第253話 9月1日(……まだ、暑いな)

 長かった夏休みも終わり、ようやく新学期が始まった。

 久しぶりに会う喜びを興奮した様子でクラスメイトたちが分かち合う中……一人、すまし顔で過ごす。

 『焼けたねー』とか『またいこー』なんて黄色い声が教室のあちこちから聞こえてくるたび、肩身の狭い思いをしていた。


 しかし、この息苦しさを感じる理由は話相手がいないからじゃない。

 窓の外へ向けていた視線をそっと教室に戻し、楠が座る席へと向き直る。

 すると、楠は友人と笑いながら話しているところだった。

 一瞬『良かった。元気そうだ』なんて考えてしまう。

 外側から見ただけでは人の心なんてわからないのにだ。


 止めようもなく口から溜息がこぼれ、再び窓から見える景色と対面する。

 名前も知らない常緑樹に『また戻って来たの?』とあざ笑われた気がした。


(しょうがないでしょ……何話していいかわからないんだから)


 教室に入った瞬間からそうだった。

 楠の姿が目に入って――楠がいると思うと体が固くなる。

 「おはよう」と挨拶をされた時も上手く唇が動かなくて……目線さえ合わせることができなかった。

 しかも、楠の声から『友人に戻ろう』という気遣いを感じたのが……余計に辛い。

 気まずくて、どう接すればいいかわからないだけでなく……相手の優しさまで踏みにじってしまうのかと自己嫌悪でいっぱいだった。


 けれど、私を責めるのは私自身だけではない。

 時折、蛇みたいな毒々しい眼差しが自分に向けられているのを感じていた。

 振り返って確認をする勇気はない……でも、この敵味方をはっきりと識別する視線の主が誰なのかはわかる。


(……夕陽、たぶん私達が別れたの気付いてるんだろうな)


 去年までの私なら、が片想いしている相手を振った女へ向ける感情なんて欠片も理解できなかっただろう。

 だが、今はほんの少しだけわかってしまう。

 でも、わかるのは氷山の一角だ。


(謝った方が良いんだろうか? でも、何を? どう謝るの?)


 一人では到底導き出せそうにもない問題が頭の中を駆け巡る。

 傍から見れば、つんと唇が尖り、冷たい表情で頬杖をつく私は無表情で冷静な女に見えたことだろう。

 しかし、内心では必至で滑車を回す小動物ハムスターのようにじたばたと走り続けていた。


 だからこそ――、


「おはよう!」


 ――夏休み中に幾度となく会い、久しぶりもへったくれもない親友の顔を見た瞬間、貼り付けていた表情は砂のように崩れ去った。


「……おはよう。あと、できれば明日からはもっと早く来て」

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