小説の書き方、教えてください

 あれは一年近く前のことだ。


 犯罪事件を中心に扱うノンフィクションライターとして活動している、という職業柄、私は取材のために日本の各地に赴くことも多いのだが、その時はある事件の調査のために富山県のN市を訪れていた。何気なく立ち寄った郊外の大型書店では、地元が生んだベストセラー作家であるS氏の追悼コーナーがひっそりとできていた。


 見知らぬ間柄ではなく、生前の彼とそれなりに親交のあった私としては、やはり寂しい気持ちが何よりも先に立つ。


 交流を経たうえでの彼のイメージだが、それは読者の多くが作品を読んで抱く印象とさほど変わらないだろう。気難しい作家の代表例として、作家仲間の内では彼の名前がよく挙げられた。ひと付き合いが悪かった、と彼を悪く言う作家も決してすくなくはなかったが、その反面、畑違いの人間にも排他的になることはなく初めて私が小説を出した頃、それまで犯罪実話ばかり書いていてまともに小説を書いた経験のない人間だったこともあり、周囲の反応は冷たかったが、S氏だけは私の作品に好意的で、S氏は自分の持つ別荘での集まりに私まで招いてくれたりもした。


 好奇心がとても強く、彼は、私が取材した事件の裏側をよく聞きたがった。作風的にも、彼はミステリが中心だったので、小説のネタ探しの一面も、そこにはあったはずだ。


 彼は米寿、つまり八十八歳になった年にその生涯を終えた。二十代前半でデビューしてから、ずっと第一線で活躍してきた、と表現しても過言ではない人物であり、特に長者番付がまだ日本で公表され、いつもそこに名を連ねていた頃は、弟子入り志願の作家志望者が彼の自宅の前に列を成していた、という逸話があるほどだった。


 すくなくとも現代の出版業界に徒弟制度のようなものは馴染まない、という理由で彼は弟子入りを志願されても容赦なく断り、その主義を貫いていた。


 ただ私は知っている。


 公表することはなかったが、晩年の彼はたったひとりだけ弟子を取ったことがある。


 Kくんは私よりふた回りほど若く、まだ三十歳にも満たないくらいだろう。今でも、定期的にKくんと顔を合わせているが、Kくんは不思議な雰囲気の青年だった。


 正直なところ私はS氏が弟子を取ったことにも驚いていたが、それ以上にKくんがS氏を選んだことのほうに驚いていた。失礼を承知で言えば、さすがに晩年のS氏は名前こそ有名とはいえ、もう世間的には終わった作家という扱いを受けていた。


 はっきりと口に出す者はいなかったが、S氏自身も気付いていただろう。


「師匠と弟子って、どんな話をするんですか?」

 と、生前のS氏に私はふたりの関係について聞いてみたことがあった。


「正しい師匠と弟子の在り方なんて、私が知るわけがないじゃないか。ふたりで読んだ小説の話をして、書いた小説の話をして、完成した原稿がある時は、Kくんに持ってきてもらって、それに口を出す感じかな」


「添削は厳しくされているんですか?」


「しないよ、そんなの。きみは知っている、と思うけど、私は技術を磨いただけの小説は評価しないからね。積んだ人生経験の量と感覚を研ぎ澄ませることでしか小説は上達しないから」


 年齢の離れた茶飲み友達みたいなものだよ、とS氏のにこやかにほほ笑んだ表情を見ながら、祖父と孫みたいな関係だな、と思った記憶がある。弟子というよりは、孤独の慰めみたいなものだったのかもしれない。


「なんで、弟子を取ったのですか?」


「うーん。死ぬ前に一度くらい、と思ったのもあるけど、彼にはすこし危うさがあってね。放っておけなかった、というのが正直な気持ちかな」


「危うさ、ですか?」


「きみもすこし話してみれば分かるよ。作家なんて生意気でプライドが高いくらいでちょうどいい、と私なんかは思うけれど、どうも素直過ぎる、というか。私の言葉ひとつにしても、どこまでも忠実に守ろうとするんだよね。私が怖いのなら、それはそれで良いのだけれど、そういう感じでもないんだ。自分が一切ない、というか……。『小説家に、なりたい』って私のところに来たわけだけど、その性格は作家にとって致命的にも思ったりするんだよね」


 思い込んだら、一直線、というひとがいる。


 それがKくんに対する私の第一印象だった。とにかくKくんは思い込みが激しくて、ある時に、自分はミステリ作家になれる、と思ってからは、それ以外が見えなくなったらしい。面白い小説、優れた小説を書きたい、というのは、多かれ少なかれ、どの作家志望者の根っこにもあるものだ、と私は思っていたが、Kくんはどうもそういう部分が欠落しているように、私には見えたし、おそらくS氏もそのように感じたのだろう。おそらく他の作家ならその時点で見限っていたはずだ。そういう意味では、最初の頃のふたりの相性は悪くなかったのではないか。


「どうも先行きに暗いものを感じるんだ……」


 S氏の困ったような苦笑いは、とても印象的だった。


 作家、という肩書きのみにこだわっていたKくんは、空っぽのこころで文章を綴り、S氏の言いつけを忠実に守った。過ぎるくらいの忠実さは、ある種の狂気を孕んでいるのかもしれない。


 私も、そのきっかけになった言葉はだいぶ後になって知ったのだが、


「きみはミステリ作家になりたいんだろう。ミステリ作家に必要なものって、なんだろうか。きみはよく知的遊戯としての本格ミステリを好むよね。犯人当ての推理ゲームだ。よく思うんだけど、登場人物に血が通っていない感じがするんだよね。そこの部分をうまく書けないから、技術に逃げてる感じがする。登場人物の名前を、Aくん、Bさん、みたいにアルファベットに変えても通用しそうなくらいにね。そんなんじゃ一生、作家なんてなれないよ。克服するには、血を通わせるために、人生経験を積むしかない」


 この言葉の真意を本人の口から聞くことは、もうできない。ただ勝手に想像するのなら、反撥心を抱いて欲しい、というKくんに対する思いが、どこかにあっての言葉だったのではないだろうか。


 だとすればS氏は、Kくんの性格を見誤り、あまりにも信じすぎた、と言えるかもしれない。


 無垢、純粋さは善とは限らない。言葉では知っていても、実感として抱いたのはこれが初めてのことだった。


 KくんがS氏を殺した動機は、S氏の言葉を忠実に守り、ミステリを、リアルな犯人を描くためにひとを殺した、というものだった。これがKくんの本心だったかどうかは、Kくん自身にしか分からないが、ただその動機はKくんから実際に聞かされたものだった。


 私はいまも刑務所にいるKくんと面会を重ねている。彼はいまも小説を書き続けているらしいけれど、絶対に他のひとの目には触れさせない。見たことはないが、リアリティとリアルの違いも分からない彼に、小説家としての資質は欠片もない、と私は決めつけている。そして人格にはさらに難がある、と思ったが、とはいえ私に彼を糾弾できる人間性があるかと言えば、それも心もとない。


 彼自身とS氏の遺族を強引に口説き落として、来年、私は彼の事件を題材にしたノンフィクションノベルを出版予定だ。


 彼は残念ながら小説家にはなれなさそうだが、小説の主役にはなれそうだ。


 私のおかげで。


 Kくんがそれで満足できるかどうかは分からないが、そんなの私の知ったことではない。

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