第164話 6月4日(こんなところまで、変わってないんだ……)

 彼氏ができたことを、まだ彼に話していなかった。

 別に、彩弓さんと付き合っていたことを教えてくれなかった時の仕返しとかではない。

 話すきっかけがなかったし……よくよく考えれば、話す理由もないような気がしたのだ。


 だって、私達はただの幼馴染みだ。

 私に恋人ができたからと言って報告する義務はない。

 加えて……今、私と楠は一応、お試し期間なのだ。

 正式な恋人になった後ならともかく、今の状況で教えても……きっと良いことはない。

 それに――彼氏ができたと教えなければ、別れることになった時も心配をかけないだろう。


 ……もしかして、彩弓さんと付き合っている時の彼も――今の私と似たようなことを考えていたのだろうか?


 なんてことを考えながら走っていたら――、


「ちなっ!」


 ――彼が急に私の腕を掴んで引いた。


「な、なに? 急に――」

「信号っ……赤だったぞ」


 言われた直後に、背の高い信号機と目線を合わせる。

 すると、確かに闇夜の中を……赤い光が咲いていた。


「……ごめん」


 彼を本気で心配させてしまったと、反射的な自己嫌悪に陥る。

 叱られた幼子のように肩を落とすと……彼の手が離れていった。


「いや、無事だったんだから謝らなくていい」


 どうしてだろう?

 言わなくてもいい、言う必要はないと思っている筈なのに……彼に黙っていることが、少し後ろめたかった。



 走り終わった後、彼は「ちょっと待っててくれ」と言ってコンビニへ立ち寄り、


「ほら」


 出てきたかと思えば、私にアイスキャンディを差し出した。


「ランニングの直後に甘いものですか?」


 何のために走っているんだか、と彼をにらむ。

 しかし――、


「いいだろ、別に。俺達はダイエットが目的で走ってる訳じゃないしな」


 ――気付けば私は『確かに』と頷いて、アイスキャンディを握っていた。

 ひんやりと冷たい頭をくわえた途端、柑橘風味の甘さが口内へと広がる。

 私の、好きな味だった。

 それを美味しいと感じてしまう味覚と……気を遣われているとわかってしまう彼との距離感に、つい舌打ちをしたくなる。


「はぁ……おいしいです。ありがとうございます」


 溜息交じりにお礼を言う私へ彼は微笑むと、


「少しは元気出たか?」


 なんて訊ねてきた。


「……まあ、ないよりはマシって程度には」


 不機嫌に返しても彼の笑顔は崩れない。


「そうか。まだ、柑橘系のアイスキャンディコレが通じて良かったよ。好きだったもんな昔から」


 昔と変わらない味の好みや二人の距離感に心底うんざりした。

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