第273話 9月21日(何これ、なんか顔熱くなってきた……)

 朝食を済ませて珈琲を飲んでいると、


「何か、良いことでもあったの?」


 母がトーストにバターを塗りながら訊ねてきた。


「……何で?」


 反射的に質問を返した途端、母の顔が綻ぶ。


「だって、朝からニコニコしてるんだもん」

「えっ?」


 咄嗟に頬へ触れた瞬間、騙されたと思った。

 娘の眉間へしわが寄り、頬が膨らんでいく様子を母は楽し気に笑う。


「急におじいちゃんの家に行くなんて言い出した時は何事かと思ったけど……向こうで良いことがあったのね」


 薄く焦げ目のついたトーストへかじりつく母は、ザクザクとご機嫌な音を奏でていた。





 通学中、電車の窓を鏡代わりにする。

 幽霊みたいに透明なガラスへ薄っすらと映り込む自分の顔は全くニコニコなんてしていない。

 なのに――、



「良かったね?」



 ――教室へ入って早々、朝の挨拶もしない内から茉莉にそう言われてしまった。


「……何で?」

「あれ? 秋ちゃんとの試合、上手くいったんじゃないの?」


 きょとんと首を傾げる親友は質問の意図がわかっていないようだ。

 自身の言葉が足りなかったなと反省しつつ、改めて訊ねる。


「そうじゃなくて、何で試合が上手くいったと思ったの?」


 すると、


「だって……今日のちな、なんだか嬉しそうなんだもん」


 親友の口から母と似たような言葉が出てきた。


「ひょっとしてなんか違った?」

「別に、違わないんだけど……」

「なになに? どうしたのよ?」

「……朝、母さんにも同じようなこと言われたから」


 直後、机へ鞄を掛けてからイスに座り次第突っ伏する。


「おいおい、今度はどうした? おなか痛い?」


 茉莉の質問にふるふると首を振りながら、顔はあげない……というか、あげられない。

 だって、から丸一日経ってこの有様だ。

 だとしたら、あんな……嬉しい言葉を彼に贈られた直後――私は、彼の前でどんな顔をしてたというんだろう?


 ……今更、胸の奥から恥ずかしさが込み上げてくる。


「……なんか、熱くなってきた」

「……暑いの?」


 頭上からそよそよと風が吹き始めた。

 真っ暗な腕の中からではわからないけれど、茉莉が何かで扇いでくれているらしい。


「……落ち着いてから、ゆっくりでいいからさ。また、休みの間に何があったか聞かせてね? あたしだって、ずっと心配してたんだから」


 無言のまま、すぐに頷いて返す。

 だけど、こんなの……どう話せばいいんだろう?


 たった一度、深夜に行ったココアタイムが……こんなにも心を揺さぶることになるなんて、思いもしなかった。

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