死神に願いを
あっ、死神だ。
いつも、夜、だった。
そのぼやけた白いひかりが俺の目の前を通り過ぎていくのは、これで何回目だろう。今日は誰を連れて行ってしまうのか。
※
初めてそれを見たのは、小学生の時だった。
俺は小学生の時から、そして高校三年の今になるまで同じ部屋を私室として使っているのだが、その日はどうも寝付けずに夜更かししてしまい、何気なくカーテンの隙間から窓の先を見ると、鶏卵のように楕円の輪郭をした発光する何かがゆっくりと俺の視界を横切っていき、最初はさほど気にも留めず、寝ぼけているのかな、と、目をこすってみるだけだった。
だから翌日に祖父が死んだ、と母から笑顔で聞かされた時も、前日の夜のあのひかりと繋げてみようとも思わなかった。祖父を憎んでいた母とは違って、俺は生まれてから指で数えるほどしか会ったことのない相手だったので、母のような喜びはもちろん、悲しみの感情もわかなかった。
違和感を覚えたのは二度目だった。
冬が近づき、冷たい夜雨の降る秋に、また俺はその白いひかりを見た。その日、野球部に入っていた俺は、夜まで続いた厳しい練習を終えて疲れた身体と冷たく降る細かな雨が相まって、ふらふらと自転車で自宅を目指していて、その途中に見掛けたのだ。
見覚えのある輪郭は疲れで朦朧とした頭が見せた幻覚だろうか、と最初は自分の目を疑った。ひかりを無視して家に帰ってからは、あれは幽霊だったのではないか、とその存在に不安を抱いたまま眠りに付いた、
その翌日、
同級生の女の子が自殺した。
幼馴染だった。彼女とはクラスも別で、思春期の不安定な精神の揺れとともに異性を意識し遠ざけるようになってからは、ほとんど会話することもなくなってしまっていたが……。特に意識していたからこそ、より遠ざけていたようにも思う。幼い頃から知る人間の自殺に衝撃を受けると同時に、俺はその前日の夜のことが頭に浮かんでいた。
前に、あのひかりを見たの、って確か……、
と、祖父の死の前日の出来事を思い出し、死とそのひかりを繋げて考えはじめていた。とはいえ、たったふたつの例で確信を持てるはずもなく、その白いひかりは俺にとって、なんとなく死を予兆させる嫌なもの、という位置づけだった。
そして俺は今、地元の国立大学の医学部を目指す、それなりに真面目な高校三年生だ。医学部を目指すことに強い想いを持っているわけではなく、ただ母親に言われた、というそれだけだった。高校をほとんど行かずに中退し、最終学歴が中卒の母の口癖はいつも決まって、
「私は周囲の環境が劣悪で勉強をしたくてもできなかった。正しい環境にいて勉強ができないやつは、ただの怠慢だ」
と極度の学歴コンプレックスを持ち、俺に勤勉な優等生でいることを強いた。
実際に学生時代の母の置かれた環境がどんなものだったのか、俺に見ることはできないが、伝え聞いた十代の母は、自ら進んで道を外れて、自業自得、という印象も強かった。
まぁ母なりに複雑な想いもあったのだろうが、母のあの同情を買ってくれ、というのを隠そうともしない雰囲気も合わさって、なんだかなぁ、と思ってしまう。
祖父との険悪な関係もこの辺りに起因しているのだろう。
事あるごとに、
「勉強しろ」
と言っていた母に対して、俺が不満に思っていたか、というと、実はそんなことはない。
不良になりたい、というのもなかったし、特にやりたいこともなかったので、就職するよりは進学するほうが気楽だった。だから母の言葉に無理に抗う必要もなかった。抗うために抗ってみたこともあったが、生前の祖母に、なんかお母さんに似てきたね、と言われて、やめた。
想い出、というものにあまり興味を持てない俺だが、一枚だけ大切にしている写真がある。
自殺した幼馴染と俺が、一緒に収められた写真だった。
そう、白いひかりが連れ去ったあの幼馴染だ。
俺はある時から、あのひかりを、死神、と呼んでいる。いつも現れては、俺に近い誰かを連れて行くからだ。
祖父と幼馴染の死の前日以外にも、数度、そのひかりは私の目の前に現れた。その翌日には決まってひとが死ぬ、しかも自分と関係のある人間が、となれば、どれだけ鈍感でも相関性があると気付く。祖母が死んだ時も、親戚の叔父さんが死んだ時も、やっぱり前日にはそのひかりと出会っている。さすがにここまで続けば、確信も抱ける。
そして、また俺の目の前で死神が白いひかりを外へと強く放っている。
今日、というタイミングが俺にある人物の死を想像させた。
その日の夕方、俺は母と大喧嘩をしていたからだ。
喧嘩なんて日常茶飯事だったが、どんなに親しき仲でも絶対に言ってはいけない言葉、というものがある。禁句はおのおの違っているだろうが、それがどんなものであれ、知らなかった、と許されることはない。
俺の部屋に入ってきた母と俺の間でのすこし口論めいた会話をきっかけに、母は得意の嫌な口調で上がらない成績が進学塾の費用と釣り合いが取れない、と強く罵ってきて、徐々にヒートアップしていく中で、母は俺に絶対に言ってはいけない言葉を口にしてしまったのだ。
そんな言葉が母の口から放たれる状況にいたった経緯は覚えていない。だがそんなことは問題ではない。
「いつまで死んだ子の写真なんか飾ってるの。気持ち悪い」
どんな状況になっても、言わない人間は一生言わないし、言える人間は雑に軽く使えてしまうのだ。そして母は典型的な後者で、俺はそれを仕方ないなぁ、と許せる度量の広さを持ち合わせている人間ではなかった。
抱いた殺意はなだめては、また噴き上がった。
その夜、
初めて見た時のように、窓の先にひかる死神に気付いて、俺はひたすら願っていた。
母の死を。
母を連れ去っていってくれ、と。
そうでなければ俺は壊れてしまうだろう。頼む、頼む、と。
結果から言うと母は死ななかった。死んだのは別の人間だった。それは親戚の叔母だったわけだが、そんなのはどうでもいいことだ。
死神は大切な時に役に立たない。
だから俺は――。
※
合格発表の日、俺は正門に貼り出された結果を見るために、地元の大学まで来ていた。それほど緊張はない。もうすでに同じく地元にある私立大学に受かっていたので、別に落ちても受かっても、どうでも良かった。そっちはいわゆる滑り止めの大学だったが、俺にはそれでじゅうぶんだった。
のんびりした気持ちで試験を受け、暇つぶしくらいの感覚で合格発表を見に来ている、ともし公言すれば周囲から憎しみを買いそうな心持ちで、
ひとの群れにうんざりしながら、確認すると、
合格者として俺の名前が載っていた。
母と比べてそれほど俺の進路に対して関心がないだろう父に一応の報告として連絡したら、思いのほか喜んでくれて、こっちのほうが驚いてしまう。
「おめでとう。本当は母さんが、一番その姿を見たかっただろうな」
と電話の最後に添えた言葉の涙声がやけに耳に残った。
「うん。残念だよ」
俺も涙声を出せないかな、と思ったが、どうも俺に演技の才能はないみたいだ。
俺はかつて母が望み続けた地元の国立大学の医学部に入学し、今は医学生、まぁ医者の卵だ。絶対に向いていない、と思うが、他にやりたいことも見つからないので、とりあえず続けている。
あの日以降、死神、を見ることはない。
その間に、近い知り合いや親戚が死んだことだってあったにも関わらずだ。
俺は、自分の手のひらをぼんやりと眺める。あわく白いひかりを放っているような気がして、
そうか、と気付く。
同じ役割は必要ない、ということか。
「最近この辺りで事件が多いなぁ。物騒な世の中になったもんだ。なぁこの子、ってお前と知り合いなのか?」
父の嘆きは、テレビに向けられていた。
ローカルニュースのアナウンサーが、俺と同じ大学に通う学生の不審死を報じていた。
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