バウンサーの仕事

チン!と言うベルの音と共に、エレベーターの扉が開くと、底に広がっていた景色に、エレベーターを降りた龍と水祈は思わず息を呑む。


エレベーターを降りたところから敷き詰められた絨毯の見事な刺繍と、踏んだ感触も詳しくはないが明らかに良い。


壁際の置物も素人目に見ても高そうだし、何よりその階丸々一部屋にしているためか非常に広い。


そんな豪華さに居心地の悪さを感じつつ、二人は奥の部屋の前まで歩き、ドアノブに手を掛けて開けると、


「全ク。所詮は素人カ。仕事が適当ダ」


そう言うのは部屋の奥に座る陳。テーブルを挟んで向かい側には虎白がいる。服装はさっきまで着ていたラフなものではなく、見るからに高そうな素材でできた中華服だ。


「よう虎白。随分可愛くして貰ったな。で?怪我はないか?」

「う、うん」


頷く虎白に龍は優しく頷いてから、陳を見て、


「陳、うちの従業員。返してもらいに来たぜ」

「うちの従業員だト?おまエ、何もわかってないんだナ。この人ガ、何者なのカ」


どういうことだ?と龍と水祈が互いに顔を見合わせると、


「やめて!」


突然虎白が叫び。陳もギクッと体を強張らせる。それは大声を出されたからじゃない。虎白のあの小さな体から漏れ出す覇気のようなものに、陳は圧倒されたのだ。


为自己说话自分で話す


虎白は何か中国語で言いつつ立ち上がると、龍たちの方を見る。


「私の名前は虎白フーバイヤー 虎白フーバイ。そして私のお父さんの名は、ヤー 虎王フーワー

『っ!』


虎白の告白に、龍と水祈が驚きで思わず眉を寄せると、


「分かっただろウ。この方はお前らとは住む世界が違うのダ」


陳は勝ち誇ったような顔を浮かべた。それを見た水祈が、


「なるほどね。獠牙リャオヤーは血の繋がりを最も尊ぶ。必ずボスの直系の、体の何処かに虎の痣を持つものが選ばれると聞くわ」

「虎の痣?」


その言葉に、龍は心当たりがあった。お風呂で寝落ちしていた虎白が見せたがらなかった、背中の大きな痣。


「そうだよ。そして私が」


龍が思い出している間に、虎白は背中を見せる。豪華そうな服の背中は大きく開いており、素肌が丸見えだ。そしてその背中には大きな痣がある。あの時は一瞬しか見えなかったが、確かに虎のような模様をしている。


獠牙リャオヤーの先代ボスの一人娘なの」


ハッキリと、聞こえるように虎白は言った。離れていても響く声。心にスッと入ってくる不思議な感覚。


「なるほどね」


ただ血の繋がりじゃない。虎白は店で働いているときも、不思議と人を惹き付けていた。それは虎白の才能だろう。だからこそ、虎白は獠牙リャオヤーの後継者となったのだ。


だが、


「アホか」


龍は一言そう言うと、徐ろにタバコを取り出して火をつける。


「でっかい組織の後継者とか知らんけどよ。うちの店は今日も明日も明後日も開店予定だ。お前がいないと俺と火月さんの二人で人手が足りないんだよ。寂れた場末のスナックでもな」


龍は虎白の目をまっすぐ見据えた。


「だからよ。まだやめてもらうわけにはいかねぇんだわ」


そう言って龍は笑みを浮かべる。しかしそんな龍を陳はあざ笑い始め、


「ふン。人殺しの分際で好き勝手言ってくれるじゃないカ」

『っ!』


陳の言葉に、龍と水祈は目を見開いた。


「我らの情報網に掛かれバ、人を一人調べ上げることは容易イ。九十九 龍。お前は昔、人を殺しタ。確か名前は大神 竜郎。お前の父親にあたる人間ダ」


陳は腕を組み、更に言葉を続ける。


「今から十年前。お前が父親を素手で殴り殺した。ただ大神 竜郎という男はただの一般人じゃなかった。当時の大神グローバルの社長。愛人に住む場所を与え、定期的に社長業のストレスを愛人との子供にぶつけるようなクズだ」


そう。母がいなくなり、父はそこからパッタリ来なくなった。そして水祈と出会い、人間らしくなっていったある日、突然現れた父と鉢合わせした水祈に、父は掴みかかり、龍は水祈を助けるために殴りかかった。


たった一発。たった一発殴っただけで、父の首の骨はへし折れ即死。


その後、そこから水祈を逃して龍は自首し、様々なことが明るみになって、大神グローバルも今は無くなっている。


「随分と人を調べるのが好きなんだな」

「情報は武器ダ」


龍は紫煙を口から吐き出し、虎白をもう一度見た。


「まぁ、ソイツの言うとおりだ。俺は最低の人殺しだよ。自分の父親を殺して喜ぶ程度にはな」


そう龍が言って笑おうとするが、虎白は違う。と呟くと、


「龍に妈妈と爸爸の話を聞いたとき、龍は辛くないって言ってたけど、泣いてたよ」

「っ!」


虎白の言葉に、龍は思わず咥えていたタバコを口から落としそうになった。


「泣いてた?」

「うん。寂しそうで、凄く悲しそうだった。龍と龍の爸爸がどんな関係だったのかわからないけど、龍は誰かを殺して喜んでなんかないよ!」


龍はそれを聞き、思わず吹き出してしまう。それを虎白はムッとした目で見ると、龍はすまんすまんと言い、


「悪い悪い。過去に同じ事を言ったやつが二人いたんだよ。どいつもこいつも俺を美化しすぎだろ」


そんなことを言ってまた紫煙を吐き出してから煙草を携帯灰皿に捨てた。


「まぁいいさ。さっさと帰るぞ」


そう言って龍は前に出ると、部屋の奥からその道を塞ぐように、雲勇山が出てくる。


「どけよ」

「残念だが、そっちの仕事よりこっちのほうが優先なんだ」


あ?と雲勇山の言葉に龍は眉を寄せると、


「知らねぇのか?日本はな、退職するときは一ヶ月前までに申し出てからじゃねぇと辞めれないんだよ」

「とんだブラック企業だな!」


ガスッ!と龍と雲勇山同時に頭突きを放ち、凄まじい音を発する。


「おぉ!」


龍は続けざまに拳を握ると、雲勇山の脇腹にフックを打ち込んだ。


「グラァ!」


蹌踉めきかけた雲勇山は踏ん張り、強烈な張り手を龍の頬に打ち込む。


『おぉおおおおお!』


それを合図とばかりに、両者の拳と張り手が幾度となく交差し合う。


バキッ!バチィ!と凄まじい音が部屋に響き、口を切ったのか血を口から漏らしながら、幾度となく拳を交える。


「チッ!」

「きゃ!」


その中陳は虎白の腕を取り、そのまま走って逃げようとするが、


「っ!」


目の前に灰皿が飛んできて思わず足を止めた。


「逃さないわよ」


その間に壁の装飾等を足場に、上階まで飛び上がって来た水祈は、陳とにらみ合う。


「雲勇山で龍を足止めして自分だけは逃げようなんて随分虫がいいんじゃない?」

「どケ。チンケな運び屋風情ガ!」


陳は虎白から手を離すと、懐から銃を抜き、水祈に向ける。だが、


「ダメ!」


それを虎白が手を掴んで止めた。


「ハァアアアア!」

「しまっ!」


その隙を水祈は見逃さず、走って間合いを詰めると、銃を蹴って手放させ、飛び上がって後ろ回し蹴りで陳を蹴り飛ばす。


「ありがとう。虎白」


虎白の頭をポンポンと撫でてやりながら、水祈は陳に近づいていくと、


「リャア!」

「ゴフッ!」


頭を上げた陳の脳天目掛けて踵落としを決めた。


「一丁上がり」


白目を剝いて気絶した陳を見てから、虎白の元に水祈が行くと、虎白は震えている。


「どうしたの?」


しゃがんで目線を合わせつつ、水祈が聞くと、


「ち、陳を倒しちゃった、そしたら獠牙リャオヤーが!」


来ると虎白は言いかけたが、水祈は人差し指で唇を抑え、言葉を制した。


「そうでしょうね。でもまぁそれも仕方ないじゃない。こうなっちゃったら」


肩を竦めながら、ニヤリと笑う水祈。それを見て虎白は目を丸くする。


「水祈は獠牙リャオヤーを知らないの!?」

「知ってるわよ?上海を中心に世界各地に影響力を持つマフィア。敵対したやつを絶対許さないやばい奴らだってね」


じゃあなんで、と虎白が問うと、


「ま、そんなことより目標一直線のイノシシみたいな奴がいるからねぇ」


と、未だ階下で殴り合ってる龍を見ながら水祈は笑う。


「覚悟したほうがいいわ。アイツといるとね、命がいくつあっても足らないから」


私は地獄まで着いていくって決めてるからいいけどねー。と水祈が言う中、龍と雲勇山は互いに手を合わせて掴み合う。


「しつこいやつだな!お前も!」

「てめぇこそ!」


互いにギリギリ通し合い、額を擦り合わせた。


「なんでだ九十九龍!お前ほどの腕があればもっとでかい組織のバウンサーでもやれたはずだ!なのになぜあんな場末で、しかも獠牙リャオヤーに喧嘩を売る!」

「俺はな、仕事が終わったあとや始まる前につまみ食いしながら飲むのが好きでな」


はぁ?と雲勇山が困惑する中、


「そして俺はバウンサーだ。従業員が毎日仕事に出られるように守るのが仕事だぁ!」


メキメキ!と雲勇山の手を握りつぶす。


「ぐあああああ!」


思わず悲鳴を上げて怯んだ雲勇山。そして龍は思いっきり体を捻って拳を握ると、


「おらぁあああ!」


全体重とパワーを乗せたテレフォンパンチ。


「なめんなぁ!」


しかしそれを雲勇山は頭突きで迎撃した。普通であれば、額で拳を受ければ拳のほうが砕ける。だが実際拳を頭突きで迎撃と言うのは難しい。人間であれば、思わず回避や防御するところを、攻撃に対して攻撃で返すというのは中々できない。


そういう意味では、雲勇山は人並み外れた胆力だ。しかし龍も人並みではない。


「おぉおおおおお!」

(嘘だろ!!?)


頭突きで迎撃したのに、龍の拳はビクともせず、そのまま押し切り、ゴガッ!とおよそ人体が発する音ではない音が空気を弾き、雲勇山の体が大きく後ろに行く。そして龍は更に反対側に体を捻り、一歩踏み込むと反対の拳から放ったテレフォンパンチが雲勇山腹部にめり込んだ。


「ごふ……」


口からゲロを吐きながら、雲勇山は床に崩れ落ちる。


「ふぅ」


龍は手をプラプラさせながら上に上がっていき、


「龍」


虎白の言葉に、龍は笑みを浮かべると、


「帰るぞ虎白。今日は買い出しがあるんだ」


そう言って手を伸ばす。虎白は少し考え、


「うん」


とだけ返し、龍の手を握り返すのだった。

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