十五年目 歩く二人、見る三人

 陽の光は絶えずして、今生のあまねく世界を照らす。愛し子を抱いた星は太母の慈愛を胸に、木漏れ日の日々を寄り添い生きる。万民の微笑みが星辰を示し、かの者の優しき世界を包み込み、穏やかな朝寝を許すのだ。


「カガシさま……そのようにくっつかれては困ってしまいます」


 若い女の膝に抱えられている童子。女の方は十代後半といった所か。膝下の童子は彼女の子供と見えなくもないが、三歳ほどに見える彼の様子からは少し違和感がある。

 

「むん……私のこと、嫌い、なった?」


 くてりと首を傾げて、叱られた幼子の如く曇り顔になるカガシの化生。そんな移り気な天気に怖れをなしたか、彼はぶんぶんと首を振って否定する。


「い、いえ、そのようなことは……。ただ、私も少々恥じらいを感じてしまうので御座います」


 照れるような声色で抗議しつつ、頬を赤らめている少年の外見年齢は三歳程度だが、その実産まれてから数ヶ月と過ぎていないのだ。我々は知っている、かの童子は人ではないことを――けれども。


「じゃあ、大丈夫……うん、やっぱり、いいこ、だぁ」


 えへへぇと笑って抱き締めるカガシの化生。彼はどうしたものかと困惑顔で、嫌悪している風ではないが、さりとて対応を決めかねている風だった。


 なにせ、彼にとっては大恩がある方なのだ。彼女が事を起こさねば彼が産まれることはなかったのだろうから。さりとて、悪気はなかろうと言えども、こうも抱きすくめられては、座りの悪い心地になるのもまた仕方の無いことである。どうしたものか、と父の方へ目を遣るが、

 

「そうやって可愛がられるのも子供の特権だろう、辛抱して相手になっておあげなさい」


 と笑いながら諭される。どうやら彼に救いの手を差し伸べるつもりは無い様子だ。


「やれやれ、見た目と中身がまるで逆じゃのう……」


 人の子に凭れ掛かりながら、化生が手慰みに│煙管キセルを弄りながら笑う。


 確かに彼女の言う通りに、傍目にはカガシの化生が彼をあやしているように見える。しかし実際の所、彼がカガシに構ってやっているというのが正しいのだ。


「済みません、どうやら彼女は貴方に随分とご執心のようです。なにせ若い化生が産まれるということは、この時代には本当に珍しいことですからねえ……」


 鴉の羽毛の様に黒い燕尾服を着た華奢な男が日本茶を給仕する。少々不釣り合いな様相だが、彼が行う分には何故だか嫌味がない。恐らくこの男もまた化生なのだろう。


「んふふふぅ、いいこ、いいこ、やさしいこ~」


 彼を抱えてぐるぐるとその場を回るカガシ。お気に入りの玩具を手に入れて喜ぶ少女のように満面の笑みだ。


「ああ、これこれ、あまり手荒に扱うでないぞカガシ。転げて怪我でもしたら事じゃからの」


「うん、わかっ、たぁ~」


「ああもう、ちぃとも分かっとらんのう……、ま、本当に危ないことはせんと思うがの……あれでも分は弁えておるじゃろ」


「あのね、あのね、宝物、教える。いっぱいのおはな、いっぱいのさくもつ」


「ああ、分かりましたから、少し落ち着いて下さいカガシさま。……あまり揺らされると、困ってしまいます」


 へへ、とくしゃくしゃの笑顔になって笑うカガシの勢いに、化生らのお子は押され通しのようだ。


「彼の誕生には、我々も力を貸しましたからねぇ、彼女も家族が増えて嬉しいのでしょう。今まではずっと末の子でしたから」


「それにしても、些かはしゃぎ過ぎの気はあるがのう……」


 嘆息する童女の化生。小柄なその風体に似合わぬ貫禄を漂わせる彼女が、見た目通りのものでない事もまた、我々は良く識っているのだ。


「愛されていますね、私達の子は」


「うむ、そうじゃの……」


 人の子は傍らに寄る彼女の頭に一つ手を乗せて、緩やかに撫でる。心地良さ気に眼を細める顔は、先の童子と良く似ていた。成る程彼女は彼の母なのだろう。


「ま、そのうちカガシの奴も落ち着くじゃろ、のう、鴉」


 傍らに立つ燕尾服の男を示して、彼女は言葉を放る。男は愛想笑いを浮かべたまま、そうでしょうねえ、と曖昧に応えた。


「新しい物に興味を覚えるというのは、誰にでもある事ですけれど。ああして遊んでいる姿を見ていると、彼女も実に純真な方ですからねえ……」


「だからこそ、お前さんが付いておるんじゃろ?」


 ええ、ええ、全く、と白手袋を直しながら彼は呟いた。成る程その出で立ちは実に鴉という生き物の面影がある。吸い込まれるような黒瞳に漆黒の毛髪。深く飲み込まれてしまいそうなその色を、規律正しい様相が引き締める。


 案山子といえば鴉避けに使われるものではあるが、彼と彼女は互いにいがみ合う関係ではないのだろう。それは一体如何なる理由によるのだろうか。


「……さて、そろそろ私も│彼方あちらへ向かいましょうか。お目付け役として仕事をしなければ」


 とん、と縁側を蹴り、庭石へと鴉が降り立つ。


「おう、おう。存分に働くがよい」


 彼の入れた茶を啜りながら、少女の姿をした化生は鴉と呼ばれた男を横柄に送り出す。


「愛されていますね、貴方は」

 彼女の肩を優しく抱きながら、人の子がそう呟く。


「そんな儂に愛されておるお前さんも、な」

 ふふ、と笑いながら、少女の形をした化生が彼に囁いた。



***


 客人の茶碗を台所に下げる化生が、くらりと身体を揺らす。だが、器用に身体を曲げて湯呑みを割らぬように重心を傾ける。


「……っとと」


 化生は辺りを見回し、自分の失態が視られていないことを確認すると、ほう、と一つ溜息を吐いた。


 些細な事柄から日常は震えてしまう。世界に罅が入る。泡沫はいずれ弾けて消える。


 けれど、ああ、けれど、もう少しだけ。もう少しだけ彼らに時間を与えてはくれないだろうか。彼らの安穏たる時間が失われるには、まだ、余りにも早い。

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