【赤ずきんは二兎追う狩人にご用心】

第36話 1月27日(……秋の家って和菓子屋さんだったんだ)

 部活を――剣道をやめてもうどれくらいだろう?

 去年の夏に退部届を出したから……。


「そろそろ半年か」


 自分の意思でやめたのだから、今更戻ろうとは思わない。

 ただ、体育館と隣接した武道場から出てくる後輩達を見て、少しだけ感慨に浸っていた。


 それが、良くなかったんだろう。


 普段なら止まらずに歩き去る校門へと続く並木坂。

 そこへふと足を止めていたものだから、に見つかってしまった。


「あっ! ちーちゃん先輩っ!」


 真っ白な剣道着に身を包んだ小柄な少女が、私めがけて走って来る。

 線の細い体に無骨な防具を括りつける様子は、まるで彼女が防具に着られているようだった。


「……あき

「今、道場の方を見てましたよね! もしかして――」

「部活には戻らないから」

「うっ……」


 先に言葉を奪われ、しゅんとするのも束の間。


「ですよね……でも嬉しいです」


 彼女は子犬みたいに愛嬌のある瞳でこちらを見上げた。


「あっ! そうだ! 先輩にお渡ししたいものがあるんです!」


 秋は、ぱっと明るい笑顔で言ったかと思えば、自身の腰元に手を当て、


「あ、あれ?」


 ポケットも何もない袴をさすり、今度は「ぅっ……そうだった」とうめく。


「……秋?」

「ちょ、ちょっと待っててください! すぐ戻りますから!」


 私の返事も聞かず、彼女は地面を蹴ってぱたぱたと走り出した。

 その時、彼女の後姿で、防具――胴を結ぶ紐が一つほどけていることに気付く。


「……」


 寒空の下、ぽつんと立っている時間は数分にも満たなかった。


「お、お待たせしました!」


 息を切らせながら戻ってきた秋の手には……一枚の紙が握られている。


「これ、どうぞ!」


 差し出されたモノを受け取ると……それは知らない店の商品券だった。


「……栗原堂くりはらどう?」

「はい! それ、うちのお店の商品券なんです! その……この間チーズケーキをもらった時にちーちゃん先輩のことを父に話したらこれをって」


「そっか……ありがとう」

「いえ! お時間のある時にぜひいらしてください!」


 直後、彼女はぺこりっとお辞儀をしてまた走り去ろうとする。

 だから、


「あ! 秋っ――」

「へ?」


 背を見せた秋に「動かないで」と伝えて、ほどけていた胴紐を結び直した。


「ん。もういいよ」

「あ、ありがとうございます」

「それじゃ……がんばってね」

「は、はいっ」


 再び、ぺこりとお辞儀をし走り去っていく背中を見送る。

 そして、指先に残った感触を振り払いながら……半年そこらでは忘れないものだな、と当たり前のことを思った。

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