ブラウン管の向こう側

タマゴあたま

ブラウン管の向こう側

「そういえばこんなものもあったな」


 引き出しの奥にあった写真を見つけた僕はそうつぶやいた。

 僕の大好きなアイドルとのツーショットだ。撮影したのは十年くらい前だったかな。


 彼女を知ったきっかけはほんの偶然だった。

 ふらっと立ち寄ったCDショップにBGMとしてかかっていた曲。

 それが彼女のデビュー曲だった。

 僕は店員さんにかかっている曲のCDが置いてあるか聞いた。


「あることにはあるんですけど、全然売れていなくて。少しでも売れるようにBGMにしているんです」


 店員さんは苦笑いを浮かべながら案内してくれた。

 当時、彼女の知名度は低いものだった。

 CDも棚の隅にポツンと置かれていた。


 僕は迷わず買った。

 一目惚れ、いや一聴き惚れというべきだろうか。

 何度も何度も聴いた。


 彼女が路上ライブをしていると知って、僕の心はときめいた。

 彼女の歌声が生で聴けるんだ。彼女に会えるんだ。それが嬉しかった。

 路上ライブにはあまりお客さんはいなかった。けれども彼女は全力で歌い踊っていた。

 その姿はきらめいていてまぶしかった。


 路上ライブには必ず参加した。

 彼女が頑張っているんだ。応援しなくてどうする。

 ある時、僕は勇気を出して頼んだ。


「僕とツーショットを撮ってくれませんか?」

「もちろん良いですよ。毎回来てくれてありがとう」


 推しとツーショットが撮れて僕は幸せだった。


 そんな彼女の一生懸命な姿が、有名なプロデューサーの目に留まった。

 それから彼女の人気は飛躍的に伸びた。音楽番組やライブはもちろん、バラエティー番組やドラマにも出演していた。


『ブラウン管の向こう側』


 芸能界にいる人を昔はそう呼んだそうだ。

 彼女は遠い存在となってしまった。


 ある日、僕は握手会に参加した。

 彼女と握手ができる、とても貴重なイベントだ。


「僕のこと覚えていますか? 昔路上ライブでツーショットを撮ってもらったんです」

「ごめんね。覚えてないの」


 目をそらしながら彼女は言った。

 無理もない。僕みたいな平凡な人間が覚えられているはずがない。

 彼女と握手できただけでも良しとしよう。


 ある時、彼女の結婚が発表された。

 僕は、彼女が結婚しても変わらず応援するつもりだった。

 でも彼女は結婚を機に芸能界を引退した。

 彼女は「ブラウン管の向こう側」から姿を消すことになった。


 僕は今でも彼女を愛し続けている。


「それ、まだ持ってたんだ。昔の写真って懐かしいけどちょっと恥ずかしいね」


 妻は照れながらそう言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ブラウン管の向こう側 タマゴあたま @Tamago-atama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ