1. お見舞い


 白亜の大扉がゴリゴリと音を立てて閉じる。それを背中にして少女はだだっぴろい部屋へ踏み込んだ。


「ハァイおばあ様、ご無沙汰?」


 壁一面が光っていて常に半目になりそうな空間。こんな部屋に好きこのんで住む人間がいたとしたらよっぽど糸目がコンプレックスなのだろうと思う。もちろん少女にとっては最低の呪いもいいところだ。


「幽閉されたって? かつての大魔杖師まじょうしもヤキがまわったみたいじゃない」


 内装はなし。窓のひとつもないものだから、四方千里に広がっているはずの白砂の海も、そこに落ちた宝石みたいなオアシスの街並みも望めない。

 あるものと言えば壁一面に描かれた光の紋様と、中央の床から天井までをつらぬくつるの木。

 その絡み合った蔓にほとんど飲み込まれるみたいにして、半裸のおさな姿が眠っていた。


「おばあ様、おーばーあーさーま!」


 おでこが触れ合うくらいまで近づいて呼び立てれば、ふわふわしたハチミツ髪のかかる童顔がぴくり。けどそれでも起きる様子はなし。


「ばーか、大年増おおどしま、ウルトラ若作り、鬼師範おにしはん陰険いんけんロリババア」


 心配のあまりついはしたない言葉がとびだす。

 けれどもなお目立った反応はなく。よく見ればひと月前に国を出たころにくらべて肌のツヤ感も落ちてるような気が。


『――Ψよ、みとおす目よ』


 唱えながら杖を左まぶたに当てる。

 最初にぎゅんっと視界が前にズームする感覚があって、まだツタに覆われていない薄い胸のくぼみが大写しに。それから真白い肌を透かすみたいに身体をめぐる魔法の流れが――。


『――太陽⦿よ』

「っきあああッ、目があっ!?」


 強化した視力を白光にぬりつぶされて床へ転がる。

 魔法で流し込まれた光が目の奥の奥で暴れるさなか、鼻の先で呆れたような息づかい。


「ふらち者、化粧もせんおなごの顔を盗み見るでない」

「うむぅっ、オエッ――よ――加減しろババア!」


 四つん這いでえづきながら、羞恥と自己嫌悪をひた隠すように罵倒した。

 ぼやーっと戻ってきた視界の真ん中で、パチリとめた黄金色の瞳が見つめている。


「だらしないぞエレベア、さては修行をサボって遊びほうけたな?」


 人形がたったいま魂をふきこまれたようにふくれ上がる存在感。猛獣のような威圧感は記憶とほとんど変わるところがない。


「うぷっ、はぁあ、なんだ元気じゃない」

「なにを、退屈で死にそうじゃわぁ」


 ぶすくれた幼女然とした唇。ツタに埋もれた手足をむずがって動かす仕草は、

(わりと辛そうね、さすがに無神経だったかしら)

と、反省させるだけの痛ましさがある。


謀略はかりごとの罪ってきいたけれど、どの件? 心当たりがありすぎるんだけど」


 なのでさっさと話題を変えた。

 果てないほどの砂漠を緩衝かんしょう地帯として多くの国に囲まれたこの小国では、たくらみごとは日常茶飯事だ。さらに怖いことにそのほとんどに彼女は関わっている。


「さてな……反乱を企てた先王の次男坊を呪殺した件か、間者じゃった愛妾あいしょうの喉を閉ざしたアレか。まあともかくネタは全部向こうが握っておるのじゃから表立って糾弾きゅうだんされれば我らになすすべなどありはせん」


 幼女は憐れむように笑った。


「市場は見てきたかえ。高価な食器やら絨毯じゅうたんやら並んでおったろう。あれらはみな王宮から出たものよ。今の王は身罷みまかられた先王を嫌っておったゆえな。彼の色のついたものはみなみな捨ててしまいたいのよ。アタシもそのひとつだろうて」


 自嘲するような語りにエレベアは黙って耳をかたむける。


「この国も変わってしまった。き水は循環じゅんかんせずよどみ、砂の黄金路も人足ひとあしが絶えつつある。華美になるのは後宮ハレムばかりよ。このうえ……」

「おばあ様みたいな優秀な魔杖師範を閉じ込めるなんて、って?」

「ふあっはは、しかり!」


 おべんちゃらで幼女は愉快そうに笑う。


(昔なら『美人がびをうるな!』って叱り飛ばすところなのに。こりゃ相当参ってるわね)


トシかしら」

「何か言ったかの?」

「いーえべっつに」


 ふいと目をそらす。じろりと睨めつける目。


「ところでおもと使はどうしたぇ?」

「もちろんちゃんと終わったわ。そしたら他でもないおばあ様の危急でしょ。何を置いても帰ってくるに決まって……」

「美人が媚びをうるなぁッ!」

「ひゃ」


 ああよかった、まだだいぶ元気があるみたい、と――


「ふぅむ、しかしそうか終えたか。お許もそろそろ一人前かの」

「本当っ!?」


――ぱっと破顔してあわてて頬を押さえる。

 彼女はまったく本当の娘のようにエレベアを可愛がってくれるものの、エレベアが感情をそのまま表情筋ひょうじょうきんに乗せることについては厳しくしつけた。女たるもの秘めやかであれ、それはそれとして美人は尊大であれという無茶ぶりの結果エレベアという人格が出力されたともいう。

 怒鳴り声の一つも覚悟してしかし。


「とは言え、だ。アタシはこんなザマだしねぇ」

(……あら?)


 手足が自由なら唇に指でもあてていそうな思案顔にちょっと拍子抜け。


「しばらくお使いはナシだ。そうだねぇ、いい機会だからダンナでも見つけな」

「…………はあっ?」


 たっぷり数秒ガマンしてそれでも抑えきれなかった吐息をあわてて押さえる。やられた、と怖々こわごわ目をあげると。


「お許も十五歳だ。そろそろ自由に決めることの一つくらいあっていい頃だからね」

「……??」


 表情筋の動きを責められるでもない。ひとり納得したうなずきにいよいよ首をかしげるエレベア。


「なんだい、まさかずっとひとり身でいるつもりじゃないだろう?」

「いやっちょっと待ってマジなお話? 胸の内外をおばあ様のように平らかにたもつ訓練的なアレでもなく?」


 というかいつまでそんな状態でくすぶっているつもりなのか、と。

 考えたあたりでようやく事の深刻さが理解できた。どうも目の前の彼女は、エレベアの養母たるその人は今。


「エレベア、もそっと近くへおいで、もそっと」

「おばあ様、目が……?」


 言われるままに足を進めれば、二人の距離は前髪が触れ合うほどに。

 金の瞳がじぃっと細まり、やがて薄く笑みの形をとった。


「あいも変わらず美人だねお許は。なに、ここはまぶしいだろう、こうして必要な時以外は閉ざしているのさ」


 さっきまで眠るようだったその姿をエレベアは思い出して急にそら恐ろしくなる。


ぬくい杖も人生には必要だよ。アタシがいなくなってもお許が立って歩けるようにね」

「そんな、そんなこと! おばあ様がそれを言うの!? イステラーハ・モハッラム・セヘル・イーリス! オアシスの魔女、残忍ざんにんな唇、誰にも寄りかからず生きる貴女が! そういうひとにアタシは育てられたのに……!」


 エレベアにむけて凝らされたその目が、これまで見たこともない形へと変わった。


「さて、どうだろうねぇ。案外とアタシにもあったのかもしれないよ。温い杖がね」

「……っもういい」


 耐えられずエレベアは目をそらした。母とも祖母ともあおぐ人の弱った姿なんて見たくもなかったし、もし誰かと生き死にをともにするならこの人しかいないと思った。


「おばあ様は弱気になっておられるわ。こんな所に囚われて、少女趣味なおっぱいを丸だしにして。このいましめを解けばすこしはスッキリするんじゃなくて?」

「エレベア」


 数歩ひいて杖を閉じたまぶたへあてる。


『――Ψよ』


 見通すのは彼女ではなくそれを取り込みしげる蔦木。


「っ……う!」


 ひゅっと足元が消えた感覚。

 上も下もない虚空のような圧倒的な情報量にめまいを起こしたのだと気づいたのは意識を取り戻してすぐ。

 いつの間にか床についていた両手で無理やり身体を起こすと、ややばつの悪そうな金の瞳。


「情けない弟子だ、この程度の魔法にあてられるなんてね」


 その口ぶりがやせ我慢だと今ならわかる。

 こんな巨大な魔法をエレベアは初めて目前にした。こんなものに常時包まれていて正気でいられるはずがない。魔法の杖となり触媒となって魔法使いに力を与える逆雷樹ユーピト・ハッドゥだが、こんな巨木はついぞ見たことがないとエレベアは戦慄した。


「っ、誰がこんなフザけたモノを……?」


 珍しくあちらから逸らされる視線。そこにやっとエレベアは飛んで帰ってきた甲斐を感じる。


「――お義兄にいさまね」


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