第7話 恐怖と煩悩

「なんなの? アレ?」  

「なんだよ? アレ?」   


 ほぼ同時に二人は、誰も説明できないと分かりつつも、誰にともなく問いかけてしまう。二人とも、理解出来ないことが起きたのだと確認したかった。

 身の上に起きたの恐怖は、自分一人の上だけに起きたのでは無い。。その認識を共有する事で恐怖を緩和しよう、そんな防衛本能が作動した結果の、今の問いかけだ。

 もしも、どちらかが突然 冷静に戻って、「知らないのかい?今の現象は『自惚れ』と言う意識が……」などと、説明しようものなら 説明された側は、説明した方を 突き飛ばしていただろう。


 二人はしばらく そのままでいたが、男である一郷が先に動き出した。

 支えている香の華奢な体の、それでも女性特有の柔らかさを感じる感覚が、恐怖を凌いでいったのだ。

 二人は腰が抜けてしまい、地べたにお尻をつくように座っていた。

 香は放り出されたPCの方に顔を向けていたが、体は後ろにいた一郷の方を向いて、両手は一郷の両肩……、襟首を鷲づかみにしていた。一郷は香の手首をつかんで 襟から離しつつ、自分は立ち上がろうとする。

 香が一郷の襟をつかみ直し、首を振って懇願する。

 ––––まだ、そばにいて。

 声にはならない。

 一郷は中途半端な……、巴投げをされる直前のような姿勢で止められて困ってしまう。


「ここで、じっとしていても仕方ないでしょ?」


 香の手首をつかみ、優しく引き剥がそうとするが、では 香は手を離してくれそうにない。

 一郷は覚悟を決めた。



 むつみ 一郷いちご。香とはクラスメイトであったが、香のことは良く知らない。一郷は諸事、無関心な性格である。香がクラスでイジられいるのは知っていたが、イジメにまで至っているとは思っていなかった。知っていたら何かしらの行動はしていただろう。しかし無関心な性格であるため、さして無い正義感は、香が不登校になったからと言って、特段 一郷自身を責めることは無かった。

 香のことも心配していなかった。自分が考えるべきことでは無いとさえ思っていた。何が辛いかなんて、所詮本人にしか分からないのだ。たとえ本気で心配したとしても、そこには自我が混じる。周囲にとって最悪の選択をしたとしても、本人にとって納得の行く選択であるのならば、自由に選ばせてやるべきだ。高校生になった一郷は、道徳を自分なりに、もう一歩進めて考えるようになっていた。

 だから夕暮れが消えかけた頃に、道端で倒れている香を見つけた時も、––––あ、もしかして、自ら命を絶ったのかな。——意外と冷静にそんなことを考えた。


 君子危うきに近寄らず。一郷がそんな言葉を知っていたかどうかは別にして、一郷は実際、香を素通りしようとする。

 素通りしようとした時、香の影がスゥっと動いた気がした。辺りは暗くなっていたので、影さえも輪郭がハッキリしていない。気のせいだと言われれば、気のせいかも知れないないが、一郷は黒い塊が移動して行った方向を目で追ってしまう。

 そこにはPCが落ちていた。

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