第321話 11月8日(彩弓さん、何考えてるの……?)

 朝陽が差す玄関で、ローファーの隙間に指を滑り込ませる。

 履き口に沿って指先で弧を描くと、だんだん踵のおさまりが良くなった。


(……よし)


 仕上げとばかりに立ち上がって爪先で床を鳴らす。

 そして、コツコツと小気味いい音が聞こえた瞬間――、


「忘れ物はないか?」


 ――と、彼に声を掛けられた。

 慣れたやり取りではあるけど……ひょっとして彼の中で私は小学生のまま成長が止まっているのだろうか?


「はぁ……」と短い溜息を吐き、なんて返そうか迷ったのは一瞬だったが――、


「そういうの、なんかお母さんっぽいよ」


 ――何か言う前に、彩弓さんが彼をからかっていた。


「これくらい普通のことじゃないですか?」

「えー、そう? ちーちゃんはどう思う?」


 いきなり他愛ない話題を振られ、反射的に「……さあ?」と答えてしまう。

 でも――、


「でも、私……四年生の時から一度も忘れものってしたことありませんから。お節介ではありますね」


 ――つい、そんな言葉が口を衝いてしまうのは……やっぱり私が子どもっぽいからだろうか?


「……それじゃ、いってきます」

「ああ、気をつけてな」

「私もいってきます。あ! 今日、帰りは遅くなるけど、晩ご飯はこっちで食べるからね」


 早足で家を出たけれど、すぐに彩弓さんが追いついて来る。


「駅まで一緒に行くでしょ?」

「……はい」


 平然と隣を歩く彼女があまりにいつも通りで……身構えていた分、肩透かしを食らった気分だった。


「何?」

「いえ……何でも」


 彩弓さんから逸らした目線を、通学路に描かれた白線へ向ける。

 そのままぼんやり歩いていると、気付いたら駅にいて――、


「じゃ、またね。ちーちゃんっ」


 ――何故、こんなことをしようと思ったのか……訊くタイミングを逃していた。



「茉莉、彩弓さんに何か話したでしょ?」


 挨拶なんてすっ飛ばして訊ねるなり、親友は目を逸らした。


「……反応がわかりやすく黒なんだけど」

「いや、待って! 確かに話したよ? でも、大したことは言ってないから!」

「本当? 例えば私が県外の大学を考えてることは?」

「言う訳ないじゃん。だってそれ、秘密なんでしょ?」


 ひとまず、向き直った親友の瞳は信じることにする……だけど。


「……だったら、なんでこんなことになったんだろ」

「こんなこと?」

「今、彩弓さんと二人で彼の家に下宿してるの」

「えっ? なんで、そんなことになってるの?」


 茉莉からの問いかけに「知らない」とだけ答え、溜息を吐きながら机へ突っ伏した。

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