20. 静けさ、望まぬ客

 聖樹祭は建国の日を祝う年中行事だ。

 かつての祖王となった商隊の長が、かくあれと湖畔の逆雷樹へ願ったことでそれらは王宮へと変じたという。もちろん伝説だが毎年その日はオアシスへの感謝と祖王への賛辞を捧げる日となった。


 『――ここで控えるように』


 そう言ってサファール家の高官が出ていった部屋を見渡す。

 王宮、それもオアシス湖畔こはんをとりまく回廊に面した一室。平時であれば王族と一部の臣たちしか入ることを許されない聖域だ。けれどこの日だけは祈りのために万民が参拝を許される。


(結局来なかったわね)


 さざなみにまじって遠く聞こえる人の喧騒けんそうへ耳を傾けながら思う。

 別室では同じようにジダールが試合を待っているはずだった。樹生新杖流ユーピトン・バウの代表として。

 エレベアは祭りの数日前からサファール家に身を寄せている。もはや事ここに至れば敵も小細工はできない。立ち合いの瞬間まで警戒をおこたるつもりは無いが、もしハイサムを刺客として差し向けるなら事前の機会はいくらでもあったはずだった。


「――楽しみよなァ」

「ッ!?」


 部屋のすみの闇から湧き出た影にとびすさる。

 影は真っ黒な人型となるとくつくつとわらった。の魔法だ。


「……二度と会わないんじゃなかったの?」

「なァに、弟子の最後くらい見送ってやるのが師の務めやもと思うてな」

「誰が弟子よ」


 ライハーン・バダ・アブドゥラ・サッダーム。樹生陰杖流アリスィス・バウを名乗る魔杖士にしてイステラーハの相弟子あいでし。シャラを使い、己の技を新杖流と偽ってエレベアに植え付けた張本人でもある。

 結局、ユディウが打診するまでもなく御前試合の提案はなされたのだった。少し考えればわかる、ハイサムが同じくサファールのえにしでやってきたことを思えば。ライハーンのいう旧縁とはサファールであり、ここまでが彼の描いた絵図の上。

 魂の仇敵にも等しい存在を前にしても、エレベアは落ち着いていた。熾火おきびのごとく怒りはくすぶっているものの、それをやたらにぶつけようとは思わない。

 もう、やるべきことは定まっている。


「せいぜい利用させてもらうわ。アンタの工夫。おばあ様を助けるためにね」

「クカカ、構わぬよ。さすればあの女と妾の再戦の目も出ようというもの」


 もっとも、と。影が実体をもつ。浮かんだライハーンの顔が醜悪な笑みを浮かべた。


愛弟子まなでしも杖流も、おのれの全てが簒奪さんだつされた後とわかったあやつがどれほど身を入れて戦えるものか分からぬがなぁ、カカ」

「……妄想はどうしようと勝手だけど。もしこれ以上おばあ様にちょっかいをかけに来るならその時こそアンタを殺すわ」


 自身の半生を踏みにじられる痛みがどれほどか、エレベアには想像できない。もしかしたら、このまま何も知らずにいるほうがマシとさえ言えるのかも。

 それでもあの人は受け止めることを選ぶだろう。それくらいは自分にだって分かる。技を塗り替えられ、長年刻まれたいましめを破ってもまだ自分は大魔女イステラーハの弟子だ。


「お前が? 陰杖流を打ち立てた妾にたかだか半月そこら学んだひよっ子がよう言うたものよ」

「半月……」


 そうか。

 ストンと両肩を落としたエレベアは短魔杖を放っていた。ライハーンの影、その左右へ向けて二本。同時床を滑るように接近する。

 その歩法は蛇行する矢であり、猪突するかすみだった。


『――太陽ʘめしいさする日輪』

「ばァッ、かな――!?」


 杖を真横へ握りこみ白日と化した拳がライハーンの、あろうことか後背をえぐっている。

 闇の痩躯と拳が相克そうこくする。ともすれば取り込まれそうな暗黒に、強く対抗するイメージを想起した。

 何よりも美しく、あらゆるとらわれから自由だった瞬間に見上げた光を覚えている。


「アンタが言ったんでしょ、ぎ木だって。根っこが違うのよ凡才」


 引き裂かれた影が上下二つになって倒れ込んだ。

 呆然と天井を見上げる眼球。喘鳴ぜんめいとともに血濡れの唇が哄笑する。


「クク、カカキャッ良いぞ! 忌々しい鬼精ジンの血め、お前はオレの傑作だ!」


 血色を失った顔が闇へと呑まれ、それが飛散し収斂しゅうれんし、また一塊の闇となる。


が生涯をかけし樹生陰杖流アリスィス・バウの申し子よ! その技でもってあの女の杖流を消しさるがいい! その後どうしようと妾の勝ちに揺るぎはないわ、ククカカカカッ!」


 黒風は部屋角の影へと飛び込むと、天井をつたって飛び出していく。エレベアはそれを見送ってかすかに眉を寄せた。


「きゃあっ!?」

「うん?」


 と、入り口から悲鳴。どうやら出ていったものと鉢合わせしたらしい。

 ひょいとのぞくと貴人がひとりうずくまっていた。


「お義姉さま?」


 楚々とした公事向けのドレスが乱れて白いふくらはぎがのぞいている。流れ落ちる黒髪の奥からエレベアをとらえた瞳がばばっとそっぽを向いた。


「さわらないでっ!」

「介抱しようなんて思ってないわよ、若いんだから自分で立ちなさいな」


 手のひらを開いて見せると、それはそれで不満げにむす~っとユディウは立ち上がった。


「も~何、いまの~? シワになっちゃったじゃない~」

「ありがたくない客よ、お義姉さまと同じくね」


 何の用?と入り口を背にして訊ねると、ユディウは無言で部屋に体をねじこんでくる。


「あぁもう、集中したいのよこっちは」


 どいつもこいつも、とやむなく道を開けた。

 一つしかない椅子に腰かけるなりユディウはジロリとめあげてきた。


「ハイサムが破門されたわ。あなたのせいでしょう」

「はあ?」


 寝耳に水の話に身を乗り出す。ユディウは腕と足を組んだ。


「当主乗っ取りを白状したっていうの。ウソよ、あなたが追い詰めたんでしょう~?」


 もう遠い過去のような数日前を思い出す。秘伝の間で話したハイサムは最後になにか吹っ切れたようだった。


「それ、本人が?」

「……そうだけど~」

「だったら事実なんでしょうよ。こっちこそ濡れ衣だわ、やめてくれる?」

「ハイサムはそんなことしないもん~!」


 ダダをこねるみたいに手足をバタつかせるユディウ。


「そのせいで牢にまで閉じこめられて酷いことされて~ユディウが開けてあげても出てこないし~」

「相変わらず自由にやってるわね」


 よほど邸内での彼女の権力が強いのか。


「とにかく~このままじゃジダールが負けてもハイサムが当主になれないの~!」

「そうでしょうね」


 最低でもジダールが破門をくつがえさない限りは門弟として残る事すらできない。ジダールにもしものことがあった場合、ユディウに残るのは前当主の妻という頼りない立場だけだ。


「どうしてよ~ハイサムはあんなに強いし人望もあるのに~」


 だからこそだろう。彼は筋を通したいと言っていた。すべてを白状しなければいずれ師父の描いた絵図に乗ってしまうと考えたのかもしれない。


「さあね。で、なんなの。お義兄さまに今死なれちゃ困るから命乞いにきたってわけ?」


 正直ここまで来てしまえばお家事情に興味はない。エレベアにできるのは後がどうなろうと勝って押し通すことだけだ。

 ユディウは鼻白むとぷうっと頬をふくらませた。


「馬鹿にしないで~これでも魔杖師範の妻よ。敵に情けを乞おうなんて思わないわ~」

「へえ、わかってんじゃない。お義姉さまのそういうパッサパサなとこ好きよ」

「ピチピチだもん~」


 シャラをテオドシアに預けておいてよかったと思う。いざとなればこのテンションのまま人質でもなんでもとりかねない女だ。

 エレベアは入り口へあごをしゃくった。


「じゃ、お帰りは後ろよ」

「ちょっと」


 椅子から微動だにせず不満を表明するユディウ。


「なによ、敵同士なんでしょう」

「もうちょっと話をきいて~」


 むすっとして居座られると叩きだすほかない。しかし流石に後ろ盾の令嬢をその扱いでは角が立つ。


「少しだけよ」

「けさ、ジダールが部屋に来たわ」


 しぶしぶ両手を挙げるとユディウは口を開いた。しばしの沈黙。


「……え、それだけ?」

「ちょっとお話して、それから家を出ていったの」


 エレベアは続きを辛抱強く待った。手近なテーブルを指で十度叩いたあと。


「内容は?」

「……ヒミツ」

「ぶっ飛ばすわよアンタ!」


 夫婦らしい一面でもみせて同情をひく魂胆かと思えばそれですらない。

 エレベアの怒りなどどこ吹く風とユディウは自分の世界に入ったようにぽつぽつと喋る。


「始めは話すことなんて無いと思ったの。ハイサムを閉じ込めたあの人となんか。でもなんだか顔が真剣で怖くて、だから……」


 ユディウはいまだに戸惑っているようだった。


(まあ真面目なお義兄さまのことだから、最期の挨拶くらいはするでしょうよ)


 昔、なにかの話の枕にイステラーハが聞かせてくれたのを思い出す。男と女、それぞれ戦場へ向かうとき相手へ遺す言葉は誰であれ似たようなものだと。


「何も返事ができなくて。そのことをハイサムに話したら、今からでも行った方がいいって、だから……」


 ユディウの目がすがるようにエレベアを見た。それを手のひらでさえぎって顔を背ける。


「だから何でアタシんとこに来るわけ!? 向こう岸にお義兄さまの控え室がありますけど!?」

「ムリよ! だってユディウ、あの人のことを思いやったことなんてないもの!」


 だったらそのままでいいじゃないかと思う。今さら何か伝えたところで。いや、だからこんな所でウジウジしているのか。いい迷惑だ。


「パッサパサなお義姉さまでも言いたいことがあるものなの?」

「ピチピチだもん~」


 いつもより控えめに唇をとがらせたユディウは上目遣いに尋ねてくる。


「エレベアちゃん、もし言ったらジダールに伝えてくれる?」

「……それで出ていってくれるならね」


 だから嫌いだ、と毒づく。シャラもユディウも自分の弱さを分かっているクセにやたらと押しが強い。根拠のない勇気はときにエレベアのような人種にとって異様で、ごくまれに儚い美しさをまとって見える。


「ッよかった、ありがとう~!」

「……別に」


 シャラのそういう態度についてはもはや無条件降伏の体をなしつつあるものの、だからこそこれ以上は自分がどうにかなってしまいそうで嫌だった。


「それで?」


 何を伝えればいいの、と催促。ユディウはじっと唇へ人差し指をあてると遠く、オアシスの対岸を透かしみるようにして口を開いた。


「――私だって理想的な妻じゃなかったから。どうか気に病まず悔いのないお務めを、って」


 穏やかで互いの距離を感じる言葉からは、ジダールの遺した言葉までもが想像できるようだった。

 しばらく次の言葉を待ってエレベアはユディウを窺う。


「それだけ?」

「他になにか必要?」

「……愛してるとか」


 自分なら言えるだろうか。無理かも。いやそれなら伝言なんて使わず直接言う。


「嘘っぽくなるだけだわ」


 ユディウは自嘲的じちょうてきに笑った。


「そ、じゃあ用事はおしまいね」

「ちょっと!」

「試合前だって言ってるでしょう!? いつまでもお義姉さまのフリに付き合ってらんないのよ!」


 言いたいなら勝手に言えばいい。いちいちモジモジとされるとこっちまでイライラしてくる。


「……あなたの仕合しあいを初めて見ます、って」


 ぎゅ、とユディウの手が胸の前で組み合わされる。ひそめられた声はかすかに震えていた。

 そういえばジダールは修練場で門弟を教導したり演武えんぶを行うことはあっても真剣勝負の場に立つことはあまりなかったように思う。それこそエレベアと後継の座をかけて争った立ち合いくらいか。


「魔杖師範の妻が聞いて呆れるわね」


 あのときもユディウはいなかった。興味もあまりなかったのだろう。もとより夫を家の屋根か柱くらいにしか思っていない女だ。

 上覧試合まではあと一刻を切っている。


「まぁ伝えとくわ。運が良ければお互い命が残ることもあるんじゃない」


 ユディウのことは好きではないがしいて路頭ろとうに迷わせるほどでもない。


「……ジダールを殺すのね」

「おおむねそうよ。お義姉さまだって了承したはずよ」


 ハッキリ思ったかはどうあれエレベアの提案を一度受け入れたとはそういうことだ。

 いよいよ後ろに回って椅子の背を持つと、ゆっくりとユディウは立ち上がった。


「愛してるって伝えれば、あの人は生きて戻ってくるかしら」


 すがりつくような声だった。それを振り払うようにエレベアは胸の内を平らかにする。


「……さあ、変わらないんじゃない。お義兄さまだもの」

「やっぱりエレベアちゃん、キライ」


 深い自嘲の笑みをうかべてユディウは部屋を出ていく。エレベアは空いた椅子へ腰掛けて瞑目めいもくした。

 華やかな香水のなごりが白々しい。


(やっぱり入れるんじゃなかった)


 戦いを前にしてあるまじき雑然とした感情。

 ほんの少し前までならもっと単純な気持ちで向かえただろう。技は練度を増しても心は弱くなった気がする。

 吹っ切ったはずだ、と自分を叱咤する。何を犠牲にしてもイステラーハにひと目会う。あるがままの自分を見てもらう。それが彼女にとっての絶望だったとしても。


(怒られに、謝りにいかないと)


 たとえ自己満足でもそうしなければ胸を張って前に進めない。ある意味でイステラーハすら踏みつけにして自分は。


(シャラのための未来アタシがほしい)


 バラバラだった感情が定まっていく。これはひとつのけじめだった。そのためにはまずジダールをくだすこと。


 ゆっくりと時間をかけて心の水面が凪いでいく。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る