第5話

 


 真新しい布団の中で、かたわらに寄り添う千代菊の洗い髪の匂いぎながら、聡はその思いを口にした。


「……夫婦めおとにならないか」


「えっ?」


 千代菊が驚いた目を向けた。


「ここで、所帯を持とう」


 千代菊は嬉しかった。だが、複雑な胸の内を明かせないのが苦しかった。


「……うれしいけど……」


「けど、なんだ? 俺じゃ駄目か?」


「ううん。聡はんは素敵な人や。けど、うちなんかあかん。聡はんにはもっとお似合いの人がいてはる」


 千代菊は涙を堪えた。


「……何か、隠しているのか?」


「堪忍しておくれやす」


 背を向けた。聡は千代菊の肩を持つと、自分のほうに向けた。


「お前が、貧乏人の娘でもなければ、借金のために芸子になった訳でもない。そんなことぐらい分かっていたさ。貧しい生活をしていた人間が、平気で鯛の造りや牛肉を買わないからな。それは、食べ慣れた人間の習性がさせる自然の行為だ。つまり、お前は贅沢ぜいたくを極めた生活をしていたと言うことだ。……どうして、嘘をついて俺に近づいた?」


「……」


 聡は、目を伏せて歯を食いしばる千代菊を見つめた。


「千代菊、答えろ!」


 千代菊の肩を揺すった。


「堪忍しておくれやす。……言えまへん」


「目的はなんだ! 若いお前が体を張ってまでして俺に近づいたのはなぜだ?」


 千代菊は泣いていた。聡は、千代菊の涙を指で拭ってやると、大きくため息をいた。


「……お前を責めてる訳じゃない。真実を知りたいだけだ」


 千代菊から手を離すと、仰向けになった。


「……松枝を苦しめるためどした」


 背を向けたままで言った。


「! ……何っ?」


 千代菊の黒髪に顔を向けた。


「……松枝は、うちのお父さんの後妻どす」


「! ……」


 聡は、千代菊のその一言で、自分に近づいた目的を理解すると、困惑の面持ちで長大息ちょうたいそくをした。


 そして、千代菊こと千代は語り始めた。


「松枝のことを祖母から聞かされたのは、私が十六のときどした。松枝はおとんが病気で苦しんでるのに、看病もしいひんで外出ばっかりしとったそうどす。おとんが亡くなったときも家にはいーひんかった。おとんが亡くなっても籍を抜かへんかった。

 松枝の目的はうちとこの財産やと思た祖母は、うちの身に万一のことあるかもしれへん思て、乳母の家に預けたんどす。乳母の家はうちから歩いてすぐのとこやったさかい、毎日のように祖母が遊びに来てくれました。

 うちは乳母の家で何不自由のう育てられました。……祖母から松枝の話を聞いたうちは、松枝を憎んだ。松枝を苦しめるためにどうしたらええか、考えました。

 ほんで、高校を卒業すると、復讐するために松枝の身辺を調べました。すると、頻繁にうてる男がいてはった。……それが、聡はんどした」


「……」


 聡はうつぶせになると、煙草に火をつけた。


「うちは思た。愛する人を奪われたら、松枝は悲しむやろうなと。そこで今度は、聡はんを尾行した」


「……」


「すると、頻繁に〈月路〉に通ってるのを知った。復讐方法を考えてると、乳母から意外なことを聞いた。〈月路〉の女将はんと知り合いやったんどす。乳母の口利きでにわか芸子になると、聡はんを奪う計画を立てたんどす」


「……」


 聡は煙草をもみ消した。


「計画どおり、聡はんにほかされた松枝は、あまりの悲しみで気が触れんばっかりになってもうた。松枝の様子は、祖母から伝った乳母からの情報で知ってました。

 ほんで、最後に松枝の精神をおかしゅうするために、祖母の知人の精神病院で、真っ白い顔に真っ赤な口紅を塗って、うちがアホの真似をしたら、松枝はほんまに気ぃ変になってもうた。

 ……聡はんと引き離して、松枝を苦しめれば、うちの復讐は終わりどす。おとんの無念も晴らすことできた。……そやけど、聡はんを愛してもうた。離れられんようになってもうた」


「だから、結婚しようと言ってるじゃないか。こっちを見てごらん」


 その言葉に、躊躇ためらいがちに向きを変えた千代は、目を伏せていた。


「……目的はともあれ、今はこうして互いに愛し合っているんだから、それでいいじゃないか。な?」


 千代はゆっくりと、聡と視線を合わせた。そして、笑顔になった。


「ええの? ほんまにうちでええの?」


 聡の胸にすがった。


「ああ。お前じゃなきゃ駄目だ」


 千代を強く抱き締めた。


「……聡はん」




 その頃、聡という片腕を失った浩一郎は、仕事に支障を来していた。どうしても引き戻す必要があった。聡の居場所を知るには、秋乃に訊くしかなかった。


 江戸紫の付け下げに平安絵巻調の帯を、秋乃は粋に着こなしていた。


「単刀直入に訊くが、聡の居場所を知らんか」


「そんなん訊きに、わざわざおいでになったんどすか? 電話一本で済むやないどすか」


 酌をしながら皮肉を込めた。


「あんたにも会いたかったさかいだ」


「おおきに。そやけど、聡はんの居場所は簡単には教えられまへん。聡はんとの約束どすさかい」


「そんなん言いなや。わしとあんたの仲やないか」


「えらい昔のこっちゃあらへんどすか。うちをおどす気どすか」


「そないにいじめなや。どないしたら教えてくれるんや」


「さあ、どうしまひょ」


 横を向いた。浩一郎は秋乃の手を握ると引っ張った。


「痛っ。なんどすの?」


「ええさかい、こっちにおいで」


「いやや」


「ええさかい」


「……いや」


 綱引きのように引っ張られた秋乃の体は、浩一郎の胸元で止まった。

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