第274話 9月22日(ただ、お礼を渡しに来ただけなのに……)

 玄関ドアが開き、彼に出迎えられた瞬間、


「……これ」


 素っ気なく買って来たケーキを差し出す。


「これは?」

「お礼です。ケーキ……この前、おじいちゃんの家まで連れて行ってくれたから」


 本当は、深夜にココアをご馳走になりながら聴かせてもらった言葉へのお礼なのだけど……言える筈がない。


 視線を逸らし「いらないんですか?」と急かす。

 彼は「まさか!」と言ってケーキを受け取り――、


「すぐに紅茶を淹れるよ」


 ――当然のように私を家へと招いた。

 一瞬、脚が止まる。


「……ちな?」


 首を傾げる彼の瞳は『食べて行くだろう?』と訊ねていた。


「えっと…………今日は、珈琲がいいです」



 大きな苺の冠を頂くショートケーキ。

 ラズベリーがちょこんと座ったガトーショコラ。

 二つのケーキを皿へ移してから、彼は私に向き直った。


「どっちが食べたい?」

「どっちでもいいです」


 質問に答えた直後、彼が「ん?」と唇を一文字に結ぶ。


「あなたが先に好きな方を選んでください。これ、お礼なので」


 『遠慮はいらない』と、伝えたかったのだけど……余計に困った顔をされてしまった。


「って、言われてもな」


 彼は「んー……」と唸りつつ、ケーキを見つめ――、


「だってこれ、二つともちなが好きなやつだろ?」


 ――急にこちらへ目線を流してくる。

 知ってたんだ気付いてたんだという驚きは一瞬で、徐々に頬が熱くなってきた。


「……違うんです」

「違わないだろ?」

「そ、そうじゃなくてっ」

「……そうじゃなくて?」


 思考がまとまらないまま、結ぼうとしていた口元がつい解けてしまう。

 

「今日のはお礼なので、最初から先に選んでもらおうと思ってて――だから、そのっ……どっちを選ばれてもいいように両方、私の食べたいものを選んだんです」

「…………」

「なので、本当に遠慮はいらないというか……遠回しに、私が食い意地を張ってるみたいになるので、黙っておきたかったんですけど」


 ずっと逸らしていた視線をゆっくりと彼に戻す。

 すると、彼の目がキッチンに向けられていて、


「なら――」

「半分こにするって提案は、恥ずかし過ぎるのでなしの方向で」


 咄嗟に言葉を遮って安心したのも束の間……だんだん、墓穴を掘ったような気がしてきた。


「……なら、ガトーショコラで」

「……いいよ」


 上気した頬を俯いて隠し、彼にガトーショコラの皿を渡す。

 恥ずかしさで締まりのなくなった口元を意識しながら……あの日の夜は、ここまでひどい表情をしていませんようにと、本気で祈った。

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