第206話 7月16日(きっと、どこかで……私が間違えた)

 夜、部屋のドアがノックされた途端、


「ただいまー」


 スーツ姿の彩弓さんがレジ袋を提げて現れた。


「……ここ、いつから彩弓さんの家になったんです?」

「んー……いつから? そうねぇ、コンビニでお酒を買った瞬間からぁ?」


 その後、彼女はレジ袋を足元に落とすなり、ベッドへ飛び込む。

 布団を丸めて抱き締めるだらしなさから見て、既に酔っぱら出来上がっているようだ。


「まさか、ここへ来るまでに道端でも飲んでたんじゃないですよね?」


 無造作に床へ放置されたレジ袋を拾い上げながら訊ねると、彩弓さんが吠えた。


「失礼なぁ! ちゃんとお店で飲んでたわよ! 同僚に誘われて楽しくねぇー」

「なら、なんでまたお酒買っちゃうんですか」

「それは、ちーちゃんと一緒に二次会がしたくて……?」

「…………」


 『ちーちゃん』なんて言う割に、彼女が買ってきたモノの中にはソフトドリンクがない。


「……私、未成年ですけど?」


 寝転がる彩弓さんを見下ろして訊ねても「そりゃ大変だ……」と寝言みたいな言葉が返ってくるだけ。

 仕舞には、彼女のまぶたが閉じ始めたので必死に肩を揺すった。

 すると――、


「ちょっと、彩弓さん。寝るならせめてスーツは脱いでください。シワになりますから」


 ――薄く目を開いた彩弓さんに、じぃっと見つめられる。

 次の瞬間には『ちーちゃんが脱がせて』なんて言い出しそうな空気を感じていたのに、


「ちーちゃん……なんかあった?」


 突然、落ち着いた声色で訊ねられた。


「……なんかって、なんですか」


 声に虚勢が混じる。

 直後、彩弓さんの表情が変わった。


「悩みごと、あるんじゃない?」


 自分のした悪戯を悔いているような姿が……心配してみせる台詞と噛み合わない。

 でも、罪悪感に満ちた彼女の口元は……似たような気持ちでいる私の心を軽くした。


「明日……楠の試合なんです。応援に行くことになってて」

「……うん」

「でも、私……ひどくて、少しも、楠に優しくない」


 ずっと言葉にはしてこなかったものが、喉から出そうになる。

 きっと、どこかで……

 向き合い方を間違えたまま、明日――楠の試合を見に行ってしまう。


 悪いのは自分なのに、自罰的で自己嫌悪に浸っている……そんな今の自分が許せなかった。


「……そっか。まだ、続いてたんだ」


 それから、彩弓さんは目を瞑ると静かにこう告げた。


「ちーちゃん……私はね、付き合う傍にいるってことが必ずしも相手と向き合うってことにはならないと思うの」


 まるで、軽蔑してくれていいと言うように。

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