ぽかんとしていた。


 或る冬の日の朝に一部の新聞が届いた。

 私はそれと一冊の本を持って暖炉の前に陣取る。そうして新聞を開いた。

「やはり、私の予想通りだったか」

 戦争は終わった。我が国の軍隊も頑張ったがそれ以上に、先住民族かれらの活躍こそ真に評価されるべきだろう。何より先祖よりの恨みを果たしたのだから。

 そうして私は何故が微笑し、妻の淹れてくれたコーヒーをゆっくりと飲んだ。

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