第170話 6月10日(珈琲、おかわりもらえばよかったかな……)

 窓ガラスに張り付いた雨粒が、後から来た雨粒とぶつかり下へと落ちた。

 もう、何度も同じ光景を見ただろうか。


「雨、止みませんね」


 読み終わった本を片手に呟くと――、


「今日は走れそうにないな……」


 ――すぐ後ろから彼の声がした。

 驚いて振り返ると、彼のふとももへハードカバーがぶつかる。

 小さな悲鳴をあげた彼へ私は「急に後ろに立たないでください」と悪びれることなく告げた。

 すると「気付かなかったのか?」なんて答えが返って来る。


「……何に?」

「珈琲、おかわりいるか訊いただろ? その時から後ろにはいたぞ」


 彼は首を傾げ『本当に気付かなかったのか?』とでも言いたげだ。

 

「気付きませんでした……」


 謝罪はしないまま、ソファへ腰かけに戻る。

 そして、珈琲に口をつけようとして……、


「だから『おかわりは?』って訊いたろ?」


 と、彼に肩をすくめられた。


「……いりません。今日はもう帰ります」





「ねぇ……最近、私ってぼうっとしてる?」


 スマホ越しに茉莉へ訊ねると、首を傾げたような声が返って来た。


『ぼうっと? してないと思うけど。なんで?』

「ん。なんていうか……今日、彼と会ってる時にすごくぼうっとしてたみたいだったから、ちょっと確認」


 直後、茉莉から『あー……』という間延びした声が出る。


「……何?」


 何かに気付いたらしい親友を問い詰めると――、


『んー……いや、ちなってさ? 付き合いだしたこと、まだお兄さんに言ってないんでしょ?』


 ――何故か、逆に私が問い詰められていた。


「言ってないけど……別に言う必要ないでしょ?」


 一瞬『言った方が良いよ』と茉莉に言われるのではと想像する。

 しかし――、


『ん、そうだね。言わなくて良い思うよ』


 ――想像は頭の中で完結し、決して現実にはならない。


「……なに、それ」

『別に? ただ、あたしは言わなくていいと思ってるけど……ちなは本当に言わなくて良いって思ってる?』


 その問いは、まるで釣り糸を水面へ投げ込むように私の胸中へと投げ込まれた。


「……私が、言いたがってるってこと?」

『そこまでは言わないよ。でも、悩んでるんでしょ? 言うかどうか』


 胸中から伸びた糸がピンと張る。

 でも、言葉にできない想いは胸の奥で引っかかって、欠片も口から出てこなかった。


「茉莉には普通に言えたのに……何が違うんだろう?」

『そりゃ、あたしとお兄さんじゃ何もかも違うでしょ』

「……確かに」


 親友の指摘は適確だ。

 私は返す言葉もなく、静かにベッドへ寝転がった。

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