第100話 4月1日(……どうやら嘘じゃないみたいだ)

 借りて来た本の表紙に……昨日までなかった模様が一つできていた。

 深い青を基調とした装丁にぽつりと生まれた薄い薄い赤のちょぼ


 目を凝らしてみると、それが桜の花弁だと気付く。

 きっと、彼と花見をしていた時に鞄の中へ入り込んでこうなったんだろう。


「…………」


 つい結んでいた唇が緩んでしまった。

 私は指の腹で花弁をすくうと、後で彼に見せてやろうと思い机上へ舞い落とす。


 直後、リビングのドアが開き――、


「ちな、今日も珈琲でいいか?」


 ――彼から飲み物のリクエストを訊ねられ、反射的に頷きそうになった。

 しかし、寸前の所で静止した私は「ん……」と声を漏らし、


「……今日はアイスコーヒーがいい」


 羽織ったカーディガンの袖口から手首を覗かせて答える。

 すると、彼が「了解」と頷きながら静かに笑い出した。


「……何?」

「いや、あったかくなってきたもんな」


 この人は、私が冷たい飲み物を頼む時分で気候の移り変わりでも感じてるんだろうか?


「……やっぱり、熱いのでいいです」


 彼から目線を逸らし、開いたページの一行目に向き合うと、


「いや、悪かった。冷たいのだよな」


 謝罪が聞こえてきて、気付けば彼は背中を向けていた。



(……最初からそうしてくれればスムーズなのに)


 再び物語へ視線を落とす。

 けれど、次のページをめくろうとした途端、スマホが私に呼びかけて来た。


(……通知?)


 指先で画面に触れていくと、四月馬鹿エイプリルフールとも思える彩弓さんからのお誘いが表示される。



『ねぇ、夜桜見に行こうよ』



 何故、わざわざ夜桜なんだろう?

 疑問はそのまま文章になり『行くならいつですか?』という一文を継ぎ足す。

 返事は早く、まくし立てる彩弓さんの声が聞こえてくるみたいだった。


『ちーちゃんもう春休みでしょ?』

『普通のお花見だったら誰かと済ませてるかと思って』

『で、夜桜!』

『今週の土曜日にしよう』

『仕事終わりに直行するから集合場所は駅ナカにしよ』

『あと、あいつも連れてきてね!』


 最後の一文を繰り返し読む。

 これは、もしかして……私にだけ計画を伝えているということなのかな?


「……?」


 秒針が一回りもしない短い時間……思考を巡らせる。

 結論が出ると、すぐさま文字に起こした。


『ひょっとして』

『彼には夜桜を見に行くって秘密にしておいた方がいいんですか?』


 あっという間に『既読』がつく。


『ちーちゃんも私がわかってきたね!』


 次の瞬間、世の中わからない方が幸せなこともあるんだと……ため息交じりに理解した。

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