【欠落したものが回復する】小説
それは否定しようがない事実であると思っていた。
時は春先、人々は新学期や新入学に心躍らせている頃のこと。
交通事故とだけ発表されて、彼女は無期限の登校停止となった。
でも私は知っている。
みんなの知らないところで、彼女が危険なことをやっていたことを。
それが仕事なんだと言っていたけれど、どうして彼女がそんなことをしなくちゃいけないのか、私にはまるで分らなかった。他人に口外してはいけないこと、たまたま事件に私が巻き込まれてしまったから教えられただけであることを説明されていて、私自身も口外してはいけない旨は承知した。
私は彼女を止めるだけの力も、知識も持っていなかったから、黙ってそれに向かう背中に手を振ることしかできなかった。
だから、てっきり彼女とはもう二度と会えないものだとばかり思っていた。
「久しぶりだね、
時はもみじも色づく頃。
何の前触れもなく、彼女は再び私の前に姿を現した。
「ま、き……? 真希なの!? 今まで、どこで何してたの!?」
「さぁ。それを教えることはできないかな。あはは」
ちょっと笑って右手で頬を掻く。しかしその姿には僅かながら違和感があった。
でもこの時は、再開の喜びの方が勝っていて、大して気にすることもなかった。
翌日から、巴山真希の登校は再開された。
変わらずみんなと接する真希。
登校できなかったのは意識不明のままだったからで、奇跡的に回復したとのこと。
医者の注意により、激しい運動はできないことと、その影響で体育は見学せざるを得ないことが説明された。
「あれっ、真希ちゃん、左利きじゃなかったっけ」
「えっ?」
クラスメイトの一人がそう指摘した声が聞こえた。
「ああ、リハビリの影響で、右を使うことにしたの」
「ふーん、そうなんだ」
そのことを覚えておきながら一日観察してみて、おかしいな、と思った。
右利きへの矯正なのか、或いは事故の後遺症で左手を使うのに支障があるのか。
どっちにしたって、彼女の右手の使い方は上手すぎる。まるで初めから右利きであったかのように右手でペンを持って字を書き、右手で箸を持って食べている。
注意深く観察してみれば、言葉遣いや歩くときの位置取り、書き順の癖。そういった細かなところが元々の彼女のそれとは異なっている。しかし大枠では巴山真希は変わらず巴山真希のままであり、妙な居心地の悪さだけが募っていた。
「ねえ」
「なに?」
「真希は――――貴女は、本当に真希なの?」
それは二人きりの時間を見計らっての質問だった。
「そっか。わかるんだね」
「やっぱり、真希じゃないんだ」
「ううん。私は、巴山真希。それに変わりはない。ただ――」
「嘘。それは嘘じゃない。だって今、貴女自身が認めたばっかりでしょう!? 貴女はなんなのよ! 真希のフリして、真希をどこにやったの!」
カッとなって叫んでいた。
真希だけど真希じゃない? 真希じゃないけど真希?
どういうことなのかさっぱりだけれど、私の知らないところで真希が大変な目に遭ったことだけははっきりしていた。
……そんな大事な時に、役に立てなかった自分が憎かったのかもしれない。
「――私は、巴山真希。17歳。血液型はAB型、誕生日は12月2日、初恋は小学校3年生の時の担任の先生。だけどそのことを本人に打ち明けたことはない。処女は13歳のとき、幼馴染のお兄ちゃんと親の目を盗んで、それっきり。仕事を始めたのは15歳の夏のこと、才能があると言われたから。高校の選択理由は電車で10分で済んで、偏差値的に丁度良かったから」
「そんな……そんなの、上っ面の知識じゃない!」
「これは私自身の体験、私が辿ってきた人生。それに違いはない」
真剣な顔だった。気迫すら感じた。だから、言い返す言葉が出てこなかった。
「だけど、正しくはこの身体の、だから。私は私だけど、貴女の知ってる私じゃない」
「え?」
「それでも、私は巴山真希だよ。巴山真希の記憶を引き継いだ、巴山真希の身体の主。完璧にトレースはできてないかもしれない。百花が……貴女が気付いたように」
頭だけが違う。
彼女の口にしたことはそういう意味だった。
「――――詳しくは、話してくれないんだね」
「うん。私は……いえ。巴山真希は、貴女をこちらの事情に巻き込みたくなかった。私は、かつての私を尊重したい」
つまるところ、目の前の彼女は巴山真希という人間そのものの後継者であると。
要点だけ簡潔に。あくまで詳細は省いたままに説明されて。
はいそうですかと納得はできなかった。
「受け入れがたいのはわかってる。だから……」
真希であって真希ではない彼女は、そっと私に向かって右手を差し出した。
「はじめまして、木川百花さん。私と、友達になってくれませんか?」
その台詞は、憎くも真希と最初に出会った時のもので。
同じ顔、同じ声でそれをされて、許しがたいことだけれど。
「――――まずは知り合いから、なら」
差し出された手だけは逆だった。
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