第112話 4月13日(……つまらなかったら文句を言おう)

 彼の淹れた珈琲も飲まず、一心不乱に文字を読む。

 そろそろ家を出ないと図書館の閉館まで時間がない。


「ちな、後は車で読むか?」


 今、腕時計をちらりと流し見る彼の姿が易々と想像できた。


「もう少しだけ。車の中だと酔う」


 俯いたまま答え、急いでページをめくる。

 途中、息をするのも忘れながら――、


「…………」


 ――脳内に浮かぶ小説の登場人物達を、急ぎ足で結末へと走らせた。

 



「……間に合う?」


 読み終わった本を抱き、前かがみになって運転席へ訊ねる。

 バックミラー越しに見えた彼の目線は、心配するなと言いたげだ。


「大丈夫。元々余裕をもってみてたから」

「……そう?」


 彼の口から『大丈夫』と聴いて、ようやく私は座席に背中を預けた。

 音もなく、細い溜息がこぼれる。


「…………」


 窓の外に映る街並みと見つめ合い……時折、運転席を盗み見て、


「……どうでしたか?」

「ん?」

「……借りてた本」


 彼に本の感想を訊いた。

 すると、ハンドルを切る彼から淡泊な声が返ってくる。


「あんまり、俺には合わなかったかな」

「何それ、つまらなかったんですか?」

「いや……中身はおもしろかったよ?」


 思わず首を傾げてしまった。

 直後、


「……読んでみるか?」


 彼がそんな提案をしてくる。


「気に入らなかった本をわざわざ人に勧めるの?」

「いや、他の人が読んだらどう思うのかと思って」

「ネットで感想とかレビューを探せばいいじゃないですか」

「それじゃだめだな。知ってる人の感想が聞きたいんだよ」


 その心境は……わからないでもない。


「……はぁ」


 彼の借りた本がどんな内容だったか思い出しつつ、流れていく景色に溜息を吐いた。


「本、返したらすぐ借りられるか訊いてくださいね」

「俺が?」

「……嫌なんですか?」

「まさか。訊いとくよ」


 了承した彼がどんな顔をしているのかは知らない。

 私は景色に溶け込む名前も知らない人々の顔を眺めながら、


「それと……私が借りてた本、どれか一つ借りて読んで」


 そんな交換条件を彼に提示した。

 聞こえてくる声に、笑みが滲み出す。


「それは、どの本でもいいのか?」

「…………」


 きゅっと唇を結び、借りた中でどれが一番おもしろかったか考える。

 そして、


「……コレ」


 信号で車が停まった隙に、一冊の本を助手席へ置いた。


「これがおすすめ?」


 彼は表紙を横目で見つめ、不思議そうに呟く。

 だから、


「まさか――」


 彼から見えないよう口元を隠し、


「――一番気に入らなかったやつです、それ」


 頬を綻ばせて答えた。

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