????年目 それから先
街の喧騒から離れた長閑な山間に眼を巡らせば、確りとした造りの屋敷が一つ姿を見せる。開かれた門扉からは、丁度、翡翠色の羽飾りを付けた中性的な男女が出てくる所であった。彼らはそのまま歩を進め、そうして自然にその身を鳥へと変じて飛び上がる。誰が気付くでもなく、一羽の鳥は高く高く雲間すら越えて飛翔し、そうして見えなくなった。
文机を置いた殺風景な室内で彼が思索に耽っていると、どうも同居人の足音がする。端ないので良くないですよ、と何度か伝えたのだが、どうにも彼女は聞き入れてはくれないらしく、其の上感情が昂ぶった時などは意識して騒がしくしている節がある……特にこのように響くように床板を慣らしている時は宜しくない、随分とご機嫌斜めの様だ。
だかだかだんだか、とっぱぁんと駆け込むように走ってきては乱暴に障子戸を引き開けるや否や、
「……釈明はありますか?」
月輪の如き薄ら目にて凄みつつ問いかける彼女に、どうしたものか、と彼は作り笑いを浮かべる。いけないな、と思う。これは随分と怒らせてしまっている。
「いや……そうだね……何分初めてのことだから、慎重に検討をしなければ、ね」
「折角、輝く羽を持つ御方からの申し出だというのに、どうしてそんなに頑ななのですか! 習合でも禅譲でもない、相互扶助の同盟程度直ぐにでも結びべきなのですよ、貴方は、もう!」
間も置かずにきぃきぃと少女が騒ぐ。肩を怒らせて大上段に構える彼女に対して、男の方は小さく身を縮めるようにして座り直す。
「分かっているよ、彼等も特別余裕が有るわけではないだろうが、それでもこうして足を運んでくれたのだから……ただ、まだ顔を合わせただけだから、何が何でも直ぐに、というのも、なあ」
「全くもう、しゃんとなさい、おじ様とおば様に顔向けできませんよ」
すまないね、と作り笑いをしながら煙管に手を伸ばそうとすると、一層彼女の眼が釣り上がる。ああ、これはいけないなぁ、と手を戻した所でもう遅い。さて、どうしたものか。
「……彼等にも悪意はないだろうが、結ぶ以上此方からも彼方へ幾らか遣わせなければいけない。けれども……そうだね。私は未だ、自分達の足場を固める方が大切だと思うんだよ」
「分かりましたよ、もう……食事の支度をしてくるのです、出来上がったら呼びますよ」
「ああ、助かるよ」
ふん、と鼻息荒く障子戸を開いて立ち去らんとする彼女の背に
「いつもありがとう」
と声を掛ける。
「……じっくり考えると良いのです」
と幾分呆れを交えて答え、部屋を後にする。さて、どうしようかと考えながら、また手慰みに煙管を取り上げる。いや、之は無意識に母の背を追っているな。母ならどうしたろうか、そう考えるばかりではいかにも格好がつかない。棚にそれを戻す。拙いながらも己で決めなければなるまいよ、これは。
諦め半分に脱力した少女が炊事場で昼餉の用意に掛かっている最中、ペットドアと言うには些か小さな小窓から鼠が顔を出した。行儀良くも入り口の足拭きで二度三度と両の足を拭った後に、とんとんとぉんと跳ねるように足を踏み入れて、そうして傍らの化生の姿を目にして、びくり、と石に成ったかのように全身を硬直させた。
「……んもぅ、取って食ったりしませんって何時も言ってるのに。そんなに怯えなくたって良いのですよ」
さて、何があったかなと薩摩芋の切れ端を手のひらに乗せて差し出してやると、ひく、ひくと鼻を動かした後、指先に導かれるようにして歩を進め、小さな口でかし、かしとおっかなびっくり咀嚼し始める。
警戒心の強いこと、と嘆息する。臆病で、慎重で、その気質は生まれつきだろうか、それとも彼から幾らか影響を受けているのだろうか。いずれにせよ知る由もない。一応は彼の眷属ということになるのだろうが、特に何か手伝わせている様子もない。それでも彼女の影に宿る道化よりは余程愛嬌があるのだが……どうにも怖がられてばかりだ。彼の主に怒鳴りつけている様が良くないのだろうか―好きで尻を叩いている訳ではないのだが―とおあれ、少しばかり優しく遇する必要があった。
「ほら、おいでないな」
彼女は掌に乗り込んだ小さな彼に目線を合わせる様に屈み込んでへの字に眉を寄せる。
「貴方のご主人はね、実に臆病なやつなんですよ……傷つきやすくて、後ろ向きで、泣き虫で。あれでおば様の荷を肩代わりするだなんて良くもまあ言えたものです」
鼠はかしかし、と餌を喰みながら、良く分からない風で、小首を傾げた。そのまま彼を持ち上げるが、大した反応もない。大物なのやら鈍いのやら……恐らくは後者だろう。頭脳闊達の徒であったとしても、一挙手一投足からのんびりとしている気質であるのは、全く理解しているとも。
「あんな様子で本当にどうにかできるのやら……頭でっかちの引きこもり気質だなんて、いかにもおば様の正反対みたいで困るのですよ、ええ、ええ、全く眼が離せないのです」
嘆息する彼女の心を知ってか知らずか、小さな彼は何度か床板を見つめて後、唐突に彼女の掌から飛び上がり……そうして些か身体を斜めに歪めながらもなんとか着地して見せると、どうだ、と振り返って此方をじっと見つめる。
暫しの沈黙、それからまた溜息、唐突に小さな彼が示した蛮勇が何のこと、なんて分かっている。
「――はぁ、はいはい、分かっていますよ……あいつは臆病者じゃないって言いたいんでしょう? 分かっているのですよ、あれは臆病ではなくて慎重なだけ。大身に成った以上、迂闊に身動ぎをしてはいらぬ騒動の火種に成りかねない、そういう思惑なのでしょうとも、ええ、ええ。流石に分かっていますよ。それでも……もうちょいとしっかりとしてくれれば、私だって……」
傾げた首をそのままに、彼女の足元まで飛び跳ねて来ては、前足でてしてしと慰めるように触れる小さき彼。
「大体私はあいつの事気に食わなかった筈なのですよ。おじ様とおば様の子供だからっていつまでの甘ちゃんのまま賢ぶって、その癖誰かの悲嘆に一等心を揺らしてしまって……そんなの、自分から損ばかりしているじゃあないですか、もう!」
鼠がてしてしと足を叩く速度が早くなる、ああもう、大丈夫だって、主人に似て心配性なのだから。
「何でもかんでも相手の為に、相手の良い様に、ばかりを追い求めるのが最上のやり方ではないというのに! さも自分が貧乏籤を引くのが正しいのだ、なんて自己犠牲ばかり求めて……ちょっとくらい己の思う儘に、自分自身の為に、望むように生きてゆけばよいのに……」
くすくす、くすくすと笑い声がする。影の裏側であの陰険な茶金斑の道化が笑っているのだろう、どうにも上手く行かないものだ。
「はぁ……皆して「先代の御世は――」とか、「先の方の裁可では――」とか、比べるしか脳が無いんですか、んもぅ……あんなに頑張ってるのに、あんなに丁寧に、お勤めを果たそうとしているのに。私は其れがとっても気に食わないのですよ」
「大きな成果の一つでもあれば、口喧しい小雀共を黙らせられると思ったのですが……、ホントにもう、見ていてハラハラするんですよぅ……」
***
「ありがとうございます……おや?」
「食事は後なのです……此方に座りなさい」
卓袱台に昼餉の用意が無いことを訝る彼に向け、畳敷きに正座した彼女は膝を叩いて彼を促す。
どうした事だろうと胡座をかいた彼を「そうではないのです」と引っ掴むようにして引き寄せると、彼女は押し込めるようにして彼を頭を己の膝に抱え込んだ。
「……あの……これは?」
「図体ばかり大きく見せても、私の方が歳上なのですから、少しくらい言うことを聞きなさい。ほら、いいから、暫くこうしていなさいな」
小柄な少女の膝は矢張り随分と繊細で、彼が頭を乗せると直ぐに一杯になってしまって……
「……ちょっと位は肩の力を抜くのですよ、何時だって本当に目が離せないったら」
「はは……面目ない、苦労を掛けてばかりですね」
「煩いですよ……眼と口を閉じてなさいな」
彼と彼女の不慣れな諸々は、それでも少しずつ熟してゆく。彼等の様子を見届けた小さな彼は満足したように一度瞬きをすると、静かに部屋から退出した。
人外ロリババアと穏やかに過ごす終末の日々 或いは人の時間、化生の時間 マゴットハウス @siosiomisoko
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