その3

『家庭教師?』

 仕事中の浩平氏を呼び出して、会社の近くの喫茶店で対面し、いきなり俺がそう切り出したものだから、彼は目を白黒させて問い返した。

『そうです。貴方か、貴方の妹さん、弟さんの誰かに、家庭教師のような人はいませんでしたか?』

『何故そんなことをかれるんですか?』

『貴方のお母さんの独身時代の事を色々と調べてみたんですがね。どこをどう調べても、男性の陰が全く出てこないんです。そこで結婚後はどうだろう。そう思ったものですから』

 俺の言葉に彼は少し気色ばんだ。

『前にも申し上げましたが、母はごく平凡な女性でしたし、父を裏切って不倫をしているような、そんな性格ではありません』

 実にきっぱりした口調だった。

 俺はシナモンスティックを口に咥え、彼の目をまっすぐに見据えながらひるまずに聞き返した。

『いいですか?これは調査に必要だから聞いているんです。探偵の仕事というのは、あらゆる可能性を疑ってかかる。そうしないと事実に行き当たらないんですよ』

 俺の言葉に、彼は少し落ち着いたのか、暫く黙り、それからゆっくりと話し始めた。

『私も妹も学生時代、割と成績が良い方でしたから、塾にも家庭教師も縁がありませんでしたが、末の弟にいました。弟はそれほど成績が良い方ではなかったので、自分から進んで家庭教師を望んだのです。』

 どんな人間か、俺が訊ねると、

『当時N大の理学部の学生だった人です。名前は確か工藤・・・・工藤一翔くどう・かずと、そんな名前でした』

 末の弟の直也が小学校の五年生の頃から、中学を卒業するまでの間、毎週金曜日の午後三時から2時間ほど教えに来てくれていたという。

『背が高くて痩せていましたが、結構スポーツマンでしてね。弟によると教え方が上手くってユーモアの精神もある、なかなか面白くていい先生だったようです』

 何でも、勉強の合間にちょっと時間があると、一緒にゲームをしたりし、キャッチボールなんかをして遊んでくれたようだ。

 浩平氏は当時、都内から少し外れた全寮制の高校に入っていたので、滅多に家に帰ってくることがなかったから、詳しい事情は知らないが、たまに家に帰って、顔を合わせると挨拶ぐらいはしていたが、決して悪い印象は持たず、爽やかないいお兄さん、そんな印象だったという。


『まさか・・・・工藤先生が・・・・』彼は明らかに動揺したような顔つきだった。

『まだ何もはっきりとしたことは分かっていません。しかし疑わしい点があれば、一つ一つ潰してゆく。最後それがどれほど驚くべきものであったとしても、それが事実なんです・・・・・もしご理解頂けないとしたら』

 俺はそう言って、この間の『0』が五ケタの小切手を取り出した。

『こいつはお返しして、仕事は降りても構いません』

 

 彼はまたしばらく押し黙り、腕を組んで考え込んだ。

 しかしやがて決心したように、

『お願いします。そのために貴方に依頼をしたんですから、ちょっと待って下さい。確か母が年賀状のやり取りをしていたので、どこかに残っている筈です。今探してきますから』

 浩平氏はソファから立ち上がると、幾つかの古い年賀状の束を持って戻って来た。

『ええと、これも違う、これも・・・・ああ、これだ』

 そう言って彼が差し出してくれたのは、少なくとも10年くらい前のものだった。

 写真が貼り付けてある。

 どこかのスキー場で写したものだろう。

 蛍光色のスキーウェアに、紺色のスキー帽を被った、背の高い痩せた若い男が、こちらを向いて白い歯を見せていた。

『この男性が、工藤一翔先生です』

 浩平氏は言った。

『済みませんが、この葉書、しばらく貸していただけますか?』俺はその写真を預かると、椅子から立ち上がった。

 

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