2021/01/08 さる少女の思ひ出

お題:【イマジナリーフレンド】をテーマにした小説を1時間で完成させる。


 保健室を訪れた私を待っていたのは養護教諭の山邑やまむら先生だった。

「やあやあ、桃園ももぞのかなえさん。どうぞ、そこに座って」

 山邑先生は空いている二人掛けのソファへの着席を促す。

 私はソファの端に座った。

「今、お湯を沸かしたところなんだよ。ココアでいいかな」

 彼女が煎れたココアのカップを渡された。かなり熱かったので両手まで袖を伸ばして包んだ。

 山邑先生はアラフォーの女性で、気さくな人であるため学内では比較的人気がある。綺麗な女性というよりは母親や近所のおばさんのような人物だった。

「お母様はお元気?」

「はい。身体が弱いのは相変わらずですけど」

「今日は、どうして呼ばれたか分かる?」

 先生は自分が煎れたコーヒーのカップを机に上に置いた。熱くて飲めないのだろう。机の上にはパソコンとパンダの縫いぐるみ、それから花瓶が置いてあった。

「ええと、それは私が学校から逃げたから」

「逃げたの?」不思議そうに先生は言った。

「あの、それはクラスの子や先生から客観的に見たときの表現であって……」

「そうよね。逃げた訳じゃないのよね」

 微笑みながら頷いてくれる。

「周りの人たちは突然のことに驚いちゃっただけなんだよね。じゃあさ、どうして突然走って出ていったか教えてくれる?」

「はい……」

 私は当時のことを思い出しながら口にした。

桃園ももぞのたまえという姉のことなんです。私には双子の姉がいて、子供のときからたまえちゃんと一緒に暮らしてきました」

「そうなんだ……。ええと、たまえさんは今は?」

「ここにいます」

 ソファの隣に座っているたまえを示した。

 山邑先生は彼女をじっと見ているようであった。

「たまえさんとはお話できる?」

「……その、人見知りが激しくて。あまり他の人と話ができないんです。私が彼女の言葉を代弁することでしたらできると思います」

 先生はコーヒーを呑みながら私とたまえを見比べている。

「話の続きを聞いてもいい? ええと、どこからだったかな……、たまえさんが関係しているのね」

「はい。たまえちゃんはいつもぼんやりしているので私が彼女の手助けをしています。制服を着せるのを手伝ったり、下駄箱から靴を取ってあげたり、彼女が忘れてもいいようにいつもハンカチは二枚持ってきているんです」

 隣のたまえちゃんの手を取って握ると彼女は握り返してくれた。

「それで、あのときは私は教室で数学を聞いていて、いつも隣にいる筈のたまえちゃんがいないことに気付きました。たまえちゃんは私がいない所で迷っているのかもしれない。そう思って、探しにいこうと席を立ちました」

「そういうことだったのね。たまえさんは見つかったの?」

「家に居ました。道に迷ったみたいで、なんとか家に帰ってお母さんとお昼寝していました。そのことで皆さんに迷惑を掛けて、ごめんなさい」

「大丈夫よ。気にしないで」と先生は言った。

 何が大丈夫なのか私には分からなかった。

「たまえさんが迷うことはよくあるの?」

 私は隣に座るたまえを見た。ふわふわとした優しい笑顔を浮かべている。

「いいえ、こんなことは初めてで私も混乱しました」と代わりに答えた。

「そう……」山邑先生は手に取った紙を読みながら喋っている。「貴女も、お姉さんも、もうすぐ十五歳か。若いっていいわねえ。初恋とかはもう?」

 私は首を振った。

「なぁんだ。若いんだからって、待っていても始まらないでしょう。好きな人くらいいるんでしょう? そんなんだったら、あっという間に私みたいになっちゃうよ。私も君みたいに若ければなあ」

「先生の若い頃ですか?」

 ちょっと想像が付かない。

「ああ今失礼なこと考えてるでしょう。これでも若い時は学校のマドンナって言われるくらいモテたし、大恋愛もしたんだから。結局フラれちゃったけど」

 その後しばらく雑談をして私は保健室から出た。


   ***


「石黒君、もういいよ。出てきて」

 桃園かなえが保健室から出て行った後、俺は山邑先生の前に座った。

「何か飲む?」

 首を横に振って応えた。

「話は聞いて察しは付いてると思うけど、彼女にお姉さんなんていないの。周りには彼女は急病で早退したってことになってるんだ」

 山邑はそう言って、机の上に置いていた紙を取り上げる。

「桃園かなえ、十四歳。物心つく頃には一人っ子だった彼女がどうしてお姉さんがいると思っているのか、分かる?」

「そんなことは分かる筈がない」と応えた。

「彼女が生まれた時には、確かに子供は二人居た。たまえとかなえ、どちらが先かはどうでもいいのだけれど……」


   ***


 そう、桃園家には生まれた女の子は二人。だが、片方が死んでしまった。例えば、そうね。かなえさんの父親が片方を連れているときに事故にあったとか。一家四人の内半分が突然消えてしまった。世間一般にはそういうことになってる。

 母親は夫を愛していたが故に、それ以外の相手を持つこともないまま、女手一つで子供を育てた。

 家庭を支えるために忙しく駆けずり回る母親は娘の面倒をあまり見てやれなかったかもしれない。洗濯物を畳みながら迫るパートの時間までに娘を友人に預ける予定を頭をひっきりなしに回し続ける。きっかけはそんな些細な一時、手近で一人でお飯事ままごとをしている娘に向かって母親はうっかり死んだ方の娘の「たまえちゃん」と名前を呼んでしまった。それが母親にとって些細な間違いであったとしても、娘の方が当時どう捉えたかは分からない。

 自分には姉妹がいた。かなえは私は。たまえは誰。

 お母さんは「たまえ」と読んだ。かなえは私。たまえも私?

 五歳にも満たない娘を失ったデカルトは死んだ娘に似せた人形を見繕って世話をしていたという。かなえさんもまたそのような過程を持ってお姉さんという虚像を作り上げてしまったのかもしれない。


   ***


「全部山邑の妄想じゃないか」

「そう、石黒君。全部妄想だ。この保健室からなかなか出ることもない暇で肥満気味な私の作り出した妄想に過ぎない。だが、現にこうしてかなえさんは実在しない姉に対する世話を焼いている」

 それもいつまで続くものか。

「かなえさんが今回起こした騒動は、たまえさんを探すことが目的だったんだ。いずれたまえさんも彼女から消失するかもしれない。それが良いことか悪いことはさておいてね。どっちが彼女にとって幸福かは我々が決めることじゃないんだ」

「お寂しい言い方だな。そんなことより、さっきの話。学校のマドンナだって? 一体誰が?」

「何をぅ!」

 ムキになった山邑が人差し指を突き出して俺の額を突っつく。

 机の上でパンダの縫いぐるみがぱたりと倒れた。

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