炎上の小説家
ドク
炎上の小説家
単身世帯のアパート、築は30年ほど。
その一室に住んでいた、一人の小説家が亡くなった。
名前は、猪野上直次(いのがみなおつぐ)という。
「宮さんが来てくれて助かったわぁ」
「あぁ、いえいえ。頂くものは頂いてますんで」
猪野上の母親に連れられ、彼の住んでいた住まいへと入り込む。
電気と水道はまだ通っていると聞いていたので、明かりのスイッチを押して
部屋を照らした。
1Kの間取りである。足元には若干、埃っぽさを残しつつも、
部屋にはほんのりと珈琲の香りを残していた。
彼は外に出かけていた途中、突然亡くなった。
死因は虚血性心不全であったという。
「未だにね、亡くなったと思えないんですよね」
母親は、部屋を眺めながらポツリと呟いた。
自分の便利屋という仕事柄、人の死を目にする機会は少なくない。
大抵、人は部屋で亡くなるものだ。
ベッドの上か、床の上か、トイレか椅子か風呂場か。
大体その辺りで亡くなっては、人に見つかる前に身体が崩壊を始め、
死の臭いを周囲に放ち出す。
そして誰かに見つかった時には、完全に充満してしまい、
どれだけ掃除しても、部屋にこびり付いている感覚まで拭い切れないものとなる。
その臭いが、擦り取る時間が、否応にして当人の死を認識させる。
この世にいなくなってしまった、ということを理解させる。
死の認識は、故人がこの世に強く残してきたものを一つ一つ排斥していく中で、
徐々に心に芽生えるのだ。
それと比べると、猪野上の死に実感が湧かないという、母親の意見は
至極真っ当なものだった。
彼が帰ってこないことを理解しているであろう、この部屋でさえ、
彼の帰宅を今でも待ち望むように適度な温もりと清潔さを示している。
遺品整理、というより、ルームサービスに来たような感覚だ。
「じゃ、後、お願いしますね」
母親は自分に鍵を手渡し、一礼すると、その場を離れ階段を下りていった。
急に亡くなった手前、しなきゃならないことが山積みなのである。
きっと、その中であの人も、彼の死を知っていくのだろう。
自分は、母親が階段を下りていくのを確認した。
それから、ドアを閉じ、鍵を閉め、遺品を一つ一つ、確認していくことにした。
猪野上が小説家デビューを果たしたのは、25歳の時であった。
彼はコンテストでの受賞以前から、執筆活動を行っていたようである。
始点は定かではないが、小説投稿サイトに投稿し始めたのは23歳頃らしい。
彼は最初から、世論の流れに合わせた作風をしていなかった。
ネット小説を席巻する、異世界ファンタジーや恋愛ものといったジャンルでは
なかった。
最初の投稿作品は『ともすれば、火、三度』。
付けられていたタグは、『歴史』、『ミステリー』、『バトルもの』。
タイトルとタグからは中身が想像し辛そうな印象を受けた。
時代は明治時代末期、大逆事件の皮切りとなった明科事件の真相を知るため、
超未来から歴史探査員が派遣されるという話である。
超未来が出てくると、ファンタジーを想像してしまうものだが、タグに
ファンタジーが入らない辺り、猪野上はファンタジーと見なさなかったのだろう。
して、中身についてだが、あらすじから想像される内容よりもずっと硬派だった。
やがて幸徳事件へと続く社会主義者への弾圧、その過程と外縁をしっかりと
描きながら、登場人物の感情を溶け込ませつつ、話を展開させていく。
歴史探査員の二人が、事件の調査を行うために、当事者たちと行動を共にする。
歴史の流れに直接関わることは禁じられているため、
初めは会話をするのみだったが、社会主義者からの一味として、
度重なる警察から危害を受ける中で、渋々抵抗に加わるようになる。
二人の武装は未来の産物であり、警察を退けるのは容易であったのだが、警察は
公権力に物を言わせ、抵抗するたびに社会主義者の危険性を
世間に誇示していくのだ。
一方で、抵抗しなかった者たちは警察に捕まり、拷問の末、
無残な遺体となって捨てられていく。
体制に疑問を持つことすら許されず、仲間が一人、一人と消えていく、
社会主義者たちの怒り、不安、焦り。
それがどんどんと加速し、やがて明科事件に至る顛末は、破滅的でありながら、
その向こう側に、祈りや願いが、隠されているようにも思えた。
これが初投稿作品である。
一般大衆的なネット小説とは、余りにもかけ離れていた。
扱っている題材ゆえ、ある意味ではネット小説らしいともいえるのだが、
ネット小説読者にマッチするものではないだろう。
実際、評価はマチマチであった。
読む人が読めば評価されるようで高評価も多かったが、やはり題材ゆえ、
反社会的だという批判も少なくはなかった。
それでいて、お気に入り登録している数は63、総閲覧数は全108話合わせて
50,000PV程であるから、良いスタートダッシュだったのかもしれない。
彼については、ツイッターや小説投稿サイト、彼の記事などを探し、
どういう人物なのか事前調査を行っていた。
その中で、初めにこの作品を読んだが、好きな方ではなかった。
確かに作品の面白さに惹かれるのも分かる。
だが、確かに良いものではあるのだが、中々に話が重たく、血生臭く、男臭い。
自分はそもそもライトノベルを好むのだ。
どっしりと考えさせられる話は悪くないと思うのだが、そのまま
破滅の中で終わってしまったのは、何だかどうしようもなく苦しくなる。
それに、これを知人に話すと途轍もなく罵倒されるので、二度と口外しないと
誓っているが。
可愛い女の子がいないのが、辛い。
これは作品の絶対的な良し悪しではないと理解しているのだが、
自分としては、読むモチベーションが起きないので困るのである。
閑話休題、好きな人ならばとことん好む作品だった。
『ともすれば、火、三度』が完結し、すぐに彼は次の作品を投稿している。
それが彼のデビュー作となる2作目の長編『紺雷』であった。
タグは『恋愛』、『大正浪漫』、『ミステリー』。
少し時代を感じるが、明らかな王道物語であった。
政治運動や大戦勃発、首相暗殺に震災、末期には段々と不穏な動きを見せる
世界情勢。そんな激動の大正時代で、利益のために悪事を働く裏の組織があった。
組織の名は紺雷と呼ばれたが、組織に属するものは皆、紺色の雷神を身に着ける
という噂以外、闇に隠されていた。
主人公のマサは探偵業を営んでいたが、殺人事件をきっかけに紺雷を
知ることになる。
実際に起きた数々の歴史的事件を背景に、正義と悪が複雑に絡み合いながら、
マサは組織の真の目的へと近づいていってしまう。
というのがあらすじだが、実はこの物語、
主人公がヒロインのミヨへ好意を寄せるところから始まるのだ。
マサは探偵として冷静沈着な男だったが、ミヨへ好意を寄せたのは
一目惚れだった。
マサは探偵業を営みながら、ミヨへアタックを仕掛ける日々を送る。
ミヨの方も初めは困惑していたが、マサの魅力を知り、
彼の好意を理解するようになる。
やがて交際が始まるのだが、運命の歯車は既に、紺雷から逃れられぬ運命へと
回りだしていた。
マサが紺雷を知り、ミヨに一目ぼれし、二人の交際を始めるまでが、
第一話なのである。
読み応えがありながらテンポが良く、分かりやすい。
主役、脇役問わずキャラクターが魅力的であり、時代描写は、しっかりと
歴史の内容を絡めていて知的好奇心がそそられる。
特にヒロインのミヨがめちゃくちゃ可愛いのだ。
初めはミヨは両親のもとで生活しており、マサは親から警戒されてしまうため、
秘密の交際はポストの上に置かれた便箋で交わされる。
しかし、皮肉にも秘密の便箋が、紺雷が二人を知る手掛かりとなってしまい、
ミヨの両親が殺害されてしまうのである。
行き場のなくなったミヨを、マサは自分の家で身を隠すよう説得し、
二人の同居生活が始まる。
それから二人の関係は、便箋を交わした密やかな甘いものから、
紺雷という組織への恨みを糧に進む、報復活動へと変化してしまうのだ。
躍起になって紺雷を追い詰めようとするマサと、
背中を押すことしかできないミヨ。
そんなある日、紺雷から仕返しを受け、マサは死の狭間を彷徨うことになる。
その時、ミヨは思うのだ。
今度こそ、大事な人を無くしたくない、と。
それからは、ミヨはマサの女房となる決心を固め、
守りたい存在から、支えられる存在に変わっていく。
初めは初心で可愛げが強い少女が、悲しみを知り、それを乗り越えて、
強かな女性になる描写に、マサと読者は心を重ねるのだ。
ミヨが強かになったと思うところは大人になったなあと思うし、
時々可愛らしさを映すところは、昔と変わらないなぁ、なんて思い耽る。
時代の経過とともに、ミヨという存在が本当に愛らしく感じるのが、読んでいて
心地良く、上手いなぁなんて舌を巻いた。
実はマサとの視点が重なるなと感じたのは、話全体の半分ぐらいからであるが、
猪野上は速筆で、話の引きが上手かった。
そのうえで、猪野上らしい話の切り口を作っていたおかげで、話は常に面白く、
新規の読者だけではなく、前作のファンは引き続き楽しむことが出来て、
投稿当初からそれなりに盛り上がったらしい。
自分は、これはかなり好きだった。
断然、ミヨが可愛かったからである。
物語、ファンの熱量は共に盛り上がりを維持したまま、話数が増えるたびに
ファンを獲得し、全325話を投稿し終えた頃には、
PV数は200万以上、お気に入り数は3,000以上と有終の美を飾った。
彼は作品を終えてから、紺雷をコンテストに投稿し、優秀賞を獲得した。
最優秀賞は惜しくも逃したが、猪野上は作家デビューを果たしたのである。
遺品整理を進めながら、事前調査で知り得た猪野上の情報が反芻される。
『紺雷』は書籍化されており、遺品の中にも最終巻まで揃ったものが出てきたので、
つい思い返されてしまった。
それでも手はせっせと動き、遺品整理は、大方完了していた。
彼の私用PCが、遺品の一つに残っている。
猪野上の母親から使用する許可は得ており、PCを起動させてみることにする。
PCには本体のパスワードが付箋で付けられており、ログインを成功させる。
他のパスワードもPC内のメモに記載されていたので、自分のケータイから
各ページにアクセスし、彼のアカウントを覗く。
アカウントがフォロワーされている数は、SNSは2,047、投稿サイトは4,000。
一方で自分がフォローしているユーザーは0である。
また、自分のコメントは『作品を投稿しました』と投稿を報せるもののみである。
てっきり、企業アカウントなのかと疑ってしまった。
だがPCのメモを再度確認しても、所謂『裏垢』は存在しないようで、
やはりこれが彼個人のアカウントだと認識する。
自分が猪野上を調べている時、気になっている情報があった。
彼が作家どころか、ファンとの交流がないというものだった。
こういった部分で、彼が批判されているコメントもいくつか見かけた。
批判など、言わせたい人に言わせておくに越したことはないと思うのだが、
ファンからの応援の言葉や質問さえも、一切返信していない。
猪野上自ら、そういうものを断ってきたということだろう。
それはSNS上だけではなく、彼の家族間でもそうだったらしい。
仲が悪かったわけではないという、お盆や正月には実家に顔を出していたと。
24時間テレビをだらだら流し、年越しの鐘を聞くまで、適当に話していたと。
ただ、本心を伺わせる会話は、全くなかったと、猪野上の母親が言っていた。
自分が便利屋として、母親に頼まれていることが二つある。
一つは遺品整理をすること、もう一つは、猪野上直次の本心が知りたい、
というものだった。
PC内のデータも閲覧したが、彼の作品以外には特に目ぼしい情報はなかった。
遺品整理は14時ごろから始めたが、現在は18時を過ぎた辺りである。
猪野上の母親に、今日の仕事を一旦切り上げることを連絡しよう。
依頼の二つ目を解決するため、19時から待ち合わせをしている人物がいるのだ。
自分は身の回りの確認をすると、猪野上の母親に電話したのち、
駅前の焼鳥屋に向かった。
「すみません、お忙しいところ呼びつけてしまって」
「いえいえ、こちらこそ。協力させて頂けるなら」
待ち合わせていたのは、猪野上の担当編集者、坂村であった。
電話で話した時は声が高いなという印象を受けたが、女性とは思わなかった。
自己紹介を兼ねて、名刺交換を行う。
「改めまして、自分はこの町で便利屋を行っています、宮です」
「私は東関社、文芸担当の坂村と申します」
自分の名刺を坂村に渡すと、坂村はそれをマジマジと眺めた。
「便利屋って、本当にいらっしゃるんですね」
「はは、よく言われます。この町のことなら、取り敢えず何でも知ってますよ」
「それは凄い、まるで『紺雷』のマサみたい」
「はは、実際、探偵みたいなもんです。そういう依頼も受けるんで。
先ずは飲んじゃいましょう。ビールで良いですか?」
「えぇ」
店に入ってすぐ、店員に生ビールと焼鳥おすすめ5本のセットを2つ注文する。
この焼鳥屋では、これが一番早く飲めるスタイルだ。
手をアルコール消毒してから席に着き、荷物を置いて上着を脱ぐと、
店員が注文したセットとお通しを持ってきてくれた。
坂村と乾杯し、ビールを飲んで焼鳥をつまむ。
話題が話題なだけに、のっけから話し始めるのは少し厳しいだろう。
自分たちは最近の話題を話しながら、酔いを深めていった。
グラスが二杯目の途中に差し掛かったところで、坂村が口を開いた。
「猪野上先生、突然でしたねぇ」
その口調は、どこか他人事のようである。
「最近、会ってなかったんですか?」
「えぇ、直接お会いすることは、ほとんど。いつもメールでのやり取りでしたから。
会うのは何かしらの祝い事で、こちらから呼び出した時にお会いするぐらいです」
「そうだったんですね」
「変わった方でしたよ。作品に関して、こちらから口出しすることもありません
でしたし」
それは意外だ、と思った。
彼の作品はデビュー後からかなりテイストが変わっていたからだ。
「はぁ、てっきり編集者の方として結構、作品に影響を与えたのかと」
「はは、よく言われましたよ。でも先生の作品には口出ししないことが、
先生との契約条件でしたから。正直、作風が変わっていく度に擁護していた
こちらの身にもなって欲しかったです。
『pretend』や『在京公』なんか、どこから発想が出てきたのやら...」
彼はWeb投稿作品はどちらも日本をテーマにしていたが、
デビュー後は海外をテーマにするようになった。
『pretend』はアイルランド、『在京公』は中国の雲南省をテーマとしている。
「実は、デビュー後の作品にはまだ目を通してないんですよね。
結構違いますか?」
「かなり違いましたね。キャラクターの癖や描写なんかも、作品ごとに
合わせたものにしていました。それでも先生が書くからこその良さは
光っていたって思うんですが」
「...世間は、評価を変えたと?」
「難しい、ところですよね」
デビュー後の幾つかの作品のレビューを確認したのだが、
評価は5点満点中1、2点であった。
所謂『荒らし』の仕業も疑い、レビューを確認してみたのだが、
悪い意味で裏切られた、というものが多く判断が難しいものばかりだった。
坂村の話を聞くからに、批判が病的なものではないことが伺える。
「作品に何が正しいとか、何が悪いとかはないと思うんですよ。
ただ、読者は筆者に期待するんです。この先生が次に書く作品は何だろう。
この先生が書くなら、次も面白いだろう、と。
それは我儘とかじゃなくて、とても自然なことで...でもなぁ」
「条件を押し切ってでも、口出ししようとかは思わなかったんですか?」
「書かれる作品についてメールを貰ってから、何度も編集長に相談しました。
編集長も頭を抱えていましたが、遂には口出ししない方針で
進めることにしたんです」
「...良ければ、理由を聞いても?」
「最初に口出ししないことを契約条件に入れたのは、
先生からの申し出だったんです。
『自分は作品に口出しされると、それを真面目に受け止めて、悩んでしまう。
もし自分の速筆を買ってくれているなら、口出しをしないでくれ』と。
先生の言葉通り、私たちは先生の速筆も買っていましたから」
「そういうことでしたか」
お互いに生ビールを飲み干し、三杯目を注文する。
「先生について、少しお聞きしても?」
「良いですよ、私の知っている限りでなら」
「先生って結構、俯瞰的に見られているんですかね?自分のこと」
口出しの件について、猪野上の性格を感じられた気がしたので、
つい質問してみた。
「みたいでしたね。先生、別に多重人格とかそういうのではないと思うんですが、
俯瞰的に見る自分っていうのと作品を書く自分っていうのを分けていたらしくて。
昔から、そういうフシはありましたね」
「付き合い、長いんですね」
「なんだかんだ言って、デビュー当時から担当してますから。13年、ですね」
坂村は、しみじみと感傷に浸っていた。
「『紺雷』で衝撃を受けて、自分が担当したいって直談判して。
何だか懐かしいです」
「紺雷、読みました。ヒロインのミヨが良かったです」
「ミヨ、良いですよね。ああいうヒロインがいたのは『紺雷』だけなんです。
あとは全部、おっさんストーリーで」
「あぁ」
自分が思わずため息を吐くと、坂村が苦笑した。
「いや、先生のおっさんメチャクチャ良いんですよ!」
「分かりますけど。マサも良かったですからねぇ」
「...ホント、ずっと先生の作品が好きでした。
水曜の14時ごろ、いつも決まった時間に
メールを送ってくれるんですよ。それが楽しみで」
「締め切りは守られる方だったんですね」
「えぇ、凄い真面目です。筆も早いし、締め切りは守るし。
ほんとに、自分たちの手が掛からない方でしたねぇ。
それはそれで、ちょっと寂しかったですけど」
坂村は酔いが深いのか、先ほどよりも少し虚ろ気味だ。
そろそろお開きといったところか。店員にお冷を注文する。
「大丈夫ですか?」
「あはは、全然大丈夫です。お冷ありがとうございます」
坂村はグッと冷水を飲み干すと、店員にもう一杯お願いした。
「宮さんが私に聞きたいことって、何でしたっけ?」
「猪野上先生についてですね。何でも大丈夫です。
実は先生のお母さんから、依頼を受けてまして」
「へぇ。誰からの依頼かなんて、話しても大丈夫なんですか?」
「本当はダメです。まぁでも、坂村さんなら良いかと」
「あはは。上手いですね、人情派っぽいのも、マサみたい」
坂村は受け取ったお冷を半分ほど飲み、こちらを真っ直ぐ見つめた。
「それで、どういう依頼なんですか?」
「猪野上直次の、本心が知りたいと」
「そんなの私だって知りたいですよ!」
坂村は間髪開けずに返し、ケラケラと笑い出した。
自分もそれに合わせて、笑い返した。
「ははは!ですよね!」
「ハハハ...ホント、喋る機会は少なかったですからねぇ。
最後に話したのは、『Eメンは告ぐ』の
第一巻販売祝いでしたねぇ」
『Eメンは告ぐ』は去年発売された、猪野上の最新シリーズだ。
これに関しては、内容もレビューもまだ確認していないが、
SF系らしいということは知っている。
「では、ちょうど一年前ってことですか?」
「もうそれぐらいですねぇ。読みました?」
「いえ、それはまだ」
「相変わらず、おっさんストーリーですよ」
「あぁ」
坂村は、またもケラケラと笑い出す。
「でも、『紺雷』に近い感じは帰ってきてたんですよ。読者の反応もよくて、
猪野上ブシ復活か、なんて言われてました」
「そうなんですね」
「...世間は冷たいです。先生の書き方なんて、全く変わってないのに」
「え?」
坂村は、今度は苦笑した。
「猪野上先生を編集してきた自分だから言えますけどね。
先生の作品の本質的部分は、昔から変わってないんですよ。
テーマや倫理観、キャラクター。
作品を擬人化したところの、言わば身体や精神といったところは
毎回変わるんですが、魂は変わってないんです。
やっぱり、書きたいことだけ書いている方でしたから」
「...つまり?」
「ですよね。編集長にも言われましたよ。
でも、申し訳ないんですが、私からはそうとしか言えません」
「はぁ」
「あ、そういえば」
坂村は何かを思い出したようだ。
「E面のお祝いで、何か話されました?」
「いえ。そっちは最近はまっている趣味とかの話でした。そっちじゃなくて。
昔、『紺雷』の上巻の販売祝いで、先生と遅くまで飲んでたんです」
「ほう、それで?」
「先生がね、グラスを眺めながら言ってた言葉を、思い出しました。
もしかしたら戯言かもしれませんが、聞きます?」
「えぇ、そこまで言うなら」
坂村を苦笑し、少しして、口を開いた。
『ようやく、燃やすことが出来た』と。
居酒屋の暖簾をくぐり、外気に触れる。
火照った体を覚ますには、丁度良い冷たさであった。
「さっきの話、あまりアテにしないでくださいね?」
「はは。話しておいて、それはないんじゃないですか?」
「あはは、そうですよね。これは失敗だったかな?」
「おやおや、失敗とは?」
「へへ、疑わんといて下さい」
坂村は後頭部をさすり、頭を低くした。
「さっきの様な話が、先生の作品には書かれなかったんです」
「燃えるって話が?」
「えぇ。結局、それが何だったかなぁって、思い出した話でした。
なので、失敗というか、それをお母様に直接伝えられても、
私は責任持てませんってだけです」
坂村は更に、腰を低くし、言葉を並べる。
坂村としても、思わず話してしまったことだということなのだろう。
「分かりました。必要であれば、お伝えするということに留めます」
「ご理解、感謝します。私たちも、これから忙しくなりそうなんで」
「それはどうして?」
「…世間からはね、先生がうちの会社から虐められていたんじゃないかって噂が
あるんですよ。今回の死因も、過労死なんじゃないか、とかね」
そういえば、そんなコメントをSNSで見かけた気がする。
「坂村さんとしては、どうなんです?」
「ホント、ただの悪い噂だと。
先生の行動と世間の反応が乖離するってのは、今に始まったことじゃない
ですから。それを調整させられるのは、いつも私なんです。
こんなこと言っちゃ編集者失格ですがね」
「はは、では、それもオフレコで」
「あはは、すみません」
びゅうっと強い風が吹く。
今日は風が強い日だ。
「でも、せめて小言ぐらいは言わせて欲しかったですね」
寒い日に、更に風まで強いと、思わず目が乾く。
「すみません、今日はこの辺で」
「えぇ、自分こそお付き合い頂きありがとうございました。
今日は冷えますから、気を付けてお帰り下さい」
「はい、それでは」
風が吹くまま、坂村は駅へと吸い込まれていった。
帰路、自動販売機でホットコーヒーを買う。
緩やかに酔いを醒ましながら、猪野上の母親への報告を頭でまとめていた。
遺品整理に関しては、明日の午前中までには完了するだろう。
もう一つ、彼の本心であるが。
猪野上の本心が、結局のところ、何処にあったかを測りかねている。
坂村の話していたことを、真に受け止めるなら、やはり猪野上は、書きたいように
書いていて、やっと燃えることが出来て。
編集者たちに迷惑を掛けながら、両親に遺品整理をさせることになりながらも、
彼の人生は幸せだったと結論付けられる。
無論、本心もまた、幸せだったのだろうと。
だが、少なくとも坂村はそうではないと思っているようだ。
何故なら、猪野上の作品にそういった部分が書かれなかったから、と。
つまり、坂村も、坂村なりに探っているのだ。
小説家の魂は、作品にこそ宿っている、と考える彼女だからこそ、
猪野上が作品に、それを書かなかったことに疑問を持っているのである。
猪野上は、ようやく燃やすことが出来たという。
今から、13年前にだ。
それは、Web小説投稿サイトからデビューした、ということを表すものか?
そこで、燃え尽きたとでもいうのか?
いや、坂村は言っていた。
彼の魂は、変わっていないのだと。
自分は、もう一度だけ、彼の家に戻ることにした。
彼のPCを開き、彼が執筆した作品を、通しで読んでいく。
作業は、夜が明けるまで続けられた。
到底、半日ですべて読み切れるものではなかったが、
坂村の言っていたことに合点がいった。
やはり、魂は変わっていない。
作品が変わっても、根底にあるものは変わらない。
変わらないと感じる、確実な確信がある。
「これは、母親にはとても言えないな」
結局、彼の本心は分からない。
ただ、確実なことが一つある。
彼は『燃えた』のではなかった。
そして、誰かを『燃やしたい』わけでもなかった。
彼は、未だ、燃え続けているのである。
炎上の小説家 ドク @doc1089
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