無彩色の浜辺で波遊び

 よせてはかえす波の色。

 わたしが【目】を開いたら、そこは海辺だった。向かって左手方向に鈍色の海が沖合まで広がり、反対側は礫混じりの砂浜がしばらく続いたあと、地面がなだらかに隆起してごつごつとした岩場へと変化し、その向こう側には、わたし達の生きている基底現実が透けて見えていた。

 なるほど、この海と陸の境目がそのままあの人のホームポイントらしかった。

 ちょうど視線の先には低い崖の上に建つコテージが見える。まずはあそこに向かう事にしよう。


 こうして周囲の空間まで演算されるのは、そこそこ珍しい。まったく無いことでも無いけれど。ロケーションに思い入れが有るのか、あるいは。

 わたしは──想念の中で──銀灰色の砂浜を歩く。波打ち際のギリギリを生きながら足元に視線をやると、海水の中で何かがキラキラと光っているのを視界の端に捉えた。

 おや? と思ってそちらを見やるが、既に波は引いてただ濡れてどす黒くなった砂地の上には何も無い。意味の無いオブジェクトが生成される事は考えづらい。トラップの可能性も加味して、わたしは少しだけ波打ち際から離れる事にする。

 その後は特に何事も無くコテージに着いた、が。


「……ありゃ?」

 これは建造物では無い。いや、コテージの正面は有る。というか、正面しか作られていない。回り込むと、ただ壁面と、ドアと、窓の作りつけられた板壁が一枚突っ立っているだけなのがわかる。これはただの書き割りだ。

 と、いう事は。


 彼の神経配置を演算した構造体は、この真っ直ぐに伸びる波打ち際そのものを本体とするようであるらしかった。


 ──なぜそんな、言わば他人の頭の中身を覗くような真似をわたしがしているか? それは、彼が秘匿している魔術を抜き取って詳細を調べる必要があるから。なぜそんなことをする必要があるかと言えば、それは彼が規制対象の魔術を無届けで行使している疑惑があるから。そして、それを調査するのが今のわたしの仕事だから、だ。

 わたしは自失を避けるために、口の中で自身の役割と目的を復唱する。他人の精神世界にあまり長居すると、その人の世界観に呑まれることが往々にして有るのだ。もちろん、きちんと緊急回避の手順は定めていているけど、今の相棒にあまりその手の事で頼り過ぎると後でハチャメチャに馬鹿にしくさって来るので、できれば避けたいところ。


 それから、とりあえず1キロくらいは歩いただろうか? 他人の頭の中の世界の出来事なので、距離なんて有って無いようなものだけど、体感そのくらい歩いたかなー? と思われるあたりで、わたしは再び崖の上のコテージの書き割りを……今度は裏側から……仰ぎ見ることになった。ここで1ループしてる、という事らしい。途中の道のりで左右に逸れるような分岐も無かった。


 海の中、っていうのも足を踏み入れるには気がひけるところだ。傾向的に、海はそのまま深層意識に直に繋がっているケースが多い。用が有るのはあくまで晴明な意識下で用いるような魔術の類なので、一々無意識の領域から汲み上げるようなコスパの悪いことをやってるのも不自然だしなあ(魔術士の無届け案件は大半が脱税目的なので効率も大事なのだ)。

 とりあえず、難易度の低い場所から調べて行こう、と思い直す。

 そうなると気になってくるのは、波打ち際に一瞬だけ現れる謎の光たちだろう。まずはアレの正体を探るところからだ。

 わたしはなだらかに隆起する地面を登り、書き割りの脇を素通りして、再び砂浜へと降って行った。これでスタート地点に戻ったことになる。


 砂浜から突き出た岩に腰掛けて、海の広がる方へ向き直る。波打ち際の真正面に陣取って、抱え込んだ両膝に頬づえをついてしばし打ち寄せる海水の運動を観察する。……あんまりパターン化されていないな。しぶきの上がり方といい、かなり自然そのままを模倣している。と、いうか作為が無いために侵入者であるわたしと、構造体の主である彼との間の共通認識、すなわちリアルな海の挙動がそのまま当てられていると考えて良さそう。と、いう事はここには何らの仕込みが無いというのも意味する。では、地面の方か? それも考えづらかった。先ほど歩いた中で観察した限り、何らかの目印となるような小石や岩や風紋の配置も見られなかったからだ。


 そこまで考えたところで、わたしは唐突に、波打ち際の謎の光の正体、というか出現条件に気付く。

 波打ち際の濡れた砂地が波をかぶって、海水が砂地を洗っているその最中だけ『何か』が砂の中から躍り出ている。そして、波が引く際の水流の変化を感じ取ると即座に砂の中へ潜り込んでいる。


 わたしは暗褐色の岩から立ち上がって、銀灰色の砂浜を真っ直ぐに横切る。透明な海水が寄せては返す境界地点に到達すると、そこから更に2歩分踏み込む。わたしの仮想体の足首に水が被る、と同時に足首に硬い物がこつことと当たる『感覚がする』。

 すかさず身をかがめて足元に手を差し入れる。小石大の何かを掴む。


 引き上げてみると、わたしの掌には見事な金彩の施された二枚貝がいくつか乗っていた。アメジストやアクアマリンにムーンストーン。貴石を加工した宝飾品そのものにしか見えないけれど、微かに口を閉じ開きしているそれは、生きている……ように見える。つまり現役で稼働して、どこかで影響を与え続けているということだ。


 ぽん、と左手を被せて貝たちを指令文の束へと還元し直す。プログラム構文のコピー完了。基底現実のわたしは今頃半分意識をトばしたまま手元の端末スクロールにたった今手に入れたデータをペーストしていることだろう。


 徴税エージェントのNDI、これにて任務完了。ただいま帰還します。


テーマ:【海辺】をテーマにした小説を1時間で完成させる

【58分】

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