習作置場

鶴川始

001 さわれない死体

 目の前に、ありえない姿の死体が転がっていた。

 自分の部屋の中に――死体が転がっている。

 大人の女性だ。うつ伏せなので顔はよく見えないが、髪の長さと体型からして女性だろう。母親や姉ではないことは、うつ伏せになっていても分かる。白いワンピースを着ている。

 朝起きたら――部屋に死体があった。

 私は混乱し、まず一階の台所へと駆け込んだ。朝はいつも母がそこで朝食と弁当の用意をしている。母に助けを求めたのだ。

 混乱して要領を得ない私の話を聞いた母は、夢でも見たんでしょうと言いつつ一緒に私の部屋まで着いてきてくれた。

 私が恐る恐る自室のドアを開けると――死体は消えていた。

 怖い夢を見たのね、と少し笑いながら母は台所へと戻っていった。


 夢、だったのだろうか、としばらくの間、私は呆然としていた。

 夢にしては質感があった。生々しい死の匂い。死の雰囲気。

 実際に死臭がするわけではなかったが――死んでいる、と直観的に思うような、思わされるような死体だった。

 とは言うものの、こうして私の部屋にあった筈の死体は忽然と消えており、跡形もない。順当に考えるのならば――矢張りあれは夢だったのだろう。


 少しずつ気分も落ち着いてきたので、私は学校へ行く準備を始めた。


 思い返してみれば――あの死体には外傷のようなものはなかった。だから、一目見ただけで死んでいると判断するのは道理としておかしい。呼吸が止まっていると確認した訳でもなく、脈がないと触れて確かめた訳でもない。

 死んでいると判断する材料がない。

 それなのに私はあれを、姿だと、一目見ただけで判断した。

 そう結論付けるだけの要素がないにも関わらず、私の脳はあれを死体だと認識していた。

 まるで夢の中で体験するような、突飛な設定を無意識に受け入れているような奇妙な感覚だった。

 だから矢張り――あれは夢だったのだろう。


「そういえば……なにがあり得ない、んだっけ?」


 あり得ない姿の死体、と私は認識していた。

 死体と判断してしまうのは――まあ夢かどうかは兎も角ありえない話ではないとして、なにがあり得なかった――んだろうか?

 私は何を持ってあの光景から、姿という結論を導きだしたのだろうか?


「……そんなこと考えても――仕方ないことだけれど」


 現に死体はないのだ。

 もう一度、死体のあった筈の場所に視線を向ける。

 当然、ない。

 本棚の脇。窓の下。そこに死体があった。

 脳裏に鮮明に蘇る。あまりにはっきり、くっきりと。

 もしかしたら今この瞬間が夢なのであって、現実の世界では本当に私の部屋に女性の死体が転がっているのではないかとすら思うほどに、あの光景は、記憶は、鮮明だった。

 妙な夢を見たものだ、と自分に言い聞かせて、ランドセルを背負い、私は部屋を出る。

 帰ってきて自室のドアを開けるとき、また今朝のことを思い出して少し怖い思いをするのだろうな、と考えながら、ドアを閉じた。


 それが私と奇妙な死体の出会いで、小学五年生のある朝のことだった。



 それから一週間後の朝、私は同様に、朝起きて自室に死体を見つけた。

 混乱はしなかったが、大きく驚いた。悲鳴こそ上げなかったが、心臓がばくばくとなって気分が悪かった。軽く頭痛もしていたような気もする。

 また同じ夢か――と思った。

 しかし、夢の中でこれが夢だと認識しているというのも――おかしい。

 疑問に思いつつ、死体に触れてみようとして――触れなかった。

 触ろうとすると、死体は消えたのだ。

 まるで靄を掴むかのように、すっと死体は消えて無くなった。

 そこで私はそのとき初めてこれが夢ではないことを確信した。


 それからというもの、朝起きると触れない死体が部屋に転がっているようになった。毎回同じ人物、同じ位置、同じ体位で

 一週間に一回だった死体の出現は、やがて五日に一回、三日に一回と間隔は短くなっていき、中学を卒業する頃には毎朝出るようになった。その頃はまだ、触ろうとすると消える存在ではあった。

 中学時代に、霊感があるという同級生を部屋に呼んでそれを見て貰ったが、なにも感じないと言った。まあ、そもそも本当に霊感があったのかはわからないが。

 私はというと、どうにもその奇妙な触れない死体に意外なほど順応していた。最初覚えた気味悪さや恐怖というものはなくなり、次第に朝死体を見つけるたびに「ああまたか」などと暢気なことを思うようになった。


 高校二年になって、好きだったクラスメイトの男子に告白して振られたときは、人恋しさのあまり、その死体におはようと挨拶するようになった。

 奇妙な同居人に対して、私はどんどん慣れていった。

 触ることは相変わらず出来なかったが、ある日を境に死体は消えずにずっと部屋に残り続けてるようになった。

 手で触れようとすると、体には触れない。まるでホログラムに手を突っ込むようにして通り抜ける。鏡に反射させて見ても、その死体は鏡には映らない。

 奇妙なものだなあと思いつつ、私はその死体と何年も生活し続けた。


 高校を卒業し、大学へと進学する準備のために部屋を整理しているときだった。

 この死体ともお別れかぁ――と思って眺めていると、死体が急に身じろぎを始めたのだった。

 この数年間ずっと見てきて初めてのことだった。

 声も出せずに驚いていると――死体は仰向けになり、初めて顔があらわになった。

 死体の顔は――私だった。




 気が付くと私は病院のベッドの上で、頭に包帯が巻かれていた。

 脳腫瘍がはじけた――と医者が説明した。

 幻覚のようなものを見ませんでしたか? と聞かれて初めて、私はあの自分の部屋の死体が幻覚だったということに気付いた。

 朝起きて気分が悪かったり頭痛がしたのも、その腫瘍が原因だったのだろう、と医者は述べていた。


 退院して自分の部屋に戻ると、矢張り死体は消えていた。

 なんで私の死体の幻覚だったのだろう、と考えていると、頭で何かがはじけたような気がした。

 その日、白いワンピースを着ていたのを、私は最後に気付いた。






文字数:2427(本文のみ)

時間:1h

2020/12/10 お題

【目の前に、ありえない姿の死体が転がっていた】から始まる小説を1時間で完成させる

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