黒薔薇は悠久の園に眠る

織夜

第1話 始まりの兄弟

【始まりの兄弟】


「はっ……は、う……ん」


 ぼやける視界で確認できたのは暗い部屋に浮かび上がる白い影だった。諦めて視界を閉ざせばむせかえるほどの薔薇の香りに包まれる。体中に突き刺さる薔薇の棘による痛みは麻痺していた。

 自分の腕がどこにあるのかすらわからない。おびただしい量の茨に絡まれて頭上に縫い止められているはずだが、もう切り落とされていると言われても信じただろう。

 理性を保つのも限界だったがまだ意地が勝っていた。


「さぁ、君の話を聞かせておくれ?」


 銀仮面で右半顔を隠した公爵が傭兵の耳元で囁く。

 白い服に白い肌に白い髪。灰色の瞳。上質な宝石のように見えるが本質は刀身に似ていることを傭兵は身をもって知っていた。


「んっ……あ」


 甘く響く声に背筋がゾクゾクと震えた。

 薔薇の強い香りが頭の芯を痺れさせる。この香りが自白の香であると傭兵は知っている。が、気づいたときにはすでにこの薄暗い部屋に充満していて体の芯まで浸食していた。息は整えようがない。

 残る理性をたぐり寄せ、自分を犯す灰色の瞳を睨み付けた。


「一方的に喋らせる男は嫌われるぞ?」


 人の貶め方を心得ている公爵様に、傭兵は感心した。自白の香は確実に傭兵の体を毒している。香に支配される己を自覚しながら必死に耐える。


「時間はたっぷりある。ゆっくり話そうじゃないか」


 悠久の名を持つ者の余裕が薫ってくる。全く焦っていない。時間など、概念自体が存在していないような佇まいだ。

 血の気の引いた象牙色の肌に貼り付く黒髪を指先で払い、公爵は抵抗を忘れた頬を撫でた。


「く、んっ……」


 意地でも睨み続けてやる、と、傭兵は歯を食いしばった。



◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 悠久の王国。王都はフィデリオ。威容を誇る王宮最奥は暗く沈んでいる。主である賢王ニコールの心情を映し出す鏡のようだ。

 王の居室を訪れた宰相、フォンは、照明が灯っていても薄暗い室内の様子から目を逸らした。奥へ奥へと進み深い暗がりを見つめる。


「失礼致します陛下」


 寝室の隅、王妃の肖像画に縋り付くようにして国王がうずくまっている。やつれ、疲れ切った、泣き出す寸前の幼子の顔をしている。王は、どこを見るでもなく虚ろに呟く。


「予はもう疲れてしまった……薔薇はもう見たくない。この世界からなくなってしまえばいい」


 空虚な声を聞いて宰相の胸に広がったのは失望だった。仕えられると決まった時、天にも昇るほど誇らしかった。神に選ばれたのだと信じられた。誇りだった王も、しょせんはただの人だった。

 裏切られ痛む胸を隠すように宰相は頭を下げる。


「陛下の望みはわたしが叶えましょう」


 昏い瞳で王は宰相を見送る。失望しているのは知っている。信頼を取り戻す方法はいくらでもある。でもそれすら億劫なほど膿んでいた。

 なにもどうにもできない王は壁を力なく引っ掻いた。


「アル……アル、俺はどうすればいい? 一人になりたくなくてしてきたのに、俺は結局一人だよ。アル……カレン……」


 王の嘆きを聞き届けるものは誰もいなかった。



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