第205話 7月15日◆今日勝てば……◆

「今から飲み物買いに行くけど、なんかいる?」


 財布を持った小塚に訊かれ、「あー……」と声が漏れる。

 普段なら『お茶』と即答するのだけど、今日は喉まで出かけた言葉が腹の奥へと引っ込んでしまった。


「……楠?」

「いや……俺も一緒に行くよ」


 買いに行くと言っても駅構内の自販機までだ。惜しむ労力でもない。

 それに、自分の目で見ないと……今、飲みたいモノはわからない気がした。




「まずは……っと」


 小塚は小さいペットボトルに入った炭酸飲料を買った後で、スポーツドリンクの購入ボタンも押す。


「そんなに買うのか?」


 喉が渇くからあらかじめ多めに買っておくというならわからなくもないが……だとしたら甘い飲み物は余計だと思う。

 しかし、小塚は「いいんだよ」と笑いながら炭酸飲料のフタを開けた。


「こっちは今飲みたくて買っただけだからな。だからほら、飲みきりサイズ」

「……なるほど?」


 もしかしたら、小塚なりに試合前の緊張を解しているのかもしれない。

 部活中にジュースを飲んだことがない身としては、ちょっとした文化的衝撃カルチャーショックだった。

 なんて考えていると――、


「楠ってさ、小学校にジュースとか持って行ったことないタイプだろ?」


 ――小塚がからかうように訊ねてくる。


「だからなんだよ? 持って行っても、バレるだろ普通」

「そこは中身が見えない水筒にいれていくんだって」


 得意げな小塚に『なるほど』と頷く半面、溜息を堪え切れずに呆れてしまった。


「そうまでして飲みたいか? ジュース」

「どうだろ? やってた時は誰にも迷惑をかけずに悪戯悪いことがしたかっただけだし」

「……ささやかな反抗期だな」


 小塚へ答えた後、俺は迷った挙句に結局お茶を買ってしまう。

 でも、


「そりゃ、ガキっぽいのは認めるけどさ。お前みたいに、高校生になってまでお行儀よくお茶とスポーツドリンクだけOKなんてのもだろ?」


 悪友の言葉に「……それは、そうかもな」と返してから、もう一度購入ボタンを押した。


「まあ、気分転換になりそうなのはわかるよ」


 そして、取り出し口から無糖珈琲ブラックコーヒーを掴んで見せる。


「……珈琲でいいのか?」

「ばか。珈琲がいいんだよ」


 プルタブを開けて、まず一口。

 細い溜息を吐くと……心なしか、さっきより緊張が解れたように感じた。


「今日、勝てば……」

「ん? あー、そっか。今日勝てばベスト16だっけ」

「いや、それもそうなんだけどさ」


 今日勝てば次は五回戦。

 やっと、向坂に試合を見てもらえる。


「勝つぞ、絶対に」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る