第254話 9月2日(受けていい筈がない……)

 九月になり『ようやく学校夏休み始ま終わった』と喜んでいた。

 しかし、一日経って放課後を迎えた帰り道で……ふと、また変化のない――つまらない毎日が始まるだけなのだと気付く。

 これから訪れるのは『最低限やることがある』というだけの高校生活だ、と。


 だって、春と比べて息苦しさは増したが……直に、この閉塞感にも慣れていく。

 楠へ抱く罪悪感はいづれ風化し、夕陽が向ける眼差しも気にならなくなっていくだろう。


 そうなれば、もう何も起りはしない。


 ここから、楠と燃えるような恋をしたりしない。

 ここから、本音でぶつかって夕陽と仲直りをしたりもしない。

 ここから、私はペンを握って教科書と向き合い、疎かにしていた受験勉強へと勤しむのだ。


 うん。最後のは我ながら、とても現実味があると思った。

 それなりに勉強して、てきとうな大学へ入って、今度は就職というゴール目指して大学生活を浪費する。

 部活から退き、竹刀を握らない生活へ慣れていったように……色のない日々へ馴染んでいく。


 私を待っているのは、そんなだけだと思った。

 けれど――、


「……ちーちゃん先輩」


 ――も、私を待っていた。


「……秋?」


 校門で一人佇む秋へ「部活はどうしたの?」と問いかける。

 すると、ずっと子犬のように思っていた後輩は「お願いがあって来ました」と答えた。

 緊張した声だ。

 でも、情けなくない。

 彼女は緊張の糸を弓の弦みたいに引き絞る。

 そう、秋は私に向けて……矢をつがえたのだ。


 力強い瞳に見据えられ、思わず足の裏へ力を籠めた。


「……もう、部活に戻れなんて言えないよね?」


 インターハイは終わり。三年生はとっくの昔に引退している。

 今から戻っても、そこに意味はない。

 秋だって、それがわからないほど、子どもじゃない筈だ


 唇を固く結び、返答を待つ。

 そして、


「そんなことは言えません」


 返って来たのは、予想した通りの言葉と――もう一つ。


「でも、先輩。最後に、わたしと試合をしてください」

「……試合?」

「はい。一試合だけで構いません」

「なんで、今更――」


 『試合なんて』と思った瞬間、


「先輩の最後の剣道が……あんな形で終わっていい筈がないからです」


 秋は、乱暴に筆を振り下ろすように――私の過去へ、色を投げつけた。




 また変化のない――つまらない毎日が始まるだけだと思っていた。

 これから訪れるのは『最低限やることがある』というだけの高校生活で、転機など……もうないのだと。


 だけど今、転機彼女は……私の目の前にいた。

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