第2話:花嫁

 ドワーフ族の国主であるマーロン=ダイクーンの無慈悲な宣言に玉座の間に集まる文官・貴族たちが眉をひそめることとなる。何も首席騎士の娘をニエにしなくても良いのではないかと。だが、そのひそひそ声に対して、マーロン=ダイクーンがさらに激昂することとなる。まるで、貴様たちの娘もニエに捧げてやろうかと言わんばかりの怒りに燃えた視線を赤褐色の双眸から照らし出し、それをもってして文官たちを睨みつける。


 そのため、文官たちは何も言えずじまいとなり、心の中でのみ、首席騎士:ブッディ=ワトソンに憐憫の情を抱くこととなる。しかしながら、マーロン=ダイクーンも鬼では無かった。最後に娘との会話を楽しんでこいとブッディ=ワトソンに命じる。ブッディ=ワトソンは頭を下にうなだれながら、玉座の間から退出していく。さらに松葉杖をつき、右足を引きずりながらだったために、さすがのマーロン=ダイクーンも胸に痛みを感じてしまう。


「うむむ……。まろが悪いのでおじゃるか?」


 マーロン=ダイクーンが心に棘が刺さる感覚に襲われる中、彼の右隣りに立つ男が両手をもみもみと揉みくだしながら、国主の胸に刺さっている棘を抜こうとする。


「いえいえ、とんでもないっ! マーロン様は正しいことをしているのだと、しっかりとあやつめに伝えただけにございます。ブッディめ……。あやつが了承したからこその覇王再臨計画であろうに」


 宰相:アンドレ=ボーマンが苦々しい表情でそう吐き捨てる。その姿を見て、自分の正しさを再確認したマーロン=ダイクーンは、ふむっと息をつき、自分の身に合わぬほどの大きさを誇る玉座の背もたれに上半身の体重を預ける。本来なら、娘との最後の時間を与える必要もなかったのだ。首席騎士である男が最前線を放り投げて、宮殿に舞い戻ったこと自体が間違いである。最前線を支えなければならぬ男がその職務を放棄した時点で、ダイクーン王国は存亡の危機に立たされたのだ。


 仮に首席騎士であるブッディ=ワトソンがコロウ関で、かのベンケイの如くに討ち死にしてくれれば、まだドワーフ族の士気は上がっていただろう。だが、そうはせずに、彼はおめおめと逃げ帰ってきたのだ。いくら、傷だらけの身になろうとも、その場で立ち止まった者と逃げ帰った者とでは評価は二分されて当たり前なのだ。


 本来ならその場で投獄されていてもおかしくない身だということは、ブッディ=ワトソン自身もわかっていた。だからこそ、あれ以上の抗議はせずに、玉座の間から退出したのであった。しかしながら、ブッディ=ワトソンの漆黒色の両目からは血の色ように真っ赤な涙が流れ出ていた。それは頬を伝い、顎先を通過し、床にぽたりぽたりと零れ落ちていく。その血涙は点々と廊下に敷かれた緑色の絨毯に染みを残すのであった。


 そんな彼が向かった先は宮殿のとある1室であった。飾り気もなく、殺風景な部屋の中でひとりの女性が真っ白なウエディングドレスに身を包んでいた。彼女の肌は褐色ながらも、10代を象徴するような玉のような張りを持っていた。そんな彼女だからこそ、真っ白なウエディングドレスが余計に映えて見えたのである。


「お父様……。ついにこの時が来てしまいましたのね?」


「すまぬっ! 私がニンゲン・エルフ連合軍の足止めをしてさえいれば、まだ事態は深刻にならなかったものをっ。だが、あの兵器の存在を国主様に伝えねばならぬと思い、恥を忍んで前線から逃げ帰ってきたのだっ!」


 ブッディ=ワトソンは娘の身の危険よりも、ダイクーン王国全体も危機が迫っていることに対して、それを国主に伝えることを選んだのである。自分の娘であるアイナ=ワトソンは体内に特別の魔力量を有していた。彼女は魔法の苦手なドワーフ族にしては特有であり、さらにはあのエルフ族の女王すらも凌駕するほどの魔力量を秘めていたのである。だからこそ、アイナ=ワトソンは覇王の復活のために選ばれたニエであったのだ。そして、国主、宰相、首席騎士、そして神託の巫女の4名による密会にも参加している。


 その密会で、宰相は魔力検知器の針がレッドラインを超えて、さらにはそれがアイナ=ワトソンの魔力に耐えきれずに自壊してしまったことに歓喜した。国主はうむむ……と唸った。そして首席騎士は茫然と立ちすくんでしまった。神託の巫女が3名にアイナ=ワトソンが稀有な存在であることを告げていたが、実際に魔力検知器で彼女の保有魔力量を調べるまでは、その3名は巫女の言葉に対して懐疑的であったのだ。


 だが、宰相はこれでマーロン=ダイクーンがこのテクロ大陸の覇者となれると豪語した。そして、その言葉に乗せられて、マーロン=ダイクーンはその気になってしまった。それが全ての始まりと言っても過言では無かった。首席騎士と言えども、国主と宰相がタッグを組んでしまえば、簡単に事態を覆すことなど出来ようはずがない。


 渋々ながらも、もしもの場合が来た時以外には娘を差し出すことは出来ぬと言いのける。しかし、そのもしもの場合の最後の扉を開いたのは、ブッディ=ワトソンそのヒト自身だったということは皮肉としか言いようがなかった。愛娘が真っ白なウエディングドレスに身を包んでいるというのに、喜びの涙どころか、悲嘆に染まった血涙を流すハメになろうとは、ブッディ=ワトソンにも想像できなかったのである。


 それほどコロウ関、トウ関は強固な『絶対防壁』であったのだ。14万を数えるニンゲン・エルフ連合軍と言えども、その7分の1程度の2万人しかコロウ関にはドワーフ族は兵を詰めていなかったというのに、ニンゲン・エルフ連合軍は3週間もの間、コロウ関の前で親指の爪をかじる他なかったのである。


 だが、その状況を一変させたのが、魔族・亜人族のトウ関急襲であり、さらにはニンゲン・エルフ連合が持ち出した兵器であった。その兵器の存在は絶対に力押しでは破れるはずの無いコロウ関をぶち抜いたのである。だからこそ、その情報を持ち帰ることこそがブッディ=ワトソンに与えられた使命であると感じたのである、彼は。


 運命とはこうも残酷なものなのか?


 しかしながら、ブッディ=ワトソンの愛娘は気丈に振る舞い、しょげる父親をなだめてみせる。彼に金色の刺繍糸である模様が施されたハンカーチを手渡し、涙を拭いてほしいと願う。


「そのハンカーチに描かれている模様を覚えております?」


「ああ……。私がアリスに贈り、アリスがアイナに渡したハンカーチだな……。二羽の鶴が互いを見つめ合っている」


 そのハンカーチは、今は亡き妻にブッディ=ワトソンがプレゼントしたものであった。そして、それは娘であるアイナ=ワトソンに受け継がれていた。そして、それが今、自分の手に返ってきたことで、余計にブッディ=ワトソンの両目からは大粒の血涙が零れ落ちることとなる……。


「すまぬっ。すまぬっ! 私は父親失格だっ……。娘よりも国を重んじた私が恨めしいっ……」

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