ずっと続けばいい

雪月華月

ずっと続けばいい

 料理教室に通いたくなかった。

別に、料理ができなくても困ったことは無い。

母親が料理上手で、毎日のご飯は用意されている。

後、恋人の慎太があまり料理に興味がなかったこともある。

だからのんびり、仕事でヘロヘロになりつつも、日々を穏やかに過ごしていたら、母親が倒れた。

 元気な母親だから、倒れる姿なんて想像できない、いわば一家の一大事。

病院に担ぎこまれて、検査の結果、血圧の高い事が影響していた。

医者からは食事と運動に気をつけてとお達しまできて……。

 母親もそうなると、さすがに今後のことを考えてしまったらしい。


「明美! 料理をちょっとは覚えてきなさい!」


 そう言って、私を料理教室に通わせた。通わないとご飯も作らないと言い出して。

無茶苦茶である。これが数ヶ月前のことだ。


 ……料理教室は慣れるまで時間がかかった。

好きなのは、完成した料理を試食する時くらい。

元々、自分でも不安に感じる程に怠惰なのだ。あと、不器用。包丁の取り扱いにも一苦労だ。

なんて扱いが難しいのだろう……。

それでも周囲の人はとやかく言わないし、自然にフォローしてくれるから助かった。

今日はメインの魚の煮物を作るかたわら、付け合せのほうれん草のおひたしも調理する。

ほうれん草を湯掻いて、氷水で冷やして、丁寧に作ってる分、果たしてこれは家の料理として扱えるのかと心配になる。

 正直、ほうれん草のおひたしの冷凍食品を買った方が楽なのではと思う。


 最近……そんな怠惰な私に慎太は、同棲したいと言い出してきた。

怠惰は査定に入らなかったらしい。

彼の中では私との結婚が前提にあるらしく、カタログを見ながら、言い出した。

そのぞんざいさが、付き合いの長さにおける馴れ合いとも感じたが、素直に同棲は嬉しかった。いよいよもって、料理も、真面目に覚えないといけないだろう……。

 自分の人生の先々が少し見えてきた頃だった。

生活の穏やかさは、いよいよ増し、安定が私をますますダラダラとさせていく。


 そんなある日のことだ。


「袴田です、よろしくお願いします」


 しかめっ面の男性が料理教室にやってきた。身なりはきちんとしているが愛想は悪そう。

口にはしないが一様に皆そう思っているようだった。


 だが意外なことに初めて見たイメージは呆気なく覆った。


 確かに袴田は人に何かを聞いたり尋ねたりするのは苦手そうなのだが、それでも一生懸命に聞いて、少しでも習得しようとしてきたのだ。

 こうなると、周りの評判は良くなっていく。

 無愛想に眉を寄せることはあっても、それでも頑張ろうとしている姿勢にほだされたのかもしれない。

 けれども袴田はどうしてここに来たのかという質問だけは、何故か何も答えなかった。


 ……私は何故か袴田に苦手意識を持っていた。二度ほど袴田に質問されたのだがあまり答えられなかったこともあって、交流はほとんどなかった。何かされたわけじゃない、だけど苦手だった。

ただ、時折胸の奥から込み上げるように気になる時があり、私はその度に表情を殺しながら彼を見つめていた。

 

 冬の冷え込みがー番厳しい時だった。

普段は雪なんて無縁な土地なのに雪が降った。

 三センチもだ。

北国育ちの人からすると騒ぐレベルではないが

降らない土地のものからすれば、一大事だ。

こんな日で、休日なら家籠もりに限ると思ったが、料理教室は中止にならなかった。

親は行くもんだと、車のタイヤをスタッドレスにしていた。

そこまで行かせたいのかと思ったが、了承した。ため息が出た。


 灰色の雲から、雪がチラつくように降っていた。

まだ積もるのかなと親に言うと、この土地じゃーこれ以上ふらないよと言った。

ここまでが限界よとも言っていた。

線引きされたような言葉だった。


「そうなの……」


これ以上は積もらない。

だとしても雪がもっと降ったらどうなるんだろう……

私はふとそんなことを考えてしまった。


 料理教室は閑古鳥が鳴いていた。

先生は何とか到着していたが、生徒は私と袴田の二人きりだった。


 ああ……困ったな。


二人の間に微妙な空気が流れている。

そりゃ、そうだろう。普段一緒にいるだけの人なんだから。職場でも学校のクラスでも、全員のことがわかってると限らない。互いの存在がモブなのだ。

料理教室の先生は私たちの様子に気づかず。

「今日は肉野菜炒め作りましょー」と言い出していた。


 野菜を洗い、切り始める。各々の一人分の量を計算して用意されてるので頭が下がる。

この料理教室……もう来て数ヶ月だろうか。覚束無いことは覚束無いが、それでも一通りの動きはできるようになった。けれどもそんな僅かな自信を袴田はあっさり折っていった。

 彼の方が来てまだ日も浅いし、料理にも不慣れだったのに、サクサクと作っていくのだ。それも先生が褒めるくらいの手際の良さ。

 家で、ちゃんとやってるのだろうか。復習とか。

私の気持ちはゆっくり萎んでいった。


 いいや、適当で多少アレでも食べられるし……。


そう思って、トントンと包丁で野菜を切ってると。

袴田は私の顔を見て言った。


「ゆっくりでいいですよ」


「え」


「今日は俺だけなんで、ゆっくり作ってください」


「は、はい」


「みんなが居ると、つい時間、気になりますからね。だけど、今日は俺だけだから、いつもより手間かけても怒られませんよ」


……やけっぱちでささっと作ろうとしたのに、袴田に止められた気がする。

 きっと皆といる時、皆に合わせて急ぐ私とたいして変わらず見えたのだろう。

袴田は私のことを見ていたのだ、ちゃんと。


耳が急に赤くなるほど熱くなった。

熱くて、きっと顔だって赤いだろう。

幸い、袴田は背中を向けてて、気づいてないことにほっとした。

大きい背中なのに、ここのキッチンは低めなので丸くなる。大きな猫みたいな背中だ。


……悪態をつきたかったのに。

あなたの手際の良さに嫉妬して投げやりになったんですよーとか。

そんな説明をしてまで、嫌味を投げたかったのに。

背中を見ていたら、その気持ちは鳴りを潜めた。


 変な感じだった。

なんで、こんな、落ち着かなくてモゾモゾしたくなる気持ちなのだろう。

苦手な人なはずなのに。

そういや、なんで、苦手なんだ。


 そうだ、袴田は……扉を開けて待ってくれていたのだ。

重い料理教室の扉を、女性を優先にして通りやすいようにして、それがすごく、慎太と違っていた。

 慎太は思った通りに動くし、私への配慮というと、それほどある訳でもない。お互いに適当オブ適当で、それが許されているからこそ付き合っている節もある。

だけど、その雑さがたまに気になることもある。

どうにもならないと分かりつつも、思ってしまうことがある。

 袴田の行動はすごく新鮮で、私はドキリとした。そして……近づいてはいけないと肌感覚で感じた。とにかく近づいちゃいけない。


 知らないものを見ることになる、そして……。


 知ってはいけない感情を覚えてしまうことになる。

 私はどこかで、気づいていた。


 私はぐっと唇をかみ締めた。

これ以上踏み込ませるな、踏み込ませるな。

私の心を揺らがさないようにするんだ。


 私は包丁を握る手にぐっと力を込めた。


 早く終わりたい。

 早く、早く。

 終わってしまえ。


 肉野菜炒めを、少し焦がしてしまった。

色味のいい袴田の肉野菜炒めは、キラキラしているようにすら見えた。

 惨めだった。


 なんで今日はこんなに気持ちがジェットコースターなんだ。

上がったり下がったり、疲れちゃうくらいじゃないか。


 こんな生き方を、私、してたっけ……?

疑問が湧くほどに、まいってる自分がいた。


 コートを着込み、マフラーをつける。

 家族に連絡を入れたら、買い物に出ているらしく、到着まで、時間がかかるらしい。


 なんということだ……。


 雪の様子は室内から伺いしれず、私は玄関から外へ出た。冷たい風が吹いていた。雪は積もってる。この量で、三センチ以上になっていないのだろうか。ただ、雪はもう降っていなかった。

 袴田が、建物の隅にぽつんとある喫煙所でタバコを吸っていた。


 そこにいるのは丸まった大きな猫みたいな背中じゃなかった。

ただの無愛想な顔つきの男がいた。

 近寄ってはいけないと言うのに、私はふらふらと近づいていた。


「あれ、どうしました……」


 袴田はこっちを見た。

くたびれた顔をしている。

閉じないまでも伏せられた目でこっちを見ている。

 私はさりげなく、距離はとりつつも隣に行った。


「家族の、迎えが来るかもなんです」


 どれくらい先でくるのか分かってないのに、そんな言葉を口走っていた。

それを聞くと、袴田は納得したように頷いた。


「早く来るといいですね、こんな寒いし……」


 頑張って愛想を出そうとしている声だった。

愛想なんていらないのに。

何を無理してるのだろう。

ふと、そんなことを気にしてた。

 まるで、その愛想こそが壁だと思っていた。


「雪、しんどいですよね、これくらいでなんだって、人もいるけど」


 私は何か急ぐような気持ちで、言葉を吐いていた。寒いから余計に口が絡まった。

袴田は私の言葉に紫煙を曇らせながら、頷く。


「そうですね……俺の地元は北の方なんですけど、大人の男性の身長くらいは、雪が積もりますね」


「そういう所からきたひとからすると、ここの大騒ぎなんて騒ぎすぎですよね」


「……でもあっちは雪国仕様で動くようになってますからね……そういう前提だからこその普通ですよ」


袴田はひとつ頷いた。


「そうこっちと、前提が違う」


私はそうだねと思った。


そう、前提からして……違うんだ……


「でも、雪を見ると気分があがるんで」


「ここで見られるのはいいですね」


 言葉を区切りながら、袴田は言う。

少しだけ、ほんの少しだけ、目元を柔らかくして。

淡い輝きだ。宝物を見つけた子供のような瞳に似ている。

 ……思わず目を逸らしてしまった。

見てられなかった。

 ぎゅっと目を瞑る。

どうして、今日、料理教室に来てしまったのだろう。心底嫌がって休めば良かったのに。

こんなに近かったら、腕を伸ばせばいる距離に居られたら……私の気持ちは噴き出しそうだ。


 心が袴田を求めてる。

慎太がいるのに、袴田の方にときめいている。

 ああ……ダメだよ、何してるんだよ。


「ただ、早くタクシーは来て欲しいですね」


バスが止まってしまっているらしく、タクシーを呼んだらしい。


「家帰って、娘たちを迎えにいかなきゃならないんで……」


 ……私はタバコを持つ手を見た。

左手の薬指に指輪がハマっていた。

料理教室では見たことがない。

料理の関係で外していたのだろう。


「……なんで、料理教室に通いだしてるんです? みんなに聞かれても答えてなかったですけど」


 唐突な質問に袴田はあっけに取られたが、直ぐに少し恥ずかしそうに苦笑した。


「妻の家事、手伝えたらいいじゃないですか」


 なんか、恥ずかしくて言えなかっただけです。

 後半の言葉はろくに聞こえなかった。

 ふと、顔を上げる。


 雨が、降り出した。

やはり雪はここでは3cm以上は積もらない。

お互いに相手がいる前提も覆らない。

 けれども間違いを起こすやる気は起きなかった。

 この距離で感じる、この感情だからこそ……甘く、胸を締め付ける。


 それでも……今思うことがある。


 この瞬間が


 いつまでも続けばいい。


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ずっと続けばいい 雪月華月 @hujiiroame

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