第五話 美久さん、蹴る
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第一話 美久さん、出現、引っ越しの日曜日の前の週の月曜の午後
第二話 美久さん、叱る、引っ越しの日曜日の前の週の月曜の夜
第三話 楓ちゃん、なじる、引っ越しの日曜日の前の週の火曜の早朝
第四話 美久さん、泣く、引っ越しの日曜日の前の週の火曜の午後
第五話 美久さん、蹴る、引っ越しの日曜日の前の週の火曜の夜
第六話 美久さん、焦る、引っ越し数週間後のある土曜日の午後
第七話 美久さん、起きる、引っ越し数週間後のある日曜日
第八話 武くん、呟く、引っ越しの日曜日の前の週の火曜の夜
第九話 楓ちゃん、話す、引っ越しの一年前
第十話 楓ちゃん、問う、引っ越しの日曜日の前日の土曜日
第十一話 美久さん、告る、引っ越しの日曜日
第十二話 楓ちゃん、認める、そして順子、引っ越しの日曜日
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それから、カフェでコーヒーを飲んで、彼女とぼくの話をずっとした。あっという間に夕方になった。「美久さん、行こう、分銅屋。今日は美久さんの払いの番だよ」というと、「よし、行きましょう」と言って「タケシさん、ありがとう。美久、タケシさんが好きです」と下を向いて真っ赤になった。一日になんど真っ赤になるんだろう、美久さんは。
昨日と同じく分銅屋。6時半に着いてしまった。暖簾をくぐってお店に入った。「こんばんは~」と美久さんが言う。「いらっしゃいま・・・」で女将さんが言葉を飲み込んで、眼を見開いて美久さんを見る。
「あなた、美久ちゃん、その格好は!そんな服、着たことないじゃありませんか?」と言った。美久さんの後から店に入ったぼくを女将さんが見て納得したようにうなずいて、「まあまあ、男は女を変えるって、よく言うけど、三十数年生きてきて、それにピッタリの場面を見るとは思わなかったわ」とうれしそうに笑った。「何よ、姐さん、似合わないと思うの?」と美久さんが突っかかる。「ピッタリよ、お似合いよ、ふたりとも」と女将さんが言った。「今日は畳の部屋は予約ありで、カウンターよ」
カウンターには既に男女の二人組がいた。六席あるカウンター席で奥に座っている。手前が女性だ。ぼくが間の席ひとつ空けようとすると、美久さんが「あ!南禅さんに羽生さん!お久しぶりです」と言った。「タケシさん、南禅さんの隣に座って」と美久さんが女性の隣の席を指差す。
その南禅さんと呼ばれた女性がぼくらを見上げてニヤッとして言った。「あら、美久ちゃん、ついに彼氏さんができたの?ファッションまで変えちゃって、どういう心境の変化?」羽生さんと呼ばれた男性も「おいおい、筋金入りのヤンキーはどうしたの?」と美久さんに言う。
彼らの発言を無視して、美久さんが「タケシさん、この方が南禅久美子さん、こちらが羽生健太さん。こちらは兵藤武さん。うちの賃貸のお客様です」とすまして言う。ぼくの耳に口を近づけて「タケシさん、実はね、この二人、おっかない自衛隊の二等空佐って人たち。南禅さんは私と同じ空手道場に通っているの」と言った。ぼくはあわてて「兵藤です。よろしくお願いします」と挨拶した。
それから、女将さん、南禅さん、羽生さんが美久さんのファッションをからかうことひとしきり。「格好変えても中身はかわらないよ」と羽生さんが言ったり、「馬子にも衣装ね。兵藤さん、騙されちゃあダメよ。彼女は生粋のヤンキーだからね」と南禅さん。「でも、まあ、今の格好は誰が見てもヤンキーとは思わないでしょうね」とニコニコして女将さん。「みんな、止めてよ、もう」と憤然とする美久さん。
ぼくらはビールをもらって、おつまみをいただき、ぼくの一人暮らしの話やら今日の買い物の話をした。8時半くらいになっていた。
ガラッと引き戸が開いた。誰かな?とみんなが振り返ると、確か昨日すれ違って挨拶したヤンキーの三人組の一人がお店に入ってきた。彼女が美久さんを見て「あねさん、お楽しみのところ申し訳ありません」とお辞儀して言った。美久さんが「もう、佳子、あねさんとか言うな。卒業したんだ、ヤンキーは」と言うと、佳子さんの様子がおかしい。「あの、節子と紗栄子が拉致(らち)られまして。男四人で囲まれて・・・」と彼女が美久さんに言うと「なに?どこに拉致(らち)りやがった?」「千住ほんちょう公園の方です。男四人で多勢に無勢で、私は・・・」「わかった!」と鉄砲玉のように店を駆け出してしまった。
あっけにとられたぼくは佳子さんに「千住ほんちょう公園ってどこ?」と聞く。「店を左に出て、まっすぐ三百メートル、アーバイン東京ってホテルの角を左に曲がったところです」「わかった!」とぼくも飛び出す。
店を出て、左手を見る。美久さんはパンプスをはいていたが、もう後ろ姿が見えない。ぼくは必死に追いかけた。公園について見回す。左右に細長い公園だ。もう真っ暗だ。キョロキョロしていると、女の子の声が聞こえた。「離せよ、バカヤロー」声の方に走る。するともう美久さんが昨日の節子さんと紗栄子さんを羽交い締めにしている男二人組みに対峙していた。
彼女はなにも言わずに突っ込んでいく。左の男が殴りかかって、拳が彼女のほほにむかう。すると、彼女はスルッと拳をかわしてあっという間に足を180度開いて、相手の頭頂部に踵落としをお見舞いした。相手が崩れ落ちるが、それも見ずに、右の男に水面蹴り。相手の胸に突きをいれた。
佳子さんが四人組と言ったな。だんだんと夜目になれてきたぼくは左右を見回す。美久さんの後ろ、左右から近づく二人が見えた。ぼくは彼らに駆け寄る。飛び上がって左の男の背後に着地する。気配に振り向く男の肩を回す。合気道の受け止め、受け流し、躱すだ。相手の頭が回る瞬間、後頭部を持って、相手の側頭部のこめかみに頭突きを食らわす。
前頭部なんか固くてダメだ。口は歯が飛び散るし、こっちの額も裂けるかもしれない。弱い側頭部を攻めるのだ。左の男おしまい。右はちょっと離れている。飛んで距離を縮めた。膝を折って相手を見上げる。相手が右手で殴りかかるのを受け流して手を引いた。相手が倒れかかるそのスキに後頭部にゴツンと見舞ってやる。
ぼくが立ち上がると、美久さんがぼくを唖然として見ていた。「タケシさん、あんた・・・」と言った。「あ?ああ、これ?兵藤家って、ジュラシックパークの頭突きの恐竜並に頭が遺伝的に硬いんですよ。おー、痛い。手足使うと痛いからね。合気道の受け流しだけじゃ実践ではけりがつかないから、頭突きってわけ」と説明した。ちょっと額がひりひりする。
節子さん、紗栄子さんと佳子さんが抱き合って泣いている。そして、「ネエさん、兵藤にいさん、ありがとうございました。助かりました」とお辞儀をした。
南禅さん、羽生さんと佳子さんがハァハァいって近寄ってきた。「え?もうのしちゃったの?早いわねえ。私達に残しておいてくれたっていいのに?」と南禅さんが言う。「兵藤くん、あっという間にやったな。頭突きとはね。美久ちゃんはかかと落としだし。キミらお似合いだな」と羽生さんがぼくたちに言った。
それから女将さんが通報した警察が来て、四人組の男たちと、三人組のヤンキー、美久さんとぼく、南禅さんと羽生さんという大人数が事情聴取を受けて、きつく絞られた。未遂だし、相手が伸びているので、「調書は明日だ。キミら、出頭してくれるね?」と警官に言われる。ぼくが「はい」と答えると、警官は美久さんの方を向いて、「こら、美久、卒業したんじゃなかったのか?」と尋ねる。「いえ、後輩が拉致られましたので、どうしようもなく・・・」と美久さんは答えた。「ふ~ん、まあ、被害者側だしな。お咎めはないよ」と言うと、持っていた懐中電灯で美久さんの頭から脚まで照らして、「美久、おまえ、卒業したは良いが、どっかのお嬢さまみたいに化けやがって。ははぁ~ん?この兵藤さんが理由か?」と言った。「今晩はお巡りさんまで私の格好をからかうの!」と怒鳴る。「おいおい、怒鳴るな、怒鳴るな。兵藤さん、美久はこういう子だけど、根はいい子だから、大事にしてやってください」とこういうと敬礼して四人組を引っ立てて行ってしまった。
全員で分銅屋に帰ってきた。え?まだ9時半だよ。あっという間の出来事だった。みんなでビールとジュースで喉を潤した。まだ、興奮しているヤンキー三人組が女将さんに説明している。自衛隊組はニヤニヤして、ぼくと美久さんを眺めていた。
美久さんがぼくに向き直って「ありがとうございました」とお辞儀をする。「なんてことはないですよ、美久さん。南禅さんと羽生さんも駆けつけてくれたし、どっちにしても勝てた喧嘩です」
「いいえ、タケシさんがやってくれなかったら、私、やられていたかもしれない・・・」また、美久さんが涙目になった。
「タケシさん」涙目で湿った声で美久さんがぼくの眼を見た。「はい」とぼくが答えると、美久さんが、「わ、私と、け、結婚してください!」と言った。
女将さんも三人組も自衛隊組も振り返って目を見開いてぼくらを見た。
「え?」なんだ?どうしたのだ?ぼくは言葉もなかった。
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