第276話 9月24日(大切なのはそのままで……)

 焼き切れた思考回路を無理やりに回して考えた結果……意識しすぎても仕方がないんだと気付いた。

 けれど――、


「ちな。俺、今から出るんだけど、どうする?」


 ――突然外出することを告げられ……こういう時、今までならどう対応していたのかが上手く思い出せない。

 たぶん、茉莉と彩弓さんに散々弄られたせいで頭のHDD記憶媒体がお釈迦になったのだ。

 その結果、なんとか口から絞り出せたのは、


「……出るって?」


 鸚鵡オウムにだってできそうなつまらない返しだった。


「ちょっと買い物にな」

「いつ戻るんですか?」

「んー? そうだな。文房具屋へ行った後でスーパーに寄って――そうそう、夕飯もそのまま外で済まそうかと思ってたんだが」


 ……確か、最初に聞いた時は『ちょっと』という冠が『買い物に行く』という話の頭へ乗っかていた筈だ。

 しかし、彼の話を鑑みるにどうやら一時間やそこらで帰って来る気はないみたいだった。


「……いっそ、ストレートに『留守番頼むな』とか『帰れ』って言ったらどうですか?」


 悶々としていた所を邪険に扱われた気がして苛立ってしまう。

 返事をする声にも、つい棘が生えてしまった。


 彼の返答は待たず、さっさと家に帰る気で飲み残していた珈琲を呷る。

 だが、こくんと喉を鳴らした直後――、


「いや、どうせなら一緒に行かないかなと思って誘ったんだけど?」


 ――珈琲が気管へノックをして行ったせいでむせそうになった。

 「んっ」と、喉を鳴らしてから呼吸を整え、彼に向き直る。


「……いきなり、なんでですか?」

「……理由は、考えてなかったな」


 頭を捻る彼へ安堵しながら落胆もしてしまう。

 でも、やはり自分が考えすぎているのだと改めて思った。


(二人で出掛けるくらい、どうということもない。今日だって、今の今まで二人きりだったんだから……)


 ただ――、


「……はぁ。一緒に行きます。文房具屋まで行くなら、近くの本屋にも寄れるでしょ?」


 ――きっとこれからは『今更』と思うことも、これまでと全く同じじゃない。


 好きだった剣道から、好きなままで離れたように。

 彼に抱く気持ちも特別なのは昔と変わらずに……意味だけが変わっていくのかもしれない。


 もう、彼が自分にとってかけがえのない存在だということは嫌というくらいわかった。

 だけど、私達はまだ途中なのだとも思う。


 だから、誰にどんな名前を教えられても決められない。

 胸の中にあるとわかったくすぐったい想いの名前を、まだ決められないのだ。

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