21. 御前試合、奇襲
上覧試合の場は、オアシスの中央へ特設された浮き島だ。
底なしの泉に
「鷹の方位
梟の方位
――双方、国王様に礼を」
ながながと口上をぶった審判が乗ってきた船上からそう締めくくる。
エレベアとジダールはともに片膝をつき
「やっと小うるさいのが居なくなったわ」
「……」
かつてイステラーハがその技を知らしめたという場の空気を、立ち上がったエレベアは存分に吸い込んだ。
対して、同じく向き合ったジダールは静かに
「で、それはどういうつもりかしらお義兄さま?」
一
ジダールの手にあるのは一振りの
「――どういうつもりとは」
「大魔法に理なし、少なくともアタシはそう習ったけど」
こと個人戦において
達人同士の戦いにおいて中魔杖に利はない。エレベアはそう信じてきた。
「言ったはずだ。技は工夫し変化させるもの。先代を越えることもまた当主たる者の務め」
「ふぅん。じゃ、そのハンパな
怖さは感じない。どんな奇手でこようと身につけた技で即座に応対、無効化するだけ。
ゆえにこれ以上の探りは無意味。あとは互いの手足で証明するほかないと杖を構えて――。
「――あ、そうだ。お義姉さまから
「ユディウが?」
同じく持ち上げた杖をおろしたジダールに先刻の伝言を告げる。
聞き終えてジダールは――エレベアはぎょっとする―—噴き出した。
「フフフッ、そうか。俺は
肩を揺らし、なんともらしい、と。ひとしきり笑ったあと
「まずは
「……へぇ」
上段から見下ろす誘いにエレベアは乗った。むろん小手調べで終わらすつもりなどない。
「これでおしまいよ」
杖を二本とも
相手の横から真後ろを一気に半周回して振り切る奇歩。シャラの踊りから見いだしエレベアが名付けていわく、
陰杖流
老翁ライハーンをも出し抜いた高速軌道でジダールの背後を確かにとった。
(とったハズ、なのに……!?)
目の前にジダールの杖先があった。
まるでエレベアがそこへ突っ込むのがわかっていたようにしなりながら振り上げられる杖。とっさに魔法を使わず顔をかばう。
『――
新杖流、
打突に備えたエレベアをあざ笑うようにジダールの両腕が
ツンとした
(――炎――!!)
強く強く無詠唱で念じる。エレベアの全身がおぼろな火炎と化した。
「悪あがきを!」
容赦ない水威が半端な魔炎を消し去っていく。全身が
上昇する熱気にのって無理矢理に離脱し、上空で回帰した。全裸で地面に叩きつけられ、無我夢中で転がって距離を取る。
近づけば反撃する、そう心から思い込んで凶笑。ジダールが追撃の踏み込みを
――殺されたと思った。
非才の
「げホッ……どこが小手調べよ」
あの応対は初見では不可能なものだ。であれば。
「お義姉さまに虚報をもたせたわね? ハイサムを捕まえたなんて形だけでしょう。何も知らないフリして本当はキッチリ対策済みってわけ?」
ならば
「だとしたら何だ」
「卑怯者……!」
意味のない罵倒だとわかっている。真剣勝負で裏をかかれる方が悪いのだ。が、言わずにはいられなかった。
「お前からそんな言葉を聞くとは。
ジダールの身ごなしに油断はみえない。こうして会話につきあうのは彼自身も腕にわずかな欠損を負ったがゆえか。それとも瞳に沈んだ喜色の気配と関係するのか。
「昨日のことのようだ。年端もいかぬ子供と比べられ、実の母にお前は期待外れだったと告げられたのが」
「おばあ様がそんなこと言うはずないわ」
少しでも話を引き延ばそうとしながら突破口をさぐる。あの
ジダールは鼻で笑う。
「あの女の全てを知ったつもりか。あれは魔杖の鬼だ。ひたすらに技を鍛えそれを
「それはアンタの
『――
ジダールが伸ばした
感覚の甘い体をひきずるとエレベアはかわしざま間合いへ
「ほう、存外まだ動けるらしいな」
「――な、アンタ、それ」
ジダールは杖を構えたままこちらを見据えていた。
足から胸ほどの長さの
「これが俺の工夫だ。お前を
「
まるで南方の
炎より回帰した半杖は握りを変えた手の内により即座に元の中魔杖へと戻る。
「どうりで、簡単に代わりの杖をよこすわけだわ。あの時にはもう必要なかったってわけ」
手にした元ジダールの短魔杖をもてあそぶ。今思えばあれは彼なりの古い常識への
「
まるで一本の杖と変わりなく軽くそれを振りまわしてジダールは片脇へはさむように構えた。
「来い。お前もあの女も、まとめて否定してやる。俺はこの日を待っていた」
「アンタ……どっちの味方よ」
――堅い。エレベアはその隙のなさに
「俺は俺の価値を
ギリ、と唇を嚙みしめた。こんな、こんな男に養母の面影を見るなんて、と。
そして自分もまた彼の在り様を否定できない。
「……ならどっちが勝っても道統はおしまいね。軽んじれば排除する、だったかしら。エラそうに言ったってアンタも
自らの罪悪感を
「
だが斜に睨み据える
「他流に
「そんな――そんな理屈!」
通るものか、と叫びたかった。他の何をも取り入れたことがないから正統だなどと。
通るはずがないと耳を塞ぎ、化けの皮をはがしてやろうと
「ッやあ!」
身体の
矢のような踏み込みから低く低く左へ踏み込み、さらに軸足を押し込んで急旋回する。並みの杖士であればまず捉えられない左右への変転。
陰杖流
「破!」
投げた杖がエレベアのかざした腕へ渡る直前、ジダールの振り出した杖先がそれを打ち払った。
先んじてエレベアは残りの一本を曲げた
『――
杖の切り替えしよりも早く挟み込まれる二つ目の
『――
杖を振った勢いのままジダールは上体を
(
新杖流の初歩にして基本。中魔杖を両手のみで操り身の回りに自在に沿わせるそれは、短魔杖の
「っつおおッ!」
腋下の急所をえぐるつもりで打ち出した風の
――
「ッチィ!」
地面へ張り付くように頭を逃す。
「ひゅ――、むぐ!」
肺気でむりやり外圧へ
かつて道場で仕合ったときとは別人のようだった。中魔杖による打突と威力の高い魔法がかつて鈍重な
何より、どこまでも杖を
(強い――!)
こちらの手の内が割れているというだけではない。
至高とあおいだ
「技や
「だったら」
何に、と暗に問いかける。口にするのも、それを投げたと察されることさえ
身構えか、
――遊ぶように
ふと、最後の戒めがよみがえった。
――屋台へ飛び込んだ子猫のごとく振る舞うのがいい
――子猫は店主の目を気にしないし、倒れ掛かる瓶に
そういうある
であれば確かに、目前の険しい顔をした男がそれを捨てたのは果断といえたのかもしれない。
――あれは真面目過ぎてね
そう苦笑したあのとき既にイステラーハは息子が自分とは違うことを察していたのか。
「つまり世界をどう
ジダールは今度こそ口を閉ざした。もう語ることはひとつとしてないと粛々と間合いを詰めてくる。
こちらの手にあるのは短魔杖の片方だけ。
(――おばあさま)
内よりこぼれた声。救いを乞うでもなく
――ほう、これは。
あのとき、自分を見出したイステラーハはまず何をした?
記憶にあるのは大きく幼い黄金色の瞳。であれば相手もまたエレベアの目をのぞいていたのではなかったか。
(せかいを、どう、みるか)
それはまばたきほどの瞑想だった。深く記憶へ沈み込んだ意識が、問題を解決しないまでもひとつの疑問を具体化する。
すなわち、同じ状況でイステラーハならばどうするか、という。
「――」
意図せず身に
ともすれば現実逃避でしかないその行為はしかし、すくなくともこの場では劇的な効果をあらわした。
「なんだ、こんなこと」
吊り上がった口唇からこぼれた言葉は誰のものだったろう。
エレベアが、かつて見た彼女が杖をトスする。片杖しかなくともその挙動は初めに見せて破られた陰杖流“卍抜け”そのもの。
「
容赦なくジダールの杖が投げられたそれを打ち払った。
明らかな劣勢。
『――
ジダールが両手剣の突きのごとくたわめた腕を突き込んでくる。
根元から水槍と化しはじめる連接杖。だがしかしその先半分が変化するより早く。
『――
胸を貫くそれを半身で
とぷん、とその全身が巨大な水滴と化す。
「な……ん!?」
無数に炸裂する
――あのとき、父親は魔杖を盗もうとしたのだ。そしてそれは一度成功した。
追っ手へむけ父は見よう見まねの魔法を放とうとしてそして――。
「――
思いもしなかった、という表情でジダールが見上げてくる。
大魔女イステラーハがその半生において幾度か
間違ってもこんな
(ここで殺しきらないと)
体力も気力も、こちらが二倍三倍と消耗している。この奇襲で戦闘不能にしなければ勝ち目が消えるばかりか自分が危ない。この隙にもジダールは
一切の抵抗を封じるように上体すべてを呑みこもうと総身を震わせた瞬間。
「ジダーーーーーールーーーー!!!!!」
対岸から響き渡る絶叫。
未練と後悔に塗れたそれを耳にしてもエレベアは止まらない。気の毒に思う気持ちはあるものの基本的にはユディウの自業自得。余裕がないいま他人の心配までしていられない。ケタケタと老翁の哄笑がそこへ混じった。
それでも。立場が逆なら悲鳴はユディウでなくシャラだったかもとふと心にかかって。
『――
瞬間。オアシスを見下ろす石塔の頂上から。
あまねく焼き尽くす白光が戦場へと降り注いだ――。
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