第4話 着流し
急坂をのぼりきると、ぱっと視界が開けて、東山の中腹の村里が浮かび上がる。
カヨさんが勝手に桃源郷と呼んでいる市内でも最奥の集落で、むかし庄屋だったという本棟造りの大きな家に、かつて、古武士のような日本画家が住んでいた。
すらりとした長身、にこりともしない渋い強面だが、心根はいたってやさしい。
当然、玄人素人問わず女性たちに絶大な人気があったが、同い年のカヨさんには男同士のような口を利き、揶揄いはされたが、労わられたことは一度もなかった。
お城の桜も満開のある晩、双方が行きつけの居酒屋に日本刀を持って現われた。
剣道の有段者でもあるので、着流しに刀剣を下げた姿が格好よく決まっている。
カウンターの止まり木に立てかけさせた刀の袋を解いて見せようとするので、
――ちょ、ちょっと待って!
思わず腰が引け、縄椅子から転げ落ちそうになった。
所属する中央の美術会の中でも幹部クラスの実力の持ち主だったので、実業家や素封家のファンが多く、静物を中心とした重厚なおもむきの絵を丁寧に描いた。
カヨさんも亡き犬の肖像画を描いてもらったことがあるが、生前、一度も両者を引き合わせたことはなかったのに、出来上がってきた絵はあまりに愛犬そっくり、ことに表情ゆたかな瞳は何事か訴えかけるようで、カヨさんをひどく驚かせた。
酒が大好き、病院が大嫌いで、みなさんに惜しまれながら早逝してしまった。
だが、画家が作品に込めた魂は、いまも市内のあちこちで輝きを放っている。
ところで。
あのときの刀剣が本物なら銃刀法違反に当たるが、堅いことは言いっこなし。
なにしろ忘れるほど遠いむかしの出来事なんだし、東山の中腹の桃源郷で仙人になっているかもしれない画家に、無粋な法律ほど不似合いなものはないのだから。
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