スーパーマリオ

SAYURI

第1話フォアグラとあん肝

フォアグラがあん肝になった。

今日はフレンチレストランでフォアグラを食べながら少しいい甘い白ワインを飲む予定だった。

私はそんな妙な組み合わせは知らなかったけれど、

彼が「この組み合わせは最高なんだ。クミは絶対喜ぶよ。二人きりで味わおうね。」と言っていて、今日は本当にそれを楽しみにしていた。


でも、今私の目の前にはあん肝と安い冷酒があって、馴染みのない土地で、ガヤガヤした居酒屋で、彼はここにいない。


最悪。

ただの出張で、ただの一人ぼっちだ。


ドタキャンは初めてじゃなかったけれど特別なはずだった。

こっそり彼と出張を合わせて、地元じゃない場所で堂々と二人で過ごせると馬鹿みたいに浮かれていた。


それでも仕方のないことなんだ。彼は責任ある職場で、今日だって急に会社の取引先に手違いがあって、徹夜で資料を作成しなきゃならないらしい。チーム全体で仕事を進めるために、彼はなくてはならない存在だから。以前部署が同じ時もそうだったもの。彼のそんな責任感ある、仕事に真面目なところが素敵だったから。


そんな彼を支えてあげたかったから、私はこんな関係でも我慢できている。

彼の奥さんは、彼を支える人じゃないって聞いているから。


元々働くのが好きな奥さんは自分のやりたいことばかりやって、奔放で、料理だってほとんど作らない。夜遊びも多くて、彼が子供が欲しいって言っても、仕事を辞めたくないからって、絶対作りたがらなかったって。だから、彼は奥さんを何年も抱いてないって。きっとほかに彼氏もいるんだろうって。

彼が言っていたから。


知らない街で友達もいないから、仕方なくホテル近くにある居酒屋にいた。彼と食事する時は少し豪華な場所に連れて行ってもらうのが普通だったけれど、一人ならこれで十分。

フォアグラは食べ損ねたけれど、実際フォアグラなんてどうでもいい。彼と外でベタベタできるのが楽しみだっただけだから。


あん肝を口に入れて、その後に冷酒をぎゅっと飲んだ。お、うめぇじゃないの。私、フォアグラよりあん肝が好きかも。

グイグイ飲んでも虚しさばかりが膨らむ。こっちでの仕事は今日で十分に終わるもので、いいホテルに泊まって、明日の夕方まで二人でべったり過ごす予定だったのに。


ホテルだけは予約してもらっていたからそのまま泊まることにしたけれど、あんな広い部屋のベッドに1人寝なんて。


色んな思いがよぎるけれど、彼を信じることしかできないから。彼は奥さんともずっと会話もしていないし、冷戦状態だから、離婚もすぐ決まるって言っていたから。


まぁ、それを聞いたのも半年以上前だったけど・・・


「お姉さん、めっちゃ飲みっぷりいいね。よかったら一緒に飲まない?」


突然、見知らぬ若い男の子が隣に座ってきた。

普段はこんな場所のナンパなんか無視するけれど。正直、この男の子の顔が可愛いかったもんで、まぁいいか、ここで一緒に飲むくらい、なんて思ってしまった。


いや、本当は単に寂しかったからだ。


「いいよ、飲むだけなら。」


「マジ?やった!お姉さん、綺麗だよね。OLさん?近くに住んでるの?」


「ううん、出張で来ただけだよ。」


「へぇー」


「あなたは?」


「俺は地元。」


よく見ると、ピアスや髪やネックレスとか、けっこうチャラい雰囲気の男の子だ。顔は可愛いけれど、若い子向けのお店のバーテンとかにいそうだな。


彼と比較するなんて無意味だけど、やたらと若いわ・・・



「ま、偶然綺麗なお姉さんとせっかく出会えたし、今夜は楽しく飲もうよ!うぇええーい!」


「うぇ?うぇえええい!!?」


そのあと、何本も冷酒のビンが並んでいたのは覚えている。





あれ?私は今どこにいるんだろう?暗い部屋でぼんやり目を覚ます。


ああ、そうだ。ここは彼と泊まるはずだったホテルのベッドだ。


無事ホテルに帰っていたんだ。


少しずつ、じわじわと記憶が蘇る。それと同時に、血の気が引いていった。昨夜、居酒屋であの男の子と飲んだくれて・・・それから・・・確か、私が彼の愚痴を話し始めて・・・それから・・・


あの可愛い顔の男の子が、ベッドで私の上にいる場面が記憶の端から飛び出してきた。

うっそ、やばい。まさか・・・

自分の状態をゆっくり確認する。自分の身体に手を伸ばし、服を着ているのか?


なんてことだ。私は素っ裸だった。さらに血の気が引く。

隣に誰か、寝ているとか・・・ないよね。

暗闇でじわじわと手を伸ばす。


すぐに、男の体らしきものを発見した。

おおおおい!ヤバい、ヤバいぞ。やっちまってるじゃないか私!!


そのまま、私は自分の股間をさぐる。

これでわかるかわからないかもわからないけれど、とりあえず触ってみる。予測に反して、潤いがない状態だった。


とりあえず、ベッドサイドの明かりだけをつける。

隣には、あの可愛い男の子がすやすや眠っていたけれど、彼はTシャツと下着姿だった。裸なのは私だけだ。


部屋中に私の服や靴や下着が散乱していた。行儀が悪すぎて消えたくなった。

とりあえず、何か着なきゃ・・・バスルームでガウンを羽織る。

強烈な尿意と、のどの渇きが昨夜の安い酒を物語る。

トイレから戻ると部屋にあったミネラルウォーターをぐびぐび飲む。


さて、問題は、この男の子と私があの後どうなったかってことだけど。

肝心な部分の記憶が飛んでいる。でも、確かに私の上に乗っかっていたし、なんとなく・・・キスをしたような記憶もある。

ああ、こんな若い男の子をいきなり持ち帰るなんて、逮捕とかされないよね。

彼にドタキャンされて寂しかったし、飲みすぎていたし、ああ、でも欲求不満だったのかな・・・言い訳が色々と出てくる。ソファに座って頭を抱えて1人考えていた。


「クミちゃん、どうしたの?何悩んでるの?」と、後ろから男の子が抱きついてきた。


「ぎゃああああああ!!!」

「うわぁああ、なんだよそのリアクション!」

「だっだっだって!あなた、いつ起きたのよ!」

「クミちゃんがお水飲んでるあたりから起きてたよ。」

そう言って、男の子もミネラルウォーターをぐびぐび飲んだ。

「・・・昨日、私記憶が・・・その・・・」

「ああ~なるほど。ひっどいなぁ~俺にあんなことしておいて覚えてないんだ?」

そう言って男の子は女の子が胸を隠すようなポーズをしてふざけていた。

「あの・・・やっぱり・・・そうだよね?私、ホテルに連れ込んじゃって・・・ご、ごめん!酔っぱらってたとはいえ、そんなつもりじゃなくて!」

すると男の子は声を出して笑いだした。

「えー!?マジなのそれ?冗談だよ。それに、なんで謝るんだよ。俺サイコーに楽しかったし。昨日はね、変なことしてないよ。クミちゃん酔っぱらってホテルに送って行けって言うからここまで来たんだけど、部屋に来たら暑いとか苦しいとか言って、あっというまに服脱ぎだしちゃってさ。で、俺がベッドでお布団かけたりしただけ。お腹出してたら風邪ひいちゃうでしょ?」


男の子は余裕の表情でニヤリと私に微笑みかけた。

私は恥ずかしさのあまり耳まで真っ赤になっていた。なんてはしたない。なんて酒癖が悪い。なんてかっこ悪い・・・


「そ・・・それ・・・だけ?」

「んー・・・それだけでもないんだけど、見ての通り、俺は全部は脱いでません。」

そう言って両手を広げた彼は、Tシャツにピッタリしたタイプの下着を履いていた。

思わず股間の膨らみ加減を確認したのは秘密だ。

「もちろん、今から仕切り直しで最初から始めてもいいけど?」

「ぎゃあああ!ごめんなさい!」

「あはははは、クミちゃんってからかい甲斐があるわ!でもねぇ~どうしよっかな~。昨日は結構クミちゃん強引だったよ。俺にこう、抱きついてさぁ。」

私はあっという間にソファに押し倒された。慌てて顔をよけたら、顎を持ち上げて目を合わせられる。おい!噂の「顎クイ」てこれかよ!!やべえ。

「俺の名前、覚えてる?ちゃんと自己紹介したけど。」

「・・・ご、ごめん。覚えてない。」

「だろうねぇ。じゃあ、マリオって呼んでよ。」

「マ、マリオ・・・?」

「そ、スーパーマリオ。クミちゃんはピーチ姫だな。悪い奴に捕まっているから、マリオが助けてあげよう。」

「悪い奴?」

「そ、ケダモノの不倫クズ野郎にね。」

思い出してきた。昨夜、私はさんざんこのマリオ君に彼の愚痴を聞かせていたんだった。

「か、彼は・・・クズなんかじゃないよ。仕事だってちゃんとしているし・・・」

「仕事なんかみんなしてるよ。」

「わ、私にもすごく優しいし、私、貢いだりもしていない。いつもお金も出す人だし・・・」

「俺だって昨日の居酒屋二人分払ったよ。酔っぱらってる人の財布勝手に開けれないしね。」

「それに、結婚してるけど夫婦関係は冷めていて、ないのも同じだって・・・」

「あー定番の嘘ね。クズ野郎は得意だよねそれ。」

「もういいよ!あなたに関係ないんだからほっといてよ!」

私はようやくマリオを振り払った。

「関係ない、とは無関係を言うけど、俺とクミちゃんはもう無関係じゃないんだけどな~」

「・・・・どういう意味?」

「だーかーらー、覚えてないの本当に?俺遊ばれちゃったわけ?」

「だ、だってさっき、変なことはしてないって。」

「何もしてないとは、言ってない。でも、キスしたのは本当は覚えてるでしょ?」

確かに、その記憶だけはあった。見透かされて心臓が破裂しそうだった。

「お、覚えてな」

マリオはキスで私の言葉をふさいだ。

「んっ・・・ちょ、やめて・・・!」

「いやだ。可愛いなぁ。昨日やっぱりしちゃえばよかったかなぁ。」

またマリオが余裕の表情でニヤリとする。

興奮とか緊張とか、そんなことよりも自分の寝起きの口臭の方が気になった。

若いせいか、マリオにはまったく口臭がなくて、なおさら恥ずかしい。

「クミちゃん、昨日俺がなんでヤってないかわかる?」

「え・・・酔っぱらってたから?」

「ま、確かにお互いそうなんだけどね。ほかの男のことで傷ついてるのにかこつけてヤるのってダサいでしょ。それって、奥さんの悪口言って独身の女をたぶらかすやつと変わんないからね。クミちゃんのあの話の後、酔いつぶれたからってヤルのは俺の美学に反する。それに。」

「・・・それに?」

「女には不足してない。ヤれる女ならいっぱいいるし。」

私は急にマリオが憎たらしくなった。

何なんだろう、年上をからかって!だったらホテルの部屋までこないでよ。あ、でも連れ込んだのは私やないかい!くそっ。

「でーもー、クミちゃんはなんかほっとけない。俺マリオだし。」

「もう・・・色々、私が悪かったわよ。あんまりいじらないで。これでも落ち込んでるんだから。確かに、昨日は私は彼にドタキャンされて寂しかったし、その勢いで、あなたを部屋に連れ込んだけど・・・ごめんなさい。あと、これ、もらって。昨日のお代。」


私は1万円をマリオに渡した。


「あー、サンキュ。でも、これで忘れろってことかな?ま、いいけど、とりあえず今度はこれでクミちゃんが奢ってよ。」

マリオはデスクに1万円札を置いて、ちゃっちゃとジーンズを履きだした。

「え・・・ちょ、帰るの?あ、いや、帰るよねそりゃ。」

私は、これきりでマリオに会えないのかと思うと、ちょっと胸がちくりとした。

「何?今、俺に二度と会えないと思って寂しくなっちゃった?」

図星過ぎて驚く。

「そそそ、そんなんじゃなくて!」

「だーいじょうぶ。覚えてないだろうけど、昨日ちゃんとメール交換してるから。マリオって入ってるよ。いつでも連絡して。」

「え、でも。」

「じゃあね、ピーチ姫。」


そう言うとあまりにも自然に軽いキスをして、マリオはなんの未練もなさそうにホテルの部屋を出て行った。

私は、10歳は年下であろうマリオの行動にグラッグラに心が揺さぶられ、ずっと心臓の鼓動がやまないままだった。


そのままベッドで横たわった。なんて夜だったんだ。

携帯に小さなメール音が鳴る。

ドキッとする。マリオなんじゃないかと期待してしまったのだが、彼からのメールだった。


「クミ、おはよう。昨日は急にごめんね。クミに会いたくてたまらなかったよ。今度必ず埋め合わせするからね。それと、しばらく仕事が立て込んでいるから、多分夜は難しいみたいなんだ。明後日、午前の打ち合わせの後直帰で出しておくから、クミも外回りで出なよ。」

「クミも外回りで出なよ」って・・・私だってちゃんと真剣に仕事しているんだけどな・・・しかし、マリオって、本名じゃないよなぁ。

そのままうとうとしていた。


気づくと、フロントからの電話が鳴っていた。


「お客様、本日12時チェックアウトとなっております。」

ふと時計を見ると、12時20分だった。

「あああ、すみません!私寝坊しちゃって!」

「大丈夫ですよ。13時まではご延長無料でございます。」

フロントの女性は落ち着き優しい声だった。きっと美人に違いない。

私はあわてて身支度をし、荷物をまとめてチェックアウトした。


フロントのお姉さんは、思ったほど美人じゃなかった。

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