第301話 10月19日(あ、インスタントだ……)

 普段より教科書の少ない通学鞄を提げて歩く足取りは軽い。

 商店街に敷き詰められたタイルをコツコツと踏み鳴らして歌うローファーは、自分の足元ながらとても機嫌が良さそうだった。

 クレープ屋の前を横切る瞬間、看板へ描かれたメニューが目に入る。


「…………」


 賭けに勝ったらクレープを奢ってもらえるという話だったけれど……いくつまでかは決めていなかった。


(……でも、二つまでかな)


 商店街のクレープ屋はボリュームがあることで有名だ。

 甘い香りに背を向けながら、頭の中へ『チョコバナナカスタード生クリーム』と『チーズケーキ生クリーム』という名称が入力される。

 代わりに、ここ数日で詰め込んだ英単語がいくつか消えた気はしたけれど……まあ、些末なことだ。



 玄関へ入った瞬間、彼は開口一番に「試験、どうだった?」と訊ねてきた。

 平気な顔でローファーから踵を抜きつつ「約束のクレープですけど、二つまでで我慢しておいてあげます」と返す。

 すると、彼は楽し気に笑って「まだ、初日が終わっただけだろ?」なんて首を傾げて見せた。




 束の間の珈琲ブレイク。

 彼が淹れてくれたインスタントの珈琲へ口をつけながら――、


「正直、初日きょうは英語と国語だったので自信しかありません」


 ――なんて、今日の出来栄えを語る。


「昔から、その二つは得意だったもんな」


 相槌を打つ彼が、個別に包装されたクッキーの袋を破いた直後――私は、その中身だけを抜き取ってみせた。

 しっとりとした安っぽいクッキー生地を、インスタント珈琲のチープな味で流し込む。

 そして、やれやれと呆れる彼が手にした二つめに狙いをつけていたら……ぽいっと、個別包装されたままのクッキーを放られた。


「……なんですか、いきなり」

「自分で食べなさいってこと」


 思わず唇が尖っていく中、指先で包装に切り目を入れる。

 二つ目を口の中へ放り込んだ後で『三つ目を食べたら勉強を始めよう』と決めた。


「それで、明日の試験は?」

「日本史と数学と音楽です」

「三教科か、自信はある?」

「まあ、それなりには……」


 なんて言いつつ、自信はわりとあった。

 三教科と言っても、音楽の大崎先生が作る試験問題は毎回選択問題ばかりだ。

 普段から授業を聴いて、通学中に電車の中で勉強しておけば事足りる。

 実質、明日の試験は二教科と言っていい。


 その後、三つ目を食べ終えて勉強に向かう私へ――、


「じゃ、またテーブルを借りますね」

「おう、頑張れよ」


 ――彼は短いエールをくれた。

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