にゅるにょむ

NPC

きょう(第1話)

『あんな“気持ち悪いモノ”が体中をまわってるんですよ、みンな! みんな、なんでそんなに正気でいられるの。

 信じられません!!』


「うわー、完全にヤバい人じゃん」


 テレビの前で思わず顔をしかめる。

 『今日の運勢チェック』を片手間に、私は出かける準備をしようと、朝の情報番組を垂れ流していた。

 めの靴下ストッキング穿え、どれコーヒーを飲みながら忘れ物は無いかと考えていたころ、消し忘れていたMCTVの司会が『これが日本のやみだ!』としつけがましく始めた、実録モノ形式ドキュメンタリーの1コーナー。

 『潔癖症けっぺきしょうの女』と題された彼女かのじょは、行き過ぎた衛生管理がんだ社会の闇、という事だそうだ。


 まったくくだらない。


 確かに、日本人の衛生管理は行き過ぎているかも知れない。私は頂いたお茶菓子ちゃがしの箱を手に取った。

 包装紙を破って出てきた紙箱を開けたプラマークの大袋おおぶくろを割いた中から個包装を切ってお菓子――を、食べる時にはまとわりいた透明とうめいフィルムを取り外す。

 こうやって口に出さなければ、そんなの面倒めんどうとも思わないし。あ、美味おいし。


 でも、この『潔癖症の女』はもっと異常。

 彼女の言う“気持ち悪いモノ”は、つまりフツーの“ばいきん”だ。

 彼女は“ばい菌”が付くのがいやで嫌でたまらず、何度も手を洗う。

 洗い終わった瞬間しゅんかんから、手に“ばい菌”がくっつく感じがする。だからまた手を洗う。

 何度も洗うから手がれる。見てるだけでヒリヒリするくらい真っ赤になっても洗う。

 “ばい菌”はきたなくて、ビョーキになるから、手を洗う。

 “ばい菌”は当たり前のようにそこら中をただよっていて、手にくっ付く。また手を洗う。


 説明するのもばからしい。


 つまり“彼女”は異常者いじょーしゃだ。「カワイソーに」私はテレビを消した。

 外に出ると植物みどりの良いにおいがする。風が気持ち良い。木洩れ日コモレビはぽかぽか。

 ここは都会だが、私の家アパートの前には少しだけ竹が自生じせいしていて。ちょっとした森の匂いを演出してくれる。

 私は手を広げて深呼吸すると、歩き出す。


 にゅろ……。


 今日はゲーム仲間のリクオ@就活☆リッキーにみんなで就職祝いをしてあげようと食事会が開かれる事になっている。

 私は、その前に最近びてきたかみを切りそろえたくて、朝早くから家を出た。

 そんな事を、うっとうしく話しかけて来た美千代ご近所さんにつまんで話していたら、奇妙きみょうな男と目が合った。


 にゅろ…… 鼻から、寒天かんてんが出ている。


 奇妙な男は鼻から寒天をぶら下げたまま、ニタァ。と笑いかけてきた。

 いや。あれは確か、隣部屋おとなりのケンくんのお父さん。

 ケンくんは大人びた五歳児マセた子で、なんて話はどうでも良く、私はなんでケンくんのお父さんが鼻から寒天を出してるのか、理解ができなかった。

 普段ふだんの彼は、子供の面倒見めんどうみも良く妻にも優しい、他人の旦那ヒトノオトコにしておくのは勿体もったいないほどのイケメンのはずなのに、寒天一つで、くさった雑巾ぞうきんが足をやして近づいてきたような不快感だ。

「やぁ」「あの!」

 いつものように、にこやかな笑顔のまま近づいてくる彼を、私はえ切れずに静止した。り向いた美千代さんが、だけど、鼻の寒天にはまったく気づかないまま、れしく彼に近づくと、頓狂とんきょうに声を上げる。

「あれまぁ、アンタ、鼻どうしたのぉ」

 美千代さんのすままに、彼が自分の鼻の穴へ指を伸ばすと、その動きに気づいたかのように、鼻に居座っていた寒天がひゅッと、鼻のおくへと姿を消した。

「鼻? 何か、付いてますか」

 これには私も目を見開いた。鼻下を探る彼を見ながら、美千代さんは見間違みまちがいかと目をこすっている。なんだアレ、キモチワルッ。


「おとーさんあれ」

 ケンくんの声がした。

 気づかなかった、ずっとケンくんはお父さんと手をつないでいたのだ。

 私はどんだけ動揺どうようしてるんだよ。そう笑い飛ばす努力をするよりも早く、私はケンくんの様子がおかしい事に気づいてしまった。顔がおびえている。

 ケンくんが指した方向にはごみ置き場があった。

 まだごみ回収車は来ていないようで、かさなったポリ袋が、ある所はひしゃげ、またある所はふくらみ、コンビニの弁当箱が内側からその腹をき破り、そこからくしゃくしゃに丸められたラップが干からびた米粒こめつぶを見せびらかすようにうなれて、傷口から腐臭ふしゅう汚液おえきこぼしている。

 だが都会っ子のケンくんはそんな事に怯えているのでは無かった。

 ごみ袋にまとわりつくように。にゅろにゅろとう寒天のような“モノ”をまっすぐ指差して怯えているのだ。

 これには私たち全員が固まった。へびではない。もちろん寒天でもない。

 まるでB級映画のモンスターのように、半透明はんとうめいの白い寒天を細長くしたような“モノ”が、そこにあるの

「ひぃッゅぅ‼」

 変な声出ちゃった。それは私たちの視線に気づいたのかどうか、異常なスピードでこちらへ「ギャーッ! ありえないマジ足さわった今‼」もうマジカンベンして欲しい。最悪。

 とにかくこっちを通り過ぎて見えなくなった。後で足洗わなきゃ。


「……あれ」

 しかめっ面でかがみこんでバケ“モノ”が触れた箇所かしょを確認したのに、ごみ汁がたっぷり付着いているはずの足はサラサラだった。

 どういうこと? と言うのも、私は確かにあの“にゅろにゅろ”がごみじるびている所を見ていたのだ。それなのに足はスベスベ、良い匂い。さすが私、手入れは完璧かんぺき。は良いとして、まったく訳が分からない。


大丈夫だいじょうぶですか」

 疑問を頭にかべ、しばらく屈みこんでしまっていた私に、ケンくんのお父さんが声をかけてくれた。

 私は、お礼を言おうと顔を上げた事を後悔こうかいした。


 


 もう声なんて出なかった。私は無意識にギロリとケンくんのおとう――“奇妙な男”をにらみつけ、鼻の穴から飛び出そうな“モノ”に人差し指を突き付けた。

 さすがの男も、これにはたじろいだようで、身を起こして私からはなれようとした。

 それが、“にゅろにゅろ”のしゃくさわったのか。

 にゅろにゅろは男の鼻を飛び出し、いや居座ったまま男の口へと飛びんだ。すさまじい勢いで動いている。私は奇妙な男から離れようとしりもちをつき、後ろへ這いずるように足を動かす。足先へ下ろした視線の先、男のズボンのすそからバケ“モノ”が這い出てくるのが見えてしまった。

 鼻から出て、口からもどって、足の裾から出る。出口はドコか。

「い゛やあ゛あ゛ぁあーーー!!!」

 肛門こうもんだ! ぜったい肛門だ‼ おい‼ 肛門から出てるぞ!!!


 そこからはよく覚えていない。

 必死にげる私にバケ“モノ”は容赦ようしゃなく近づいて、散々さんざん私の体を這い回り、挙句あげく、口から入って鼻から出て行ったけどよく覚えていない。

 はだつた感触かんしょくは、ヌメッとして、おぞましくて、とにかく不快だった。

 私は美千代さん達の呼び止める声も無視して走って家に戻り、お風呂ふろんでシャワーを浴びながら何度もうがいをした。頭上から出る湯を受け止めようと口を開け、長い髪がからまる。そうだ、今日は美容室に行って、それから。ソレカラ。


 き気がするくらい水におぼれそうになってから、「家に帰ってすぐ手洗いうがいをしたのは何年ぶりだろう」と、つまらない事を考えた。

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