雲雀と白百合
@Natume-yuu
第1話 夜叉退治
鞘から刀をぬいて、焚火の明かりに照らして眺めていた。薄黒い刀身に沿って引かれた白い刃文がヌラヌラと怪しく光っている。刃こぼれは無い。ずっしりと重い。何より美しい。
刀に反射した光をぼんやりと眺めながら、焚火から吹いてくる暖かい風に逆らって息を吐く。ちっとも温まらない背中に走る震えが手に伝わったのかほんの少し手に載っていた刀が揺れる。
揺れた刀の向こう側に仲間の姿がいくつか見えた。何やら寄り合って話しているが遠くてよく聞こえない。焚火の火がぼうぼうと揺れる音が聞こえてくるばかりである。
吐いている息が底つくと、焚き火の方から、また、焼けた木と土の匂いの混じった風が吹いてきた。その匂いを嗅いでいると、ぐうと腹が鳴る。
今日の飯は何だろうか。どうせまた不味い飯に違いない。…………いや、もう食うことは無いのかもしれないのか。
これから一体何人死ぬのだろう。ここにいる奴らの中で再び顔を合わすのは。
考えてみたが、占星術など知らないから未来など分かるはずもない。そんなことが分かるのはこの刀くらいだろう。
夜叉が出た。夜叉が出た。餓鬼の頃から聞いてきたその悲鳴が、ずっと、頭の隅で鳴っている。不思議なものだ。餓鬼の頃は大人たちが真っ青な顔で駆け回るのを見てひどく恐ろしくて震えていたのに、10年も経つとソイツを斬ろうとしているんだから。
餓鬼の成長は早いと言うが、俺ですらそう思うのに、まして愚鈍な亀のように生きている大人たちからはどんなに早く見えるのだろうか。
しかし、俺がコイツを持ったのはいつだったろうか。
気が付いたら手にあった。無論餓鬼の頃振り回していたのはただの木刀であったのだが、何のために振るようになったのか。
老人のような真似をして過去を振り返っているうち、思わず吹き出しそうになる。そんなことはあまりにも自明なことだったからである。
まだ5才にもならない餓鬼だった頃、俺は両親が農作業を手伝えと口うるさく言うのを聞かないでよく一人で村を飛び出した。俺は馬鹿だったから、どうせ帰った後で叱られて飯を抜かれる罰を受けることを知っていながら、より目先の面倒を避けるために両親の言うことを聞かなかったのだ。腹が減ってよく泣いたことを覚えている。
「そんなに泣くなら何で言うことを聞かんのだ」と呆れかえる親父とお袋の姿も鮮明に思い出せる。全くその通りだと今は思う。
そんな俺は、村を出た先で珍しいものを見た。
あれはちょうど秋頃だったろうか。
いつものように村を出て、近くの野山へ向かうと、牛が美しい車を引いて歩くのが見えた。車は何台か連なっていた。車の周りには刀を持った侍や、身綺麗な女たち、少し太った貴族のような男たちが歩いていた。
遠目から見て、馬鹿だった俺にもそれが身分の高いお方のお出掛けであることは分かった。俺はその様子を隠れて遠くから眺めながら付いていった。こんな
一行はゾロゾロと野山の方へ入っていった。道の上に積もった落ち葉を除けながら、山の上へと行くようだった。俺はようやく彼等が紅葉を見に来たのだと分かった。だから、俺も山へ入った。木の陰から様子を窺っていた俺は傍から見れば猪と変わらなかったろう。
山を登って、少し開けた高原のような場所に出ると彼等は「ここは良い」と話しながら麻でできた布の生地を広げだした。
たくさんの麻布を敷き終えると、あれこれと調度を布の上に置いたり、車に乗っていた御方へ支度ができたことを伝えたりした。
すると車の中から、大層立派なお召し物を着ていらっしゃる御方が出てきて、麻布の上に降りて座った。従者の服ですら俺にとっては立派に見えたのに、まして主人の服などなおさらで、俺は自分が見ている光景が現の夢なのでは無いかと思わず疑ったのだった。
ただただ嘆息が零れた。そこにあるのは純粋な憧憬だった。中から出てきた男は、まだ親父と同じくらいの年齢なのに、この世をその手に収めているように思えるほど大きかった。その男を見て、俺は自分の小ささを自覚して、羞恥せざるを得なかった。
消えよう。
そう思って静かに帰り道を探し出したとき、車からまた人が降りてくるのに気が付いた。
男のものと同じくらい立派な赤色の着物を着た女の子の髪は濡れたように艶があって、その髪はまるで闇のように俺の視界から彼女の顔を隠した。
俺は彼女の顔が見たかった。どんなに綺麗だろうと心が騒いだ。
しかし、どれだけ見ようと思っても、候う人々の影になったり、父親の背中で隠れたりして叶わなかった。俺はしばらくじれったいままでいた。
紅葉を見ながら、あの男が物を食べたり酒を飲んだりするようになると、ずっとその手にあった女の子は、隣にいる大層綺麗な紅色の召し物を着ている母親の手に移った。母親の膝の上で、周りに並んでいるお膳の上にある食べ物を見つめて、気に入ったものに手を伸ばすと、父親や母親がそれに気付いて、女の子の口へ食べ物を運んでやっていた。
そんなことをしていると、母親が体の向きを大きく変えて、女の子と俺の間にあった視界の壁が突如取り払われた。後は彼女の顔を隠している闇が払われればよかった。
いままでずっと紅葉など見ていなかった女の子が、顔を上げて木々の紅葉を見つめだした。その首は辺りを探るように動いた。その顔が俺の方に向いたとき、ようやく、
俺はその顔を見てただただ感動した。
夜空に浮かぶ星々の輝きや、清流で舞う蛍の明かりなど、俺が知っている美しいもの全てに比してなお、その美しさは
ただ見とれて、自分が今何をしているのか忘れた。
近くの枯れ葉を不用意に踏んで音を出した。俺の失態を、数人の従者と、あの女の子は気が付いた。女の子は無邪気に俺の方を指差して母親の方へ笑っていた。
「獣か!」と言いながら俺の方へ小走りで探りに来る従者から逃れようと、すぐさま逃げ道を探した。逃げ道を見つけて、あの場から去る前に最後にと思ってもう一度あの女の子の顔を見ようと振り返ると、これはたぶん俺の勘違いかもしれないが、彼女と目が合った。
その時、俺を見て無邪気に笑うその顔は、きっと俺が見てきた何よりも美しいものだった。
従者がいよいよ俺の隠れていた茂みのそばまで来たので、俺は獣のように息を殺してその場から去った。
あの日のあの瞬間からだ。俺が剣を振るようになったのは。
あれから俺は家に帰って、案の定叱られて、結局農作業を手伝った。そして、寝る前に親父に聞いた。
お姫様と結婚するにはどうすればいいのかと。
親父はそんな俺のことを笑ったが、少しだけ考えた後で答えてくれた。
天下に名を馳せる侍なら、叶うかもしれないな。
そのとき天井をまっすぐに見つめていた親父は、元々は武士だったのである。
「おう、雲雀。大将がお呼びだぜ。今から、戦の会議を始めるってさぁ」
「ああ、分かった。」
刀を鞘に収めて、幕の内側に集まっている武士共の輪に加わろうと、俺を呼びに来た武士の背に付いていく。
俺が輪のそばまで来ると、大将の小十郎殿と副将の清正さんが俺を見て、そばに来いと招いたので、俺は清正さんの隣に座って輪に加わった。
大将が立ち上がり、ついに会議が始まった。
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