クロノス島の終焉
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太陽は分厚い雲の奥に隠れてしまい、島全体が薄暗い低彩度に覆われていた。これではクロノス島自慢の日時計は機能を果たせまい。
いま、この島の中心にそびえる巨大な尖塔はただの島と化している。
だが、それでもこの島は時計なのだ。
地響きすら起こすことなく、驚くほどの静謐さを保ったまま短針と長針は時を刻み続けている。
文字盤の端からは絶えることなく水が――大瀑布の飛沫ともなって――今もなお放出され続けている。
尖塔上層、王の玉座からはたしかに見えることだろう。
この島が巨大な、機械式時計であることが。
この島が巨大な、水時計であることが。
「……降り出しそうだ。急ぎ、宿を取りましょう」
私は振り返って同行者の二人に声をかける。
一人は魔女の異名を持つ女性。あどけない少女の面影の残るかんばせを僅かに俯かせ、なにか考え事をしているらしかった。
一人はこの世に二人といない大富豪。さながら、人生を幾度となく経験しているかのような綱渡り的手腕でこの世のありとあらゆる富を手中に収めし少年は、初めて見るティターン王国の威容に目を輝かせていた。
「あの、」
こちらの言葉が届いていないと思しき二人に、私は再度声をかける。
すると魔女が顔を上げた。
「ああ、失礼しました。時任さま。……ええ、そうですね行きましょう。宿でしたら、私に心当たりがあります」
「テミスさんは、ここに来たことがあるので?」
「そんなに老けて見えますか?」
「……ああいや。そういうつもりじゃないんですが」
私が頭を下げると、テミスさんはくすくすと愉快そうに笑った。
「――しかし、僕も気になりますね」と大富豪の少年が言う。
「この都市は僕たちの時代から遥か300年前に滅び去った都市。今回のように、【遡行のクロック】を使ったのでなければ、この300年前の時代からあなたが生きていると、そう考えるよりほかにありませんが」
「ネクタルさままでそんなことを言うなんて……まあ、それも尤もな疑問ですね」
テミスさんは一瞬、右目を眇めたように見えた。その視線の先にいるのは私ではない。ネクタル氏の方だ。けれどすぐに、それは消え、何を考えているのか不明瞭な笑みに変わる。
「ですが、お答えするつもりはありません。……私から言えるのは、おそらくこの三人のなかでは私が一番、この島に詳しいであろうということだけ。それでは、ご満足いただけませんか?」
「………………ええ、そうですね。今は、それで十分としましょう」
――なんでこの二人は、こんなにバチバチと火花を散らしているんだろう。まだ会って日が浅いはずなのに。
「あのう、任務のこと、ちゃんと忘れていませんよね?」
私が確認するように尋ねると、ネクタル氏は肩をすくめた。
「無論です。私を誰だと思っているのですか? このプロジェクトの発起人ですよ?」
そう、彼の言う通りだった。
私たちがいま、【遡行のクロック】の力によって300年前のクロノス島に来ているのは、彼が金を出したからだ。それも尋常でない額を。
ともすれば過去改変さえ可能とする【遡行のクロック】の稼動には、連盟加盟国すべての承認と、尋常でない量エネルギーが必要になる。彼はそれらすべてを金の力で用意してみせたのだ。
そうまでして彼が望んだことは、
「クロノス島の、ティターン王国の終焉の真実をさぐる。そのために我々はここにいるのです。そして、犯行声明を残していった不遜な輩に奪われ、いまなお行方不明の、至宝のクロックが一つ【変若のクロック】の行方を突き止める。そうでしょう?」
「……ええ。まあ、あなたは分かっているでしょうが」
ちら、とテミスさんの方を見ると彼女はすぐさま抗議の声を上げた。
「なっ! 失礼な人ですね……! ちゃんと分かってますよ、分かってます! 任務が最優先、個人的事情は後回し、それでいいでしょう?」
「個人的事情……?」
「いわゆる野暮用です。お二人はどうぞ、お気になさらず。もうそろそろ雨が降る頃合いです。早く行きましょう。付いてきて下さい」
不満の二文字を全面に押し出し、歩き出したテミスさんの後ろ姿に私とネクタル氏は顔を見合わせて、彼女の後を追った。
普段は妖艶な雰囲気すら漂わせる彼女が、あんなに取り乱すなんて、図星だったのだろうか。
## サトゥルヌス
……いよいよ帰ってきた。ワシが治めておった永世王国ティターンに。
ああ、愛しき我が城。愛しき我が長針街。愛しき我が短針街。そこら中に転がる汚らわしい貧民の姿すら、今は愛おしい。
此度の過去改変成功の暁には、この祖先より受け継ぎしティターン王国の名を改め、サトゥルヌス王国にしてやろう。島の名、王国の名ばかりが後世に残り、永世君主たる我が名が残らぬのは腹が立つからな。
……いや、それも【変若のクロック】を守り切ることさえできれば、不要か。ワシは生き続けるのだからな。王国などに名を残す必要もない。
ああ、しかし。口惜しきは、このネクタルの肉体を今は直接操作できぬことよ。
我が城、この島の中心にそびえしヘリオスの塔に秘めた【太陽のクロック】の力により、肉体は死せども魂はこうして300年の間、生き延び続けてきたが、太陽が出ていない間は無力とは、なんとも、もどかしいな。
圧力をかけるのが精一杯だ。
――ネクタルよ。忘れるなよ。お前の体はワシのものだということを。
……ええ。理解しています。サトゥルヌス王。
素直で良いな、この者は。これまでの子孫の誰よりも賢明だ。
――改変成し遂げた暁には、貴様に【太陽のクロック】使用の許可を与えよう。さすれば、お前の魂は時間の軛から解き放たれ、過去改変ののちも存在し続けることができる。
…………………………。
返事はなしか。まあ良い。ワシの命ずるままに動く駒として働いてくれるのならば、腹の底に何を抱えていようと構うことはない。
さて。外に目を向けてみるとしよう。
不遜にも我が短針街の一等地に構えるホテルを雨宿りのために借り受けた、あの魔女と無知蒙昧なる優男は一体どうしている?
とれた部屋は一部屋のみ。三人で、この部屋に泊まることになったようだ。
……しかし、ネクタルが荷物の整理をしている間に二人ともどこかへ行ってしまったか? 姿が見えぬ。
「ひゃあ、凄い雨だこりゃ」
ベランダの方から優男が部屋に戻ってきた。これほどの大雨が降るとは思っとらんかったのだろう。奴は首から下げた水属性のクロックを起動させ、服と髪を乾燥させていた。水属性のクロックで加熱させるには、繊細な技術を必要とする。あの優男、ワシほどではないにせよ中々のクロッカーであるな。
「あ、ネクタル氏も見ますか? すごい雨ですよ。この時代は今と気候が違うんですかね……こんなに雨が降るなんて」
水時計を稼動させるには大量の水が必須なのでな、常時稼動型の水属性のクロックを使い、こうして必要に応じて降らせておるのだ。
「なんでも、水時計を稼動させるために必要に応じて降らせてるみたいですよ」
「へぇー、そうでしたか。さすがは王様の末裔」
「いえ、そんなに大したものではありませんよ」
――大したことあるだろ! 偉大なサトゥルヌスじゃぞ! ワシは!
「ところで、テミスさんはどちらに?」
「突然お腹を壊したとかで、走って外へ行かれました。……トイレならここにあるのに」
「……十中八九、野暮用とやらをしに行ったのでしょうね」
「あ、ネクタル氏もそう思います? 実は私も」
――追えっ! あの女は絶対に何か企んどる!
「どちらに行かれたか、分かりますか?」
「そう訊かれると思って、雨を浴びるついでにベランダからちょいと追ってみましたよ。身体強化系のクロックを使ってるのか、中々に動きが追いづらかったのですが……どうやらスラム街の方へ行かれたようです。短針街の隅の方ですね」
――ほう、有能な優男だな此奴。しかし、それほど急ぎの要件とは一体なんだ……?
……追いますか?
――いや、今から追えばあの魔女に妙な警戒をさせかねん。今は泳がせておけ。奴も所詮、例の犯行声明を残した輩の候補に過ぎんしな。
畢竟、ワシは、ワシの心臓を抜き取った者を殺せれば、それで良いのだ。
あの魔女にばかりこだわる理由も、今は薄い。
## テミス
豪雨の中を駆ける。駆ける。疾駆する。
懐かしさに胸を灼かれながら、こみ上げてくる郷愁の念に体が熱くなるのを感じながら、冷たい雨のなかを私は走り抜ける。
ああ、こうやってネズミみたいに走っていると、スラムでスリをして、日々を凌いでいたあの頃を思い出さずにはいられない。
この日、短針街が南東を指す頃。私は短針岬で雨に打たれ、黄昏れていた。兄さんが処刑されたからだ。
くだらない理由だった。
ただ、兄さんは私のために捨てられてたクロックを拾っただけだった。一級の魔術触媒であるクロックは、言わずもがな高級品だ。親もいない、スラム暮らしの子供に買えるはずがない。
だけど、クロック使い――クロッカーとしての才能が認められればどんなに貧しい生まれでも仕事をもらえる。スリをしなくても食べていけるようになる。
兄さんは、私にクロッカーの才能があると見込んで、ゴミ山の中からクロックを拾ってきたのだ。もう半分壊れてて、クロックに最低限必要な「時を刻む」機能さえ、辛うじて果たされているといった有様だった。
そんなクロックでも、私が使えば、分厚い黒雲を吹き飛ばすほどの風を生じさせることができたのだ。
……だけど、それが王はお気に召さなかったらしい。
雲を吹き飛ばした私は、クロッカーとしての才能ゆえにお咎めなしということになったが、そのきっかけを作った兄さんは処刑された。
今日より二日後、王の座す尖塔に私は行くことになる。王直属のクロッカーとしての修行を受けるためだ。
だが、今日の私は兄さんがくれた、壊れかけのクロック一つ握りしめて孤独に打ちひしがれている。そして、その胸の中にはたしかに、王への憎しみがふつふつと煮立っている。
――いま、私が成すべきことは、その復讐心を駆き立てることだ。
【未完】
※discordサーバーでいただいたアイデアを用いて執筆しました。
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