第一章 負けヒロインは普通に家にいる その2

「やめろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 超音波にも似た絶叫が僕の回想をブチ破った。

「なっちゃん、今思い出してたやろ! うちの告白思い返してたやろ? やめろや、本人を前に死体蹴りとか!」

「あ、いやいや、思い出してなんか……ないよ。うん……な、ない、全然……」

「嘘ヘタか! やっぱり思い出してたんやんか! うちの出来たての黒歴史掘り返してたんやんか! あああああ、恥ずかしい! もういやや! もう死ぬ、もう殺して!」

「死ぬな死ぬな。大丈夫だから。よくあることじゃん、こんなこと」

「あってたまるか、人類初の珍事件じゃ! だってやぁ、だってやぁ、偉そうに女子達招集しといてやぁ、最後の最後に割りこんどいてやぁ、けけけ、結婚しようって………あああああ、アカン! この流れでフラれたらアカン! これはもう死ぬしかない! 満場一致で死ぬしかない!」

「僕は反対してるぞ。死ぬの反対!」

「うっうっうっ………めっちゃ慰められてん。あの後、フラれ組の残念会でめっちゃ慰められてん。みんなフラれたはずやのに、うちだけめっちゃ………うっうっうっ」

 なに、そんな地獄みたいな会合。

「はぁ、時間を戻したい。なんで告っちゃったんやろ。こんなはずじゃなかったのに」

 女の子座りでへたり込み、フローリングの木目を指でくすぐる

「うちさ、可愛い女の子大好きやねん。知ってるやろ? ドルオタやし」

「え? ああ、うん、知ってるけど………」

「恋してる女の子ってやっぱり最高に可愛いよね。みんながズンズン告白していくのを見てたら………もうなんか、きゅんきゅんきちゃって。この子達本当になっちゃんのこと好きなんやろうなって、本気でなっちゃんに恋してるんやなって思ったら、うちもなっちゃんを好きな気持ちが止めれんくて……それでそれで……」

「あ、あの、……この話止めないか。なんかすごく恥ずかしくなってきたわ……」

「おい、なめんな! 絶対うちの方が恥ずかしいわ! だから二晩かけて記憶に蓋をしたのに。なっちゃんが一撃で掘り起こすから!」

「ごめんって、そんなつもりじゃなかったんだよ」  

 そうか、朝から過剰なまでにいつも通りの空気を押し付けてくると思ったら、アレそういうことだったのか。

 なかったことにする気だったんだ。とんでもないこと考えたな。

「そーでもせんとマジ無理やから。マジ発火するから。お願い、なっちゃんも協力して」

 眼鏡の奥の眼をうるうると潤ませながら、はチョップでもするように合わせた手をつき出してくる。

「いや、協力って。何すれば………」

「忘れてくれたらいいの。全部なかったことにしてくれたらいいの。ね? 今から手叩くから、そしたら今までのことぜーんぶなし。告白などしなかった世界線に一緒に飛ぶのよ。OK? 行けるね?」

「無理無理無理、そんなジャンプ力僕にはない」

「うっさい、やるしかないねん! はい、せーの!」

 ——ぱんっ。

 と、乾いた音がリビングルームにこだました。小さな掌と不釣り合いなほどの大きな音が鼓膜を突き、

 

「なっちゃん、何ぼーっとしてるの。早くご飯食べないと遅刻するよ。まったくもう、世話のかかる弟な・ん・だ・か・ら☆」

 

 そして、この切り替えである。すごいな、この人。

「ほらほら、ぐずぐずしてるからお味噌汁冷めちゃったじゃん。はい、かして。熱いのと取り換えてあ・げ・る」

「いや、いいよ。別に」

「いいからかして——あっ」

 味噌汁椀を取り合って空中で互いの手が触れ合った。細くて冷たいの指。

「……………やだ(テレっ)」

「赤くなるなよ! やっぱ全然リセットできてないじゃん!」

「あばばばばばば! ごめん、今のなし。もっかいやらせて」

「まだやんのかよ」

「はい、スタート! なっちゃん、どうしたの? またボーッとして。まあ大変! もしかして熱でもあ・る・の・か・な☆」

 お前だろ、熱があるのは。

 もう怖いんだけど、この人。人格いくつ持ってんだ。

「しんどくてもご飯食べた方がいいよ。お味噌汁だけでも飲・ん・だ・ら?」

「わ、わかった。食べるわ」

 語尾をスタッカートさせないと喋れないんだろうか。の謎の迫力に圧倒され、僕も茶番の片棒を担ぐ。

「わ、わー。うーまーい。きょ、今日の玉子焼きー、ホントにー、う、うまーいよー」

 演技力がプランについてこないのは、この際目を瞑ってもらおう。

「そうでしょー。うちも自慢のデキなのー」

「うーん、うまいわー。す、すげー、うまいわー。と、はきっとー、いいお嫁さんになるよー」

「え…………………………やだ(テレっ)」

「だから! 赤くなるなって!」

「いや、今のはあんたやろ! 完全にあんたやろ!」

「ごめん、今のは完全に僕だった」

 プロポーズ断っといて言うセリフか。くそう、難しい。忘れたいけど忘れたら地雷を踏む。なんだ、この無理ゲーは。

 つーか、もう恥ずかしくてしょうがないんですけど。いたたまれないんですけど。

 ここはいったいどこなんだ? 先週までの平和な食卓はどこへいった。内臓を内側から撫でまわされるようなムズ痒さが収まらない。と二人でいることが恥ずかしくて仕方ない。

 冷静に考えてみたら、この状況って一体なんだ。

 なんで家族でもない男女が朝から二人っきりで食卓に並んでんだ? なんで家族でもない女子の手料理を毎日食べてるんだ? なんでこんな異常な状況を今まですんなり受け入れていたんだ?

 一度意識してしまうともう止まらなかった。なんだか同じ空気を吸うのも気恥ずかしくてまともに幼馴染みの顔が見られない。それは向こうも同じなようで、不安げな二組の視線が当てもなくテーブルの上をさまよっていた。

「ね、ねえ、なっちゃん…………」

「何……?」

「なんか………喋ってよ」

「あ、う、うん。えっと………」

「うん……」

「えっと………えっと………」

「うん」

「えっと………………………」

「……もう」

 びっくりするほど言葉が何も出てこなかった。

 ……良くないな。

 このままでは絶対にいけない。との同居生活は少なくとも高校卒業までのあと一年半は続くんだ。それまでずっと内臓がムズ痒いままなんて耐えられない。なんとかして先週までの穏やかな日常を取り戻さないと。

 そのためにはやっぱり会話だ。会話で笑顔を取り戻すんだ。

 そしてそれは僕の役目だ。ここで一歩を踏み出すのは僕の役目だ。はもう充分すぎるほど勇気を振り絞ったんだから。充分すぎるほど傷ついたんだから。

 意を決して視線を上げた。

っっっ!」 

「びっくりしたぁ。何?」

「うまいよっっっ! この玉子焼きっっっ!」

「声デカっ。なに? 玉子焼き? どうも、ありがと」

「玉子焼きだけじゃないから、言っとくけど! ほら、味噌汁もうまいっっ!」

「……そっすか」

「ご飯もうまいしー、漬物もうまいしー、なんと、牛乳もうまい!」

「牛乳を褒められてもちょっと………」

「ああ、そっか。じゃあ、それは牛に言っといて」

「牛に? うちが?」

「いや、違うか。僕が言っとくわ。ガツンと言っとくから、牛に。安心して」

「ごめん、さっきからずっと何言ってんの?」

 ごめん、僕にもさっぱりです。

 くそう、もうぐちゃぐちゃだ。食卓に笑顔を取り戻すつもりがさらなる迷宮に迷い込んでしまった。わからない。先週までの僕らっていったいどんな話してたの? もうわかんないんですけどぉぉ。

「ちょっと、なんちゅう顔してんのよ、なっちゃん」

「なにー? 顔も違うのー? わかんないよー。もう、わかんないよー」

「怖い怖い! なんなんよ、あんたは。ヘタやな、色々。怖いって、ホンマ……ふふふ」

 言葉とは裏腹にの口からは笑みが零れていた。どうやらグダグダなりに喋った甲斐はあったようだ。朝からずっとぎこちなかったの顔に、初めて浮かんだ自然な微笑み。

「はははは! ヤバい、なんかその顔ツボった。あははははは、ぶすぅー! この十七年で一番のブス顔出てるやん。あーっはっはっはっは!」

 結局顔かい。悪かったな、ブス顔で。これでも精一杯悩んでんだよ、こっちはよ。

「あー、お腹痛い。ごめんごめん、全部うちのせいやわ。うちが変な告白してもーたのがそもそもやもんな。失敗したー。なるべく自然な感じで元の生活に戻りたくてさ、強引に何もない体で進めてみたんやけど、余計おかしなふうになってもうたっていう、そーゆーお話でした。すまんかった」

「いや、が頭下げんなよ、僕だって、ごめん」

「大丈夫やで。うちはもうなっちゃんのこと吹っ切ったから」

「え?」

 顔を上げると、はまだ笑っていた。

「知っとったもん。なっちゃんがうちのことを女として見てないってこと。だから、始めからOKしてもらえると思ってなかったし。むしろフラれに行ったみたいなとこあるからさ。記念告白っていうか気持ちを整理したかったみたいな。言ってることわかる?」

「え? う………うん。わ……かる」

「ホンマにヘタやな、嘘つくの。まあ、とにかくさ、うちはもう大丈夫やから。変に気ぃ遣われる方がキツイし。いつものうちらに戻ろ? 優秀で何でもできるお姉ちゃんと、どんくさい弟の関係にさ」

「……うん、わかった。そうしよう」

「——ププッ」

「ん? あ、いや、ふざけんな。そんな関係なかったわ!」

「おっそ! 気づくの遅いねん、ばーか」

 ぺしりとデコを叩かれた。

「いてぇ! 急に何すんだよ」

「あははは。ええ音すんなあ、あんたのデコは。で、ホンマにご飯どうすんの? いらんねやったら片付けるで」

「食うよ! 食うに決まってるだろ」

「お味噌汁は? あっためる?」

「別にいい」

「ちょっと待っとき」

「いいって、ばか!」

 ばか、なんて言葉を自然に僕に吐かせてしまうあたり、悔しいがやはりはお姉ちゃんなのかもしれない。さっきまでどんなに探しても欠片も見つからなかった日常を、はいともたやすく食卓に戻してみせた。

「はい、マグマにしといたで」

「またかよ!」

 年上面をして世話を焼くと、それに反発する僕。やっぱり僕達はこれでいい。この関係がしっくりくる。このまま日常に洗われていけば、いつかあの告白も笑って話せる日が来るだろう。それまでこの当たり前の生活を積み重ねていけばいい。

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